速水御舟の主な作品と、所蔵美術館
洛外六題
1917年(23歳)、第4回院展に出品。日本美術院の同人に推挙された。下村観山は「今まで展覧会の審査で、これほど立派な作品に接したことがなかった」と絶賛。
本画は関東大震災で焼失しているが、下絵の一部が京都国立近代美術館に所蔵
京の舞妓
京の舞妓, Public domain, via Wikimedia Commons.
1920年(26歳)、写実性を重視した細密な描写になった後の作品で、細密すぎる描写が賛否両論を招きました。横山大観は「悪写実」と酷評しましたが、良い評価をした人も多くいました。
東京国立博物館に所蔵
炎舞
炎舞, Public domain, via Wikimedia Commons.
1925年(31歳) に制作。暗闇に舞い上がる火の粉と蛾の舞う様子を、絶妙な色合いで緻密に描き出しました。炎の描写には、日本の伝統的な絵巻物や仏画における炎の描かれ方が影響しているといわれています。
山種美術館に所蔵(東京都)
翠苔緑芝
1928年(34歳) に制作。この作品は単純化された表現が印象的で、「あれ? 今までと雰囲気が違う」と変化を感じさせます。琳派や西洋画の影響があるといわれています。
山種美術館に所蔵(東京都)
名樹散椿
名樹散椿, Public domain, via Wikimedia Commons.
1929年(35歳) に制作。写実的に見える部分には、キュビズムにも通じる表現があると言われています。背景は「撒きつぶし」によってつくられ、光沢を抑えたフラットな金地が椿の樹を惹きたてています。
山種美術館に所蔵(東京都)
40歳で他界 ~いよいよこれからだったのに。横山大観が嘆いた~
御舟は35歳のとき、1930年にはローマ日本美術展覧会の美術使節として渡欧し、ジョットやエル・グレコに魅せられました。この経験は彼の後期作品にも大きな影響を与えています。
帰国後も日本画の新しい表現方法を模索し続け、多くの美術家から日本画の将来の担い手として期待されていました。
しかし、1935年3月20日、御舟は腸チフスにより40歳の若さで急逝します。いよいよこれからという時に、何とも惜しいですよね。彼の早世は多くの美術家に惜しまれました。横山大観は「速水君の死は、日本の為に大きな損失である」と述べています。
御舟の作品はあまり多くは残っていません。もともと寡作であったこと、関東大震災で多くの作品が焼失したこと、御舟自身が気に入らない画稿や下絵を焼き捨てたことなどが原因で現存作品は600点ほどといわれています。
