●東日本大震災で途絶えた「保証人」
1996年1月、技能ビザで来日。そのレストランで働き、安定した生活を送っていた。
だが、2011年の東日本大震災で状況が一変する。新店舗を任せてくれるはずだったオーナー(保証人になる予定だった人)が海外に避難したまま行方知れずとなってしまった。
どうしたらいいのかわからず、入管に相談しても、真剣に取り合ってもらえず、来日15年目にとうとう在留資格を失ってしまった。
順風満帆だった生活から一気に落とされたペニャさんの生活は困窮し、入管施設での過酷な収容を二度も経験した。
●代理人「再び笑顔で美味しい料理をふるまう日を信じて」
ペニャさんの代理人をつとめる駒井知会弁護士は語る。
「日本に『在留特別許可』の制度がある以上、彼のような人を救わずしてどうするのかと思います。ペニャさんは、父親の政治的背景を理由に、祖国で2度も拉致・拷問を受けました。
チリで暮らすことができず、日本の片隅で料理人として真面目に働いていたペニャさんが、東日本大震災の混乱の中で在留資格を失った経緯を考えても、彼をいたずらに責めて送還を迫るのは誤りです。
国は彼を保護し、少なくとも人道的な配慮から在留特別許可を与えるべきです。彼の家族はすでに祖国を離れるか、亡くなっています。チリに送還されても身を寄せる場所はありません。
けれども、ペニャさんは長い日本での生活の中で日本社会に大勢の友人を作り、彼らに支えられながら、仮放免の不自由な生活に耐えています。私たちは、彼が再び笑顔で美味しいチリ料理をふるまう日を信じて、この訴訟を闘いたいと思います」

