7.3兆円の真実と、それでも消えない「利権」への疑念
しかし、この「新生児に1000万円」待望論には、重大な見落としがありました。多くの指摘が寄せられたように、7.3兆円という予算の大半は、児童手当や保育所運営費といった、既に行われてきた福祉事業の予算を移管・統合したものです。「7.3兆円無くせ!ってことは、児童手当も保育所も育児休業給付も全部無くせってことなのか」という冷静な反論は、議論の前提を覆すものでした。一方で、現金支給案には「金欲しさに子供を産み、育児放棄や虐待が増える」といった悪用を懸念する声も上がりました。
それでもなお、「利権の温床」という疑念が晴れることはありませんでした。たとえ予算の多くが既存事業の付け替えであったとしても、国民にはその不透明な構造自体が、新たな無駄を生む温床と見えていたのです。この誤解と不信の根深さこそが、こども家庭庁の存在意義を揺るがす核心的な問題と言えるでしょう。
問われる「第四の権力」― 質問なき記者への批判
国民の怒りの矛先は、大臣だけでなく、その場にいた報道陣にも向けられました。「報告がなくても、聴くことはたくさんあるはずだ」という声に2600件以上の共感が集まり、「準備不足」や「メディア側の怠慢」を糾弾する意見が相次ぎました。大臣から発言を引き出せなかった記者たちの姿は、国民にとって「第四の権力」の機能不全と映り、「記者クラブ制度」のあり方まで問う大きな議論へと発展しました。
三原大臣の30秒会見は、結果として、少子化対策、予算の透明性、そしてメディアの責任という、日本社会の構造的な課題を白日の下にさらす起爆剤となりました。「無用の長物」という厳しい烙印を押されたこども家庭庁は、まず国民との信頼関係をいかに再構築するかという、極めて重い課題を突きつけられています。
(LASISA編集部)

