ビリヤニはもともとはインドの“宮廷料理”
小竹:まずは大澤さんのプロフィールをご紹介します。1989年、長野県生まれ。20歳のとき、インドで出会ったビリヤニに衝撃を受けて帰国。間借りでビリヤニ店の経営やビリヤニのためのシェアハウスを立ち上げます。その後、インド料理店勤務などを経て、2021年、神田にビリヤニ専門店「ビリヤニ大澤」をオープン。カウンター10席で一斉スタートする完全予約制ながら、オープン以来、一度も空席がない人気店となっています。
大澤さん(以下、敬称略):ありがとうございます。
小竹:一度も空席がないというのはすごいですよね。
大澤:日本には人気で予約が取れないお店がいっぱいありますが、例えば、お寿司屋さんなら、米料理を極めるとあそこまで人気が出るんだなと感じました。
小竹:はいはい。
大澤:ビリヤニはもともとはインドの宮廷料理なので、あくまでもご馳走です。今の日本におけるビリヤニの地位はインド料理屋の1メニューですが、もっとこの地位を高められるポテンシャルがある料理だと思うので、お寿司屋さんに近いスタイルにしています。
小竹:だから10席のカウンターなのですね。インドでもこのスタイルのお店は多い?
大澤:ないです。ただ、最近インドは経済発展が目まぐるしいので、うちより高いビリヤニ屋もいっぱいあります。限られた少ない席数で完全予約制でこだわった料理を出すお店がどんどん増えていますし、予約困難店も増えていますね。
小竹:そうなのですね。
大澤:料理が発展するためには、経済の発展は絶対に必要です。まずみんながしっかり食べられる状態がスタートラインで、その上でいろいろな食材が手に入る。その手に入った食材をおいしく調理しようとしてできあがってくるのが料理文化だと思います。
小竹:なるほど。
大澤:さらにその先、豊かになっていろいろなものが食べられる中で、調理によっておいしくもなるし、おいしくなくなりもする。だからこそ、より良い調理とは何かを探求し始める作り手と食べ手が発生する。これが今の日本の状況だと思いますし、インドもかなりその状態に近いです。
小竹:うんうん。
大澤:普通に作った料理はどこでも食べられる。そうではなくて、もっと手間をかけて、いい食材を使った料理を食べたい。それを実現できているところが人気店になる。大量生産で手間をかけてこだわるのは難しいので、限られた席数で予約が取れない超人気店が、インドで今どんどん増えています。
小竹:いずれは日本とインドの食文化が逆転するくらい豊かになりそうですね。
大澤:今までインド料理の地位が低かったのは、単純にインドの経済が発展していなかったから。江戸時代はムガル帝国は日本の5倍以上のGDPがあって、その時代に生まれた料理がビリヤニです。ビリヤニは地元で採れる食材をおいしく調理しようという発想ではなく、国内中からおいしい食材を集めて組み立てたものなんです。
子どもの頃から“味付けご飯”が大好き
小竹:20歳のときにインドに行かれたとのことですが、最初はインドのどこに行かれたのですか?
大澤:最初に行ったのは南部タミルナドゥ州ですが、インドは街ごとに味が違い、ビリヤニにもさまざまなスタイルがあります。僕が初めて食べたタミルナドゥのビリヤニは、お米の味が全体に回っていて、均一な色をしているタイプのものでした。
小竹:そときはビリヤニのことは知っていたのですか?
大澤:最初は何も知りませんでした。全く関係ない用事で、インドに興味があったから行ってみた。そうしたら、街中に「ビリヤニ」という看板があることに気づいて、頼んでみたらすごくおいしい炊き込みご飯が出てきたんです。
小竹:うんうん。
大澤:僕は子どもの頃から味付けご飯が大好きなんです。ビリヤニとパエリアと松茸ご飯が世界3大炊き込みご飯だと僕は言っています(笑)。とにかく味付けご飯が好きで、チャーハンも好きで、大学時代は1日3食1週間ずっとチャーハンだったこともありました。
小竹:それでインドでビリヤニを食べたらハマりますよね。
大澤:こんなにおいしい料理があるんだと思って、それからビリヤニ以外は食べなくなるくらいハマりました。お腹が空いたから食べるのではなく、ビリヤニが食べたいから食べるという状態。朝起きて街をうろうろして、ビリヤニの看板を見つけたら入ってビリヤニを食べて、また街をうろうろしてビリヤニの看板があったら入って食べる。

ビリヤニ大澤のレギュラーメニュー「マトンビリヤニ」
小竹:ビリヤニを食べるために歩くみたいな感じ?
大澤:そうです。どこで食べてもおいしいですが、タミルナドゥ州のビリヤニはうま味がダイレクトに来て、スパイスが均一なので、すごくわかりやすい味なんです。だから、初めて食べる人でも絶対に好きになるタイプのビリヤニです。

