会社で地味なお弁当をつつきながら、チサトさんのちょっと楽をしたという豚バラ大根や、彼女の優雅で丁寧な暮らしにモヤモヤするナツミさん。その時チサトさんから「遊びに行きたい」というメッセージが届き、心は重くなります。
「ちょっと楽して」にひっかかる私の心
昼休み。フォークリフトを降りて、食堂の片隅に腰をおろす。
私のランチは、昨日の残り物をのっけただけのお弁当。ごはんの上に、義母の手作りからあげとひじき煮、それから今朝のスクランブルエッグの残りをポロッとのせただけ。彩り要員のミニトマト…の代わりのケチャップがなんだか悲しい。義母のおかずだから、味はおいしいけどちょっと寂しい。
働くためのご飯だから、豪華である必要はないんだけど、朝もうちょっと余裕があれば、とも思う。
夜は夜で、子どもたちの面倒で自分のお弁当用に何か作る余裕はない。もうちょっと手がかからなくなれば、夕食のついでにちゃちゃっと作り置きなんて作れるようになるかな、なんて。
夕食か…。チサトの言葉と写真を思い出す。
「今日のお昼ごはん。ちょっと楽して豚バラ大根」
湯気までただよってきそうな写真。大根はきっちり面取りされて、柔らかそうな豚肉と一緒につやつやに光ってて、こっちをじっと見ているような気さえした。
だけど本当に、あれのどこがちょっと楽したお昼なんだ?うちじゃかなり張り切った夕食だよ。
…そういえば前にチサトが自家製パエリアをアップしたとき、私は「おいしそう!うちもごはん物がメインだよ。豪華一点主義!なんてね」って、麻婆豆腐の素で作ったあんかけチャーハンのことを書いたんだった。
キノコをたっぷり入れて、子どもたちはいっぱい食べてくれてうれしかった。そしたら「見た目より全然簡単だから!パエリアやってあげな〜」って返ってきて…。
あれ以来、私はとりあえずのいいねしか押せなくなった。見ましたよ、のいいね。
「はぁ〜…」
パンも、ベーコンも、ときには味噌さえも手作りするチサトをずっと尊敬してた。お正月は伊達巻作って、春は梅を漬けて…。私にはとてもできない。冷めかけた弁当を口に運びながら、思わずため息が漏れる。チサトはチサトで大変なんだって頭ではわかってる。けど、あの時間をかけられる余裕が、羨ましくて苦しい。
会いたいと言われたら、断れない
その時、メッセージの通知音。差出人はチサト。
「土曜日、久々に遊びに行きたいな〜。ナナコがみんなに会いたいって!」
思わずのけぞりそうになる。今週は土曜出勤も法事も行事もない。奇跡的にぽっかり空いている。チサトはもともと親友で、会えるとわかったら胸が高鳴って楽しみで仕方なくなるような相手だった。なのに今はなぜだろう、心がとても重い。
子どもの遊び相手にもなってくれるし、私もチサトと疎遠になりたいわけじゃないから「いいよ、空いてるからおいで!」と返信したものの、心には黒い雲がかかったままだった。
チサトは旦那の実家でその親と暮らしているから、なかなか友達を呼べないのでいつも集合はわが家。家も片付けないと…。
昼休みが終わって再びフォークリフトに乗り込む。ハンドルを握って、積み上げられたパレットの間をスイスイと走る。集中力がモノを言う仕事だ。
「考えない…集中して…」
と唱えながら、黙々とこなしていく。でも、心はどうしてもチサトからのメッセージに戻ってしまう。楽しみじゃない理由は、チサトと私の生活に差がありすぎて、私が勝手に負けた気になっているから。もしかしたらチサトは比べてなんかなくて、私が勝手に比べちゃってるのかもしれないけれど。

