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政府の地震調査委員会は2025年9月、「今後30年以内に発生する確率が80%程度」としていた南海トラフ地震の発生確率を見直し、「60~90%程度以上」または「20~50%」と発表しました。なぜ変わったのか、なぜ二つの確率が出されたのか、まとめました。
そもそも南海トラフ地震とは?
南海トラフは、静岡の駿河湾から紀伊半島、四国の沖合を経て九州の日向灘沖に続く、海底の溝状の地形です。海側にあるフィリピン海プレートが、1年に数センチ程度、日本列島を載せたユーラシアプレートの下に潜り込んでいて、引きずり込まれる力に耐えきれなくなったユーラシアプレートが跳ね上がることで巨大地震が繰り返し発生しています(図)。

日本付近のプレートの模式図(気象庁HPより)
政府の中央防災会議が2025年3月に公表した被害想定によると、南海トラフで科学的に想定される最大級の地震が起きた場合、静岡県から宮崎県にかけての一部では震度7の揺れが起き、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10メートルを超える大津波が襲来。これにより、最悪の場合、死者29万8000人、全壊焼失棟数235万棟に上る被害が出るとしています。
南海トラフ巨大地震の震度分布(気象庁HPより)
繰り返す大地震
南海トラフでは過去にも大地震が繰り返し起きています。北海道や東北などに比べ、京都に近かったこともあり、被害の記録が比較的残っていることから、こうした研究でどこまで割れたのかが推定できるようになりました。その結果、南海トラフのほぼ全域でプレート境界の部分がずれて地震が起きたり、東側と西側で2回に分けて地震が起きたり、長大なプレート境界の一部だけが動いたりと、そのたびごとに違うパターンの地震が起きていたことがわかってきました(下図)。
このうち、1605年の慶長地震は四国から東海の太平洋岸に大津波が押し寄せた記録がありますが、地震の揺れの被害については確実な記録がなく、揺れたとしても他の地震より弱かったようです。確かに地震のなかには津波地震といって、揺れとしては感じにくいけれど、大きな津波を起こすものもあります。慶長地震がこのようなタイプの地震だったのか、もしくは、どこか遠いところで起きた別の大地震が西日本に津波被害をもたらしたものなのか、はっきりわかっていません。
過去に発生した南海トラフ地震の震源域の時空間分布(気象庁HPより)
地震の確率をどうやって計算するか?
地震の確率の計算方法には様々な提案がありますが、政府の地震調査委員会が過去からの地震の発生履歴を使った方法の一つが「BPTモデル」というものです。
南海トラフでは、海のプレートが少しずつ沈み込んでいるため、下の図のようにプレートの境界部分に少しずつひずみがたまり、ある程度の限界を超えると一気にプレート境界がずれて地震や津波が起きると考えられています。
南海トラフ地震のメカニズムの概念図(気象庁HPより)
プレート境界にかかる力は、周辺の地震活動によってもたまったり、減ったりしながら徐々にひずみがたまっていきます。プレート境界にたまったひずみの大きさを表すと下のようなグラフになります。ひずみが限界値に達して一気になくなったのが過去に地震が起きた年です。ひずみは毎回同じだけなくなると仮定していますが,ひずみがたまる期間は一定ではなく、実際の発生間隔はばらついています。「BPTモデル」では、平均的な発生間隔の中で、前回に起きた地震からどれくらい時間が経過しているか、によって次に地震が起きる時期を確率で計算します。

(地震調査研究推進本部「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版一部改訂)概要資料より)
もう一つ使ったのが、これに改編を加えた「すべり量依存BPTモデル(SSD-BPTモデル)」です。過去の南海トラフ地震を調べると、その度ごとに規模も、プレート境界が動いた範囲も違うらしいことがわかってきました。大きな地震が起きれば、その分たくさんひずみは解放されるので、次の地震までひずみをためるのに時間がかかるけれど、小さい地震であれば、ひずみは一部しか解放されず、すぐにまたひずみがたまるので次の地震が早く起こるはず。これを数値に表したのが「すべり量依存BPTモデル(SSD-BPTモデル)」です。
ときに大災害をもたらす地震の例えとしては不謹慎ですが、わかりやすさのためにあえて例えると、「毎月毎月貯蓄している財布があって、一定金額たまったら大金を支払うが、その時々で支払う金額が違うので、たくさん支払ったら次にたまるまで長くかかるけど、少しだけ支払えばまたすぐにたまる」というイメージです。

(地震調査研究推進本部「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版一部改訂)概要資料より)
高知の家に伝わる古文書
では、「その時々で支払った金額」はどのように求めるのでしょうか?
その材料になったのが、高知県の室戸岬に近い室津港の港番をしていた久保野家に代々伝わる古文書です。そこには江戸時代からの室津港の水深が書かれており、地震によって隆起した様子がうかがえました。これにより1707年の宝永地震や1854年の安政地震の隆起量も具体的にわかります。ここでは隆起量がひずみの解放量、つまり先ほどの例えで言えば「支払った金額」に当たるわけです。
(地震調査研究推進本部「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版一部改訂)概要資料より)
改訂される前の「今後30年以内に発生する確率が80%程度」という確率は、このデータを使ったものです。ところが、その後の調査研究で、この古文書の一部は別の文書の書き写しで詳細なデータが残っていないことや、毎年のように港の工事が行われており、工事で深さが変わった可能性があること等々の問題があることがわかりました。そこで今回は、これ以外の古文書の調査研究結果を取り入れ、誤差範囲をとった上で室津港の隆起量のデータを新たに幅を持たせて計算し、モデルに当てはめて確率も新たに計算し直しました。
新しい確率の意味
こうして計算した南海トラフ地震の今後30年以内に発生する確率がこれです。
どちらの確率を信じれば良いのか
一見、「すべり量依存BPTモデル」の方がより適切に地震のメカニズムを反映した発生確率を示しているように思われますが、東海地方から四国沖までが動く南海トラフ地震を、室津港1点のデータで計算して良いのかという疑問が残ります。室津港のデータも宝永地震、安政地震、昭和地震の3回しかありません。現代であれば、人工衛星を使うなど様々な最先端の測量ができますが、遠い過去のデータを得るのは至難の業です。政府の地震調査委員会は「(二つの確率に)現時点では優劣をつけられない」としています。
