ミケランジェロの習作――完璧を求める執念
Michelangelo - Study of an Ignudo -Teylers Museum, Public domain, via Wikimedia Commons.
一方、ミケランジェロのスケッチからは、レオナルドとはまた異なる創作姿勢が見えてきます。ミケランジェロは生前、自分のスケッチの多くを焼却したと言われています。完成作品のみを後世に残そうとしたこの行為は、彼の完璧主義を象徴していますが、それでも現存する数百点のスケッチから、彼の制作過程を垣間見ることができます。
Casa Buonarroti(カーサ・ブオナローティ)に保管されているミケランジェロの習作を見ると、彼が一つのポーズや構図に対して何度も線を引き直し、理想的な形を追求していた様子が分かります。特に人体表現において、筋肉の張りや体重の配分、動きの流れといった要素を、執拗なまでに探求していました。
《David》(ダヴィデ、1501-1504)や《Pietà》(ピエタ、1498-1499)といった彫刻作品の完璧な人体表現は、こうした膨大なスケッチの積み重ねがあってこそ実現したものです。
The British Museum所蔵のミケランジェロのスケッチには、システィーナ礼拝堂の天井画のための習作が含まれています。これらを見ると、彼が個々の人物像を描く前に、全体の構図バランスを何度も検討していたことが分かります。興味深いのは、ミケランジェロが裸体で人物を描いた後に、衣服を加えていくという手法を取っていた点です。これは人体の構造を正確に把握した上で、布の流れや襞を自然に表現するための方法論でした。
また、ミケランジェロのスケッチには、助手への指示と思われる書き込みも残されています。これは彼が大規模なプロジェクトを進める際に、自分の構想を他者に伝達する必要があったことを示しています。完成作品だけを見ると、ミケランジェロは孤高の天才として映りますが、スケッチを通して見ると、実際には多くの協力者とともに作品を作り上げていた実務的な側面も見えてくるのです。
藤田嗣治のスケッチブック――東西の架け橋
20世紀に入ると、スケッチブックの役割はさらに多様化します。特に興味深いのが、パリで活躍した日本人画家、藤田嗣治のケースです。藤田は「乳白色の肌」と呼ばれる独特の技法で知られていますが、彼のスケッチブックからは、その技法がどのように開発されたかが読み取れます。
東京国立近代美術館が所蔵する藤田の習作を見ると、彼が日本画の線描技法と西洋の油彩技術を融合させるために、様々な実験を重ねていたことが分かります。特に注目すべきは、藤田が墨と筆を使った素早いスケッチを数多く残していることです。
これらは日本の浮世絵や水墨画の伝統を受け継いだものですが、同時にパリで流行していたArt Deco(アール・デコ)様式の影響も見て取れます。
藤田のスケッチブックには、猫や子供といった彼の得意なモチーフが繰り返し登場します。《Five Nudes》(五人の裸婦、1923)のような代表作を生み出す前に、彼は同じポーズや構図を何度も描き、最も効果的な表現方法を模索していました。
Musée d'Art Moderne de Paris(パリ市立近代美術館)の研究によれば、藤田は特に線の太さや濃淡による表現効果について、執拗なまでに研究していたといいます。
興味深いのは、藤田が第二次世界大戦中に戦争画を描いた時期のスケッチです。これらには、作家としての苦悩や時代の重圧が感じられます。戦後、藤田はフランスに戻り、宗教画の制作に注力しますが、この転換期のスケッチには、新たな表現を模索する試行錯誤の跡が残されています。
完成作品だけを見ると、藤田の作風は一貫しているように見えますが、スケッチを通して見ると、実は常に変化と挑戦を続けていた作家だったことが分かります。
