当時の長男は、
一口も手をつけていないお皿を投げ飛ばし
服が汚れたと泣き叫び
ご飯がないお腹が空いたと泣き叫び
服を着替えさせても、新たにご飯を用意し直しても、一向に泣き叫ぶのをやめず…
言葉の遅い長男に
「何が嫌なのか」「何がしたいのか」を聞いても答えてもらえず、私はこんな状態になっていました。
癇癪を起こしやすい長男に合わせて、寄り添って、先回りして…
いろいろと頑張っているのに…なんで…
上手くいかない状態に私もイライラし始め怒鳴りそうになるのですが、癇癪時に怒るとさらに大声で泣き叫ばれるので、ひとまず冷静になりたくてスマホを取り出しました。
自分の気を一旦長男から気をそらすことで、この状況を客観視できるようになるので今回もそうしようと思ったのです。
が、ふと長男の癇癪を普段家にいないパパに見せようと思い立ち、ムービーを撮り始めました。
スマホの画面を見ると長男が「自分に向き合ってくれていない」と思う可能性があるので、こっそり撮りました。
数日後、撮りためた写真を私の母に見せるべく、何の気なしに写真やムービーを一括して送信。
毎日癇癪に対応していて精神的につらくなっていたこともあり、「かわいそう」の言葉がぐっさりと心に突き刺さりました。
しかも苦肉の策で撮ったムービーを見て「動画なんて撮ってないでだっこしてあげて」なんて言われるなんて…
まるで「ダメな母親」と言われた様な気がしてショックでした。
私の母は3人の子どもを育てたので、育児の大変さも、癇癪の大変さも分かっているはず。
だからこそ、母に…
真面目な顔をして心配して欲しいわけじゃなく、
笑いながら「大変だね~!でもそういう時期だから!頑張れ!」って言ってほしかった。
落ち着いてから改めて癇癪ムービーを見てみたところ…
状況を知らずにムービーしか見ていないと「かわいそう」だと思うのも無理のないことだと気づきました。
顔の見えない状況ではなくて、もし直接会ってムービーを見せていたら
「かわいそう」と言われてもショックを受けることなく、楽しい会話で終わっていたのかもしれない…。
顔の見えない母の文面だけを読んで、私が勝手に勘違いして傷づいただけだったのかもしれません。
それでも育児をしていると、助けてほしい時に誰もいなかったり、
共感してほしいのに身近な人ほど分かってくれなかったり…
そんな、孤独な戦いを強いられることが多いのかもしれません。
泣きそうになったり、実際に涙を流しながら育児に奮闘している人に「あなただけじゃない。この状況に共感してくれる人はいっぱいいる。一緒に頑張ろう!」と言って回りたいです。