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公開 2018年06月20日  

母になり知った、「1ヵ月後に予定がある」という喜び / 4章

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生まれたての赤子を抱いて、母としての私もまた生まれたてのような心もとなさ。生活はがらっと赤ちゃん一色に変わったけれど、心がついていかない。そんなときに出会った、自分を取り戻すヒント。


>【第一話】から読む


桜の咲く頃、無事に女の子を出産した。

出産時にかかった時間的には順調だったが、
赤子が大きめだったので
文字通り息も絶え絶え、な出産だった。

出産、そして産後のダメージ

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出産自体も大変だったけれど、
想像以上だったのは産後の体のつらさ。

「出産は、全治2ヶ月の交通事故に
あったレベルのダメージ」


という喩えを聞いたことがあったが、
交通事故にあったことはない私でも
こういうことかと
納得せざるを得ないつらさだった。

子宮の収縮でお腹が痛かったり、
慣れない授乳で胸が痛かったり。

骨盤がゆるんでいて腰も痛いのに、
赤子は昼夜問わず抱っこ
(しかも立って歩かないとだめ)を
求めてくる。出血も続く。

産後の母親が
つらい気持ちになりやすいのは
ホルモンバランスが急激に変化するためだとか、
慣れない赤ちゃんの世話で
寝不足だからだとか聞くけれど、

仮にそれらがなかったとしても、
単純にあれだけの身体的ダメージを食らって
1ヶ月出歩けない状況になったら、
それだけでじゅうぶん
鬱々とするんじゃないかと思った。

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そして、産んだその日から
(つまり身体的ダメージがMAXの日から)
自分の横には赤子がいる


生まれたての赤子は
乳を飲むのも排泄をするのさえも
ぎこちなくて、
ちょっとした手違いで
死んでしまうんじゃないかと
不安で目が離せない。

寝ている赤子が息をしているか
確認するという話を聞いて、
産む前は大げさだよと思っていたけど、
産後ほんとうに頻繁に
確認せずにはいられなかった。

私は実家に里帰りしていたので、
母が身の回りの世話をしてくれて
生活の上での不自由はなく、
話し相手にもなってくれた。

それでもなお、
自分史上最長の体調不良と、
自宅軟禁状態と、か弱い赤子に感じる不安、
そうした状況が重なって、

今振り返ると、
見えないエアバッグに
ゆるやかに圧迫されているような
重たさがあった



母としての実感が湧かない

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そして、出産したにもかかわらず、
自分自身に「母になった」という実感が
いまいち湧いてこない。

赤ちゃんは、かわいい。
とっても、かわいい。

だけどそれと同じくらい、
もしくはそれ以上に、
死なないだろうかという不安を
感じさせる存在
でもある。


赤子が泣けば、
すぐにおむつを替えたり授乳したり、
抱っこしてあやしたり、
最善を尽くした。

自分にしてはかなりまじめに
取り組んだと思うが、それは

「こんな私が母親で、申し訳ない」

という、子どもに対する
うしろめたさを
少しでも紛らわせるためでもあった。


好きな歌を歌ってみた

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出産して、必死に世話もしているが、
それだけではどうも自分が
「お母さん」になれているか
自信がなかった。

赤子がぎゃんぎゃん泣くので
落ち着いてほしくて子守唄を歌ってみるが、
私は子守唄を1曲しか知らない。(歌詞もうろ覚え)

しかも、ぎゃん泣きのさなかでは、
ゆったりした子守唄なんて
かき消されてしまって
まったく赤子に届いていないようなので、
歌う気力もすぐに尽きてしまう。

そんなことを数週間続けて、
ついに効き目のない子守唄に嫌気がさした。


私はYoutubeを流し、
好きな映画のサントラ、
ミュージカルの曲、
カラオケの十八番のJ-popなどを
思いつくままにかけながら、
ぎゃん泣きに対抗する気持ちで大声で歌い、
抱っこしたまま歩いたり、
くるくる回ったりした。

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結論から言うと、
泣き止むかどうかという点において、
子守唄だろうとにぎやかな音楽だろうと、
選曲による違いは見られなかった。

私が何を歌っていようと
歌っていなかろうと、
赤子は泣きたいだけ泣いて、
永遠に泣いているのかと思った頃
なんとなく眠る。

それならば、もう
私の趣味でやらせていただこう
と思った。

少なくとも、
自分の好きな歌を歌って
それに合わせて揺すっているあいだは、
いつもより抱っこを軽く感じたのだ。
(ディズニーソングが多めだったのは、
私なりのささやかな配慮)

帰ってきた夫は
泣き声と熱唱との
あまりのやかましさに
驚いていたけれど、

夫の好きな曲をかけたら、
振り付きで赤子に向かって
パフォーマンスしてくれた。

赤子はなかなか泣き止まなかったけど、
それはそれとして、とても楽しかった


私まで踊ってしまい
体調が悪化したけれど、
気分は爽快だった。


※ この記事は2024年10月27日に再公開された記事です。

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