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公開 2018年02月13日  

仕事復帰する。そう決めただけで、こんなに気持ちが変わるなんて。 / 第3話 sideキリコ

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夏から引っ越し先の家探しを始めた円田家だが、理想の家とはなかなか出会えず、コレと思う家は手が届かない金額になってしまう。
夫・満の実家に泊まった夜、キリコは運命を感じた新築戸建ての家を購入するべく、奏太が幼稚園に入園する4月からライターの仕事を再開しようと決意するが…。


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第3話 side キリコ



週末を岐阜で過ごし、また始まった川口での月曜日。



キリコ 「あー、しんどい。体重い…」



一泊二日で義実家に泊まるとものすごい疲労感と、金曜日に残してた家事が私のやる気スイッチを完全にオフにしてしまう。



そんな事情などお構いなしに奏太はフルパワーで朝から遊びたがっている。

あぁ、録画しておいたアンパンマンを見ようか。次はどうする? 戦隊もの? 電車のDVD? 


ひとまずテレビに奏太をお願いして、私は最低限の家事をこなした。



キリコ 「…うおー、終わった」

奏太  「終わったの? じゃ、公園いこ! みどりのボール持ってこ!」

キリコ 「ちょちょちょちょ! お着替えしないと。それパジャマだよ?」

奏太  「いいの!」

キリコ 「良くないよ? てかさ、ちょっと休ませてよ…。ママ動けないよ…」



休みたい。一時間でいいからぼーっとしたい。



奏太  「もう行くの! はやく!」

キリコ 「そ…!」


思わず大きな声を出しそうになった時、ソファーの上にある私のスマホが鳴りだした。

なんだよ、なんだよ。今度は誰だよ。



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キリコ 「………わ!」



――土曜の夜、私は義実家の布団の中から「来年の四月から仕事できます。仕事ください」というメールを2つの会社に送っていた。


1つはインターネット広告事業をしている「ヨリミチ日和」という会社。

夫と出会った料理教室に参加したのは、ここの会社で「料理系」の記事を書くことになって困っていたからで、私がもともと料理上手だったら奏太は生まれてないわけだから、欠点も時には役に立つもんである。


そしてもう1つは「RAIRA」。

フリーペーパーの制作会社で、こちらは結婚したあとにタウン誌の記事を数回書かせてもらい、今後も色々と依頼したいですと言われた矢先に妊娠が発覚。

つわりで記事など書けず、連絡が途絶えていた。



そんなぐだぐだなライターのスマホが鳴っている。

液晶には「RAIRA」と表示されているではないか!

私はすっと立ち上がるとキッチンに隠してあったチョコを探した。


キリコ 「奏ちゃん、ママ、大切な電話だから、これ食べて待ってて」

奏太  「わぁ! チョコだぁ! やったぁ!」


大喜びの奏太を見てうなずくと、私は立ったまま電話に出た。ドキドキドキドキ……。


キリコ 「…はい、もしもし」

男性  「キリコさん、お久しぶりです」

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私の担当は女性だったよね? この人は…だれ?


男性  「神林です」


あぁ、あの30代前半の青白い顔の人か。

私が担当さんとの打ち合わせに行ったとき、「僕にも挨拶させて」と急に会議室に入って来て、話にいちいち突っ込みを入れていた人。話が進まないし、人の話聞いてんの? という感じだった。



キリコ 「あ…お久しぶりです。あの私の担当の…」

神林  「白石は去年、退職しました」

キリコ 「…あぁ」

神林  「それで白石のメールはぼくが引き継いでいたので、キリコさんのメールを読みました」

キリコ 「…ありがとうござい…」

神林  「それでさっそく本題なんですが」


相変わらず話を聞かない感じに、イラッとするけど大人だから我慢するよ、できるよ。


神林  「今、急ぎのものが一本あるんですけど、やれますか? 取材は済んでいます」

キリコ 「…あー」

神林  「ネット版“RAIRA”にアップされる記事で、さいたま新都心にあるマウンテンヌードルっていうラーメン屋の紹介文です。先月オープンしたんですが、なかなか集客できなくて苦戦しているそうで」

キリコ 「あの…」

神林  「取材内容は音源で送ります。文字数は見出し30字、本文1000字です。〆切は土曜の夕方でお願いします。キリコさんから原稿をもらったらチェックしてすぐにアップになります。どうでしょうか」



えーっと、4月に奏太が入園してから仕事を…と思っていたのだけど。なう、ですか?


キリコ 「…あのー、メールにも書いたんですが」

奏太  「ママー、まだチョコあるー? どこにあるのー?」


チョコを探してウロウロし始めた奏太に視線を送ると、こたつの上に置かれたままの戸建てのチラシが目に飛び込んだ。



…そもそもメールを送った理由はなんだった? キリコ、思い出せ。

お前は仕事をする目的があったはずだ。


キリコ 「あ…何でもないです。はい、やれます。やらせてください」

もらえる仕事をちゃんとこなせていれば、入園後にがっつり復帰できるかもしれないし、今は細い糸でもちゃんと繋ぎとめておかないと。

そんなこんなで私は思ったより早くライティングの仕事をすることになった。4年半ぶりに。



あー、仕事を請けてしまった、請けてしまったんだわ。どうしよう、いったん、夫にラインで伝えて…。

ワタワタしていると、神林からさっそくメールで音源が届いた。


――カンカーン!


と頭の中で鐘が鳴り、〆切までのカウントダウンが始まった。

わー、これこれ。頭の芯がピリッとする感じ。懐かしい興奮。アドレナリンが湧き出てくる。


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奏太  「ママ~! 早く公園に行こうよ!」


奏太に腕を引っ張られ、我に返った私は奏太に笑顔を向ける。


キリコ 「奏ちゃん、10数えるうちに着替えられるかな?」

奏太  「え?」

キリコ 「よーい、スタートッ!」

奏太  「あ! 待って待って!」



本当に自分でも単純だなと思うけど、好きな仕事をやれると思ったら気持ちが急上昇している。

早く仕事内容を読みたくてソワソワしながら、着替えを終えた奏太とパン屋に行き、公園のベンチでパンを食べた。あぁ、今日は空がきれいだなぁ。



奏太「ごちそうさま!」


いつもなら「ちゃんと食べてから!」と怒っているだろうけど、今日はパンを少しかじっただけでボール蹴りを始めてしまった奏太に微笑みつつ、スマホでカレンダーを見た。


キリコ 「うーん…土曜までってことは、一週間くらいあるし、見出し30字、本文1000字なら余裕かな。奏太を産む前は一日3000字を平気で書いていたし」


スケジュールの見通しがついてスッキリした私は足元に転がって来たボールを足で止め、「奏ちゃ~ん! 行くぞ~!」と言いながら蹴り返した。



奏ちゃんのママ。満の妻。そしてライターのキリコさん。

自分の呼び名が増えるだけで妙に誇らしげになるから不思議だ。



――あぁ、公園で遊び過ぎたのがいけなかったのか。午後に珍しく1時間ほど昼寝をした奏太は22時になっても起きていた。

「今夜は仕事しよう」と思っていた私は奏太の昼寝中に張り切ってデスク周りの掃除をして疲れてしまった。

あげく、夫から「新規事業を任されたから今日は遅くなる」というメッセ。



キリコ 「…ねぇ、奏ちゃん、眠くないの?」

奏太  「うん! ねぇ、ママ! くるまであそぼ!」


あぁ、寝てしまいたい。すべてを放棄して寝てしまいたい。

夕飯後の皿洗いも、散らかりまくったおもちゃの片付けも、奏太の歯磨きも…。



ウトウト…しかけて、瞼の裏に「屋上庭園のある家」が浮かんだ。

いかん! とにかく、寝かしつけるまで頑張ろう!


私は自分の重たい体を無理矢理起こし、奏太の夜のお世話をせっせとこなした。


一緒に布団に入り、絵本を5冊も読んで寝かしつけを頑張った。頑張った! 寝た! 寝たぞ! 奏太が寝たぞ!

さぁて! 今夜どこまで作業できるかな!?


ライターキリコさんのお通りだい! まずは音源の文字起こしをして…。

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※ この記事は2024年11月27日に再公開された記事です。

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