火曜日の午前中――。
俺はララウ本社でたんたんと「お直し依頼」の電話を受けていた。
フリープランのスタッフが優秀だったってことなんだろうね。
料金けっこう高いのに、依頼がすごいの。
この新規事業は当たりましたね、社長。
オフィスの掛け時計をちらりと見る。
長い針と短い針が12で重なる。
さぁ昼休憩だ。
お昼の電話番をララウ社員に任せ、俺はマスクで出来るだけ顔を隠して、いそいそと外へ出た。
そして足早に書店に向かい、辺りを見回してから店内へ。
あらかじめ選んでおいた本をささっと手に取り、コソコソっとレジに出す。
店員 「いらっしゃいま…」
満 「カバー…お願いします」
店員 「かしこまりました」
早くカバーして袋に入れてくれ!
なんて…こんなドキドキしながら本を買うのはいつぶり? 高校生ぶり?
当時、なんの雑誌を買ったかは聞かないでください。
店員 「ありがとうございました」
本屋の袋をすぐさま自分のバッグに入れ、競歩の選手ばりのスピードでララウ本社から少し離れたファミレスに入った。
…よし、ララウ関係者はいないようだ。
壁際の席に座り、そそくさとバッグから本を取り出す。
親になっても、好きな気持ちに嘘はつけない。19話 / side満
35,398 View転職先候補である名古屋にあるフォトスタジオを見学した翌日、内見した実家近くの戸建ては夫婦ともに理想通りの家だった。転職するとなると引っ越しも確実。「新しい可能性」を広げるため、満は迷いながらも真剣に転職に向けて準備を始める――。
第19話 side 満
1ページ目を開くと「転職成功10のコツ 履歴書&面接はあるポイントで決まる」とでかでかと書かれている。
転職活動は久しぶりだし、おそらくこれが最後になるし、ざわざわするけど、どうにか頑張りたいから、とりあえず本を読んで「これで大丈夫!」と思いたい!…んだよ、俺。
日替わりのチキンステーキランチがテーブルに運ばれてくると、俺は本を置き食べ始めた。
食べながら、転職エージェント・土井に言われてからずーっと頭の中にいる案件を考え出す。
「面接時に、自作の服を持って行くことになっていまして。もう準備しておいた方が良いと思います」
自作の服…。さて、なに作ろう。何が作れる?
募集締め切りが25日って言ってたから、書類選考して、受かったら面接なわけだし、製作期間は長くて2週間ってとこか。
平日は夜やるしかないし、休みの日も…夜しかやれないか。
服を作るの…いつぶりだ? ショップ店員の頃はショップの服を着ていたし…っことは専門学校ぶり? 卒業制作ぶり? え、そんなに前?
卒業制作かぁ…。懐かしいな。
あの時は超タイトなスーツ作ったよなぁ。ルパンみたいな。
今の俺が作りたいものはなんだろう。
今の俺は…。今の俺をつくっているのは…。
満 「…奏太」
思わず声に出して、俺はバッグからノートとペンを取り出す。
久々に作るなら…今作るなら…奏太の服がいい。
奏太に何を着せたい? 春になるし、デニムのオーバーオールとか? つなぎもかわいいんじゃないか?
俺は思いつくままに服のデザインを描き始めた。
楽しい。
高校の頃、授業そっちのけでノートに服の絵を描いていたことを思い出す。
「服を作る」という楽しみがあるせいか、午後の仕事はしんどく感じなかった。
我ながら単純だけど、こんなことを言うと気持ち悪いけど、恋でもしている心地だ。
そんな風に思っていたら、「川口に帰って来たけど、疲れちゃって奏太とダラダラしてる。なんだか風邪をぶり返しそうだし、早めに寝ちゃうかも」とキリからメッセが来た。
18時――。
定時で会社を出て、キリに電話をかけても出ない。
疲れてるってあったし、2人とも寝てるのかも。
そうか、日暮里に行っちゃう? 布、見に行っちゃう?
え、仕事帰りにいいの? そんな楽しいことしていいの?
でも服もつくらなきゃだし、と自分を納得させて俺は日暮里行の電車に飛び跳ねるようにして乗り込んだ。
あー、本当にこれは恋だ。好きなあの子に会いに行く、そんな感じだ。
あーダメダメだ。
気持ち悪いおじさんになってるけど、にやにやが止まらない。
電車が日暮里駅に着き、改札を出ると懐かしい風景にちょっとくらくらする。
専門学生の頃、通ったなぁ、わ、ここのコンビニまだある。
ふわふわした気分で布屋をめぐり、奏太に何を作ってあげようかと様々な布やボタンを見て回った。
この布であれを作ろうか、これもいいな、なんてついつい買い過ぎてしまう。そんな時、薄暗い路地にある一軒の布屋が目に入った。
満 「…うわ、やばい」
高校生の頃、岐阜から1人で日暮里に来たことがあった。
新幹線代と布を買うお金。
そんなものが手元にあるのはお年玉をもらった1月だけ。
まさに20年ほど前の今頃、俺は道に迷って、あの布屋に入った。
昔からやっている古びた建物にある布屋で、正直、値段は安くない。
だから専門学生の時は、種類も豊富で値段もお手頃なチェーン店の布屋に行ってばかりで入ったのはあの時の1回きり。
俺はガラスの引き戸を開け、中に入った。狭い店内にこれでもかと布が並ぶ。
時が止まったかのように、あの頃と変わってない。
店主 「いらっしゃいませ」
ニコニコしたおじいちゃんが出てきて、俺も軽く会釈する。
ご健在でしたか…!
そして俺はある布と目が合った。
この布でナポレオンジャケットを作ったな、高校の時。
いや、なかなか完成しなくて、出来上がったのは専門1年の夏だったけど。
見本で古着のナポレオンジャケットを買ってさ。あぁ何もかも懐かしい。
満 「…そうだ、これで奏太にナポレオンジャケットを作ろう」
昔と同じように布とボタンがたくさん入った紙袋を下げて、ワクワクした気持ちで俺は奏太とキリが眠る家に帰った。
――寝室でぐっすり寝ている2人を確認したあと、服で散らかった洋室に行き、ずっと端に置いたままだったミシンのカバーを取る。
満 「けっこう放置してごめんな。また頼むよ」
ミシンに話しかけてるなんて他人が見たらやばい光景だろうけど、俺の相棒であるブラザーのヌーベル470は「いいんだよ、満」と言ってくれてるような気がする。
奏太 「パパなにしてるの」
満 「わっ!」
急に声をかけられ、ビクッとなりつつ振り返ると奏太が立っていた。
満 「…起きちゃったの? 風邪は? 大丈夫?」
奏太 「大丈夫だよ」
満 「あー、ちょっといい?」
奏太 「なーに?」
俺はソーイングセットからメジャーを取り出し、奏太の寸法を測ってはメモしていった。
奏太 「パパー、ねむい」
満 「あ、ごめん。じゃあ、寝よう」
奏太 「だっこ」
柔らかな奏太を抱き上げ、寝室で眠るキリの横に下ろす。
奏太がすぐに寝息を立て始めたから、俺はリビングのこたつに入り、コンビニで買って来たおにぎりを片手に、デザインを描き始める。
満 「あ…」
出しっぱなしになっているフォトブックに気づき、手に取り開いてみる。
10代の俺がナポレオンジャケットを着て格好つけている。
なぁ、お前。よくぞ服飾の道に進んでくれたな。
自分の子どもに服を作ってあげられるパパってすごくいいよ。
ありがとう、俺。
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