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公開 2018年10月23日  

人生で一番頑張った。そう言い切れる、出産体験。<投稿コンテストNo.23>

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出産は人生で一番頑張ったことというReiさん。
出産後、毎日日記を付けているそうです。
巣立っていくその日までつける予定だとか。
子どもへの最高のプレゼントができそうですね。

出典:http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11038023174

>【第一話】から読む


出産は、私の人生で一番頑張った出来事でした。

今まで、苦手なことや困難なことにぶつかったときに、嫌だな、逃げたいなと思ったら避けてきたし、逃げ出していた。

私でなくても、今でなくても大丈夫なことが多く、頑張る機会を自ら避けて生きてきました。


出産は私にしかできないことで、避けられないことで。私が頑張るしかないことは産む前から分かっていました。


初めての出産は、妊娠高血圧のため誘発剤を使って産むことになりました。

出産予定日の前日の出来事です。

夜中に血圧が高い上に嘔吐があり、母体に負担がかかることを考慮しての采配でした。

とうとう、避けられない戦いがやってきたのです。


突然の出来事であったため、急いで夫に連絡をしてすぐに来てくれるように頼みました。

私は里帰り出産のため実家に戻っており、夫は最短で到着出来ても6時間かかります。

それまでは一人で痛みに耐えました。


何度も泣きました。

痛くて、苦しくて、怖くて、寂しくて。

一人では耐えがたく、何度も時計を確認して少しでもお産が進むことと、少しでも早く夫が到着することを祈りました。


その間、何人もの助産師さんがやって来て、30分経つごとに誘発剤の投与量を増やしていきました。

痛みはどんどん増して、痛みの間隔も短くなり、痛みを逃がさないといけないのにいきんでしまい、私も赤ちゃんも苦しみました。

いつまで続くか分からない痛みと戦い始めて9時間が経った時、夫が到着しました。

到着するとすぐに泣きごとを言ったのを覚えています。

不思議なことに、意識ははっきりとしていて、何を話したのか意外と覚えているものです。

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時刻は夜の6時。

ここからは夫と助産師のBさんとで3人の戦いとなりました。

昼は代わる代わる来ていた助産師さんが、夜勤の時間になり最後までBさん一人が担当してくれました。

私はBさんにすごく感謝しています。

Bさんなしでは出産出来なかったし、もし二人目を産むならば、またBさんに助けてもらい出産をしたいと思っているぐらいです。

どんどん強くなる陣痛は、子宮口5センチからなかなか進まず一番つらい時間帯でした。

陣痛が来るたびに痛みを逃がさないといけないことは分かっていても、どうしても思い通りにいかずいきんでしまい…。

夫とBさんに呼吸法を手伝ってもらい、お産が進むのを耐えました。

痛さのあまり、何度もナースコールを押しBさんに子宮口が開いていないか確認してもらったり、泣きごとを言って迷惑をかけたり、励ましてもらったり。

Bさんは嫌な顔一つせず、私のお産に寄り添ってくれました。


その間夫はBさんを見て学習し、モニターの見方を覚えて陣痛の波がくる瞬間を教えてくれるようになりました。

何度も「くるよ!」って言われるたびに息を逃がそうと努力しました。

Bさんも私につきっきりではいられないため、夫の存在は本当に助かりました。


子宮口5センチを超えてからの展開は早く、駆け足で物事が進んだ感覚でした。

痛みの種類が変わり、すごく何かを出したい感覚に。

それまでは私は体のどこも触ってほしくなく、助産師さんにも夫にも背中を擦ってもらうことはありませんでした。

しかし、この痛みに変わってからは肛門の辺りを強く押し返して欲しい感覚に襲われました。

Bさんからやり方を聞いた夫に、毎回波が来ると強く押し返してくれるように頼みました。

それでも押しが足りないと思ったのは強く覚えています。


また、痛みの波が来るたびにすごく叫びました。

叫ぶことで息が抜け少し楽にはなりましたが、赤ちゃんは苦しかったと思います。

いきみたいのにいきめない、今までと違う感覚の痛みはそれまでの痛みとは別で苦しかったです。


何度もナースコールを押して、「もう終わり?」と確認すること数度目でついに子宮口が8センチになり、分娩台に移動することになりました。

分娩台に移動する時には、やっと待ちに待っていたゴールが近づいたのに、痛くて移動したくないと駄々をこねてしまい、二人がかりで抱えられて運ばれるように歩いて移動しました。

そこから先の展開はさらに速く、さっきまでいきんではいけなかったのに急に許しが出たので、すごく楽だと思いいきみたくてしょうがなくなりました。

陣痛が来ていないのにいきんでしまい、Bさんに陣痛が来たことを教えてもらい、その都度いきみました。

いきまないことは苦手で、やり方が分からずに何度も駄々をこねましたが、いきむのは上手だと褒めてもらい分娩台に移ってから出産までの時間は短く、あっという間でした。


何度かいきみ赤ちゃんの顔が見え、でもあともう一息が足りず、ついに会陰切開をすることになりました。

出産前は、麻酔もなしに切られることを恐れていましたが、実際は麻酔をかけての切開で、いきんだタイミングに「ちょっきん」と3箇所切られたのが分かりました。

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そしてついに無事出産の瞬間が訪れました!

生まれた瞬間に「思っていた声と違う!」と言って、周りにいたBさんたちが笑ったのを覚えています。

なぜか分娩台に移ってからは、饒舌なぐらい一人で色々と話していました。


無事に産まれてきてくれて、色々と思うことはあったけど、とにかく「つかれたー」と思いました。

前日から徹夜な上、ずっと陣痛の痛みに耐えて食事もろくにとっていなかったので、終わったことに対しての安心感は尋常ではありませんでした。

無事に出産を終えることが出来て、Bさんと夫にすごく感謝の気持ちを抱きました。



こうして、私の初めての試練は終わりました。

分娩所要時間は12時間46分。その間、夫が到着するまでの9時間はほぼ一人で痛みに耐えました。

30分経つごとに誘発剤の投与量を増やすために助産師さんは来ましたが、私がどこも触ってほしくなかったので、すぐに席を外すことが多く、夫とBさん体勢になるまでは苦しかったのを覚えています。

あまりの痛さに、途中で「帝王切開に変えて欲しい」とか「もう嫌だ」とか「だれも助けてくれない」とか…。

散々なことを言ったことを覚えています。

それでも私はやりきりました。

出産の過程は人それぞれで、私の場合は今までで一番頑張った出来事となりました。


生まれた赤ちゃんは、もうすぐ半年になろうとしています。

出産前は、出産が山場だと思っていましたが、実際は乳腺炎の心配や睡眠不足、過労など試練は続いています。

これからも悩みや心配事は絶えず、試練は続いていくことと思います。

ありきたりな言葉ですが、赤ちゃんを育てることで私が一人の人間として成長する機会を与えられていることを毎日実感しています。

毎日完璧な母親でいる自信はありませんが、出産を通じて成長した経験を通じて、困難に向き合う強さを得た気がします。

「良い母親でいるのか」どうかを毎日自分自身に投げかけ、一日が終わる度に振り返っています。

赤ちゃんが生まれてから今日まで、私は毎日日記を書いています。

生後170日現在で文字数は11万5千文字を超えました。

赤ちゃんが私の元を離れていく日まで毎日書いていくつもりです。


いつか赤ちゃんが私と同じように誰かに恋をして結婚し、その人の子どもを産む時。

私が側にいて助けてあげられるか分かりません。

彼女も私と同じように悩み、そして成長すると思います。

その時に、少しでも何かの助けになればと思い日記を書いています。

ライター:Rei

※ この記事は2024年10月31日に再公開された記事です。

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連載「第一回 記事投稿コンテスト 『出産』」 #23
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