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公開 2019年06月16日  

年子育児の洗礼?荒ぶる1歳の「おにいちゃん」を悩み見守った日々

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我が家は年子兄妹。1歳のときに妹が生まれた息子は、おだやかな性格が一変して激しく乱暴に。
2人分の泣き声と一緒に泣いてしまっていた日々が、どうにか落ち着くまでのお話です。


「お兄ちゃん」になっての不安定さに、悩む。


現在2歳の息子。彼が1歳の春、年子の娘が産まれました。

息子と娘が初めて対面した日、彼が「この小さい生き物は何だろう?」というような顔で妹を眺めていたのを、約1年たった今でも覚えています。

息子は元々、穏やかな性格の子どもでした。

優しくて明るい笑顔が本当にキュートで、親の欲目かもしれませんが、一時預かりで通っている保育園でも可愛がっていただきました。

同じクラスのお兄さんやお姉さんだけでなく、他のクラスの保育士さんにまで名前を覚えてもらい、たくさんの人からかまわれていました。

自分よりも月齢が下の子を気にかけてあげる優しさを見せ、担任の保育士さんから褒められることも。

ですが同時に、少し繊細でデリケートな面もあり、遊んでいても周りを気にするようなそぶりを見せたり、1歳になってからは毎晩のように夜泣きをしたりと、それも個性とはいえ、少し気になってはいました。

そんな息子は妹が生まれた直後の梅雨の頃 から、何か気に入らないことがあると、すぐに手が出るようになりました。

担任の保育士さんから、「おもちゃの取り合いで喧嘩になって相手を突き飛ばしてしまった」。

「お昼ご飯がうまく食べられなくてフォークを投げつけた」

など、あまり喜ばしいものではないお話が、毎日のように連絡帳に書いてありました。

保育士さんは「発達段階ですから…」と言ってくれましたが、ときには「赤ちゃんが産まれて色々と我慢してるんじゃないですか?」とも言われました。

「赤ちゃんが来てから、前のように構ってもらえない」

息子がそう思っていたかどうかはわからないので、あくまでも想像ですが、何かしらストレスを感じていたのは間違いないと思います。

赤ちゃんがえり、と呼ぼうにも、1歳の息子もまだまだ赤ちゃんみたいなものです。

何かあるたびに保育士さんから「寂しさのあらわれじゃないかと」「もっと息子さんを抱っこしてあげてください」と再三言われ、なるべく抱っこするように心がけていましたが、息子の状況はそれほど変わりませんでした。


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何度も「もう無理だ」と思う日々


保育園のお迎えから家に戻ると、主人が帰ってくるまでは私と子供たちの3人だけ。

私は、この夕方から夜にかけての時間帯が一番つらかったです。

この頃、0歳の娘はハイハイし始め、とても好奇心旺盛な時期。

色々なものを手当たり次第に触ったり舐めたりと、忙しく動き回ります。

そんな妹のちょっとした動きも気になるのか、息子は目の前のことに集中できず、上手に1人遊びをすることができません。

すぐに私を呼ぶので夕方の家事は何度も中断され、いっこうに進みません。

家の中は基本的に散らかり放題でした。

一方の娘は息子の遊んでいるオモチャが気になって仕方ないらしく、すぐに息子の方に近寄っていきます。

そうなると、いつも凄まじいおもちゃの取り合い(というか、最終的には息子が一方的に奪う)が起こり、娘は毎回大泣き。

力加減が難しい息子と、まだまだ弱々しい娘のいさかいが頻発し、私はいつも目を離すことができず、へとへとでした。

取り合いに負けて泣く娘を私が抱き上げると、今度は息子の方が自分も抱っこしてもらいたくて大声で泣きます。

仕方なく、まだ泣き止んでいない娘を下におろして交替で息子を抱っこ。

すると、抱っこで少し落ち着き始めていた娘が再度大泣き。

でも息子は私にしがみついて、気が済むまで離れません。

毎朝毎晩、これを繰り返していました。

仕事が忙しい主人の帰りは毎日遅く、相談したくても夫婦でゆっくり話す時間はなかなか取れません。

私にとって家は、「言葉が通じる大人」と話す機会がない、閉鎖的な空間でした。

慣れない年子育児と保育士さんからの言葉が重くのしかかり、お迎えの時間が近づくたびに気分が落ち込んで、いつしか3人で過ごすことが怖くなっていく自分。

真夜中に、誰も泣いていないのに子どもたちの泣き声が聞こえた気がしてハッと目が覚めてしまうくらい、耳に染み付いた泣き声。

散らかった家の中で、だんだんと私は孤独と不安を募らせていきました。

やがて私は、「私の育児には何か問題があるのでは」

「私は息子にじゅうぶんな愛情を注げていないのではないか」

と、自分の愛情にすら疑いを持つようになりました。

対処法を育児書やネットで調べたり、保育士さんたちにアドバイスを求めたり、必死で色々試してみましたが、目立った効果はありませんでした。

今振り返ってみると、その当時の私は産後間も無かったこともあり、心身ともに非常に不安定だったのだと思います。

子どもたちが可愛いはずなのに、とても苦しい日々。

家の中は泣き声で埋め尽くされ、気付けば子供たちと私の、3人みんなで泣いていたこともありました。

何度も、「もう無理だ」「全部投げ出したい」と思いました。



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息子に「変化の兆し」が現れる


ただ、夏が終わり短い秋が過ぎ、冬に差し掛かったころから息子に変化の兆しが現れました。

娘に対して優しさを見せ始めたのです。

朝起きるとまず娘に「おはよう!」とあいさつをしに行き、娘が泣くと「エーンエーンしてるよ」とわざわざ呼びに来てくれます。

その頃から保育園での行動も変わり始めたらしく、保育士さんから「使いたいオモチャを他の子が使っていたら、少し待てるようになりました」と報告をもらうようになりました。

そして息子は最近、自分が使っているオモチャに娘が興味を示すと「どうじょ(どうぞ)」と貸してくれることも!

20回に1回くらいの割合ですが、そのたびにすごく感動します。

その他にも、自分からすすんで歯磨きができるようになったり、語彙が増えたりと本当に多くの面で成長が見られます。

何か彼の行動が変わるキッカケがあったのかと言われると、残念ながらよくわかりません。

ただ、息子は一気に色々なことができるようになりました。



息子の成長に、救われる


あの頃の私は毎日、どうすれば息子が娘を攻撃しなくなるのか、どうして娘に優しくできないのか、いつも悩んで迷って苦しんでいました。

息子の色々な行動すべてを、これまでの自分の育児に悪いところがあったせいではないかという思い込みと結び付けてしまい、「私はダメな母親だ」と自分を追い詰めていました。

なので、「息子ができるようになったたくさんのこと」は、そんな私の気持ちをずいぶんと楽にしてくれました。

「これまでの関わり方が悪かったわけではないのかも」と思えたのです。

育児に手を取られて家事が進まないということも徐々に減り、日々の生活で少しひと息付く時間を取る余裕も出てきました。

息子の成長を通じて、我が家にもようやく暖かい春が訪れつつあることを感じました。

「育児に正解は無い」とよく言われますが、そうは言っても落ち込むことや悩むこともありますよね。

そんな時は、小さくても「子どもができるようになったこと」に目を向けると、少し気持ちが楽になるかもしれません。

年子育児は大変ですが、私の平和は、やはり2人の子どもがくれたのです。


※ この記事は2024年11月21日に再公開された記事です。

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