2学期初日、長女は提出するはずだった夏休みの工作を、家に忘れていった。
その日の夜、「明日は工作忘れずに持っていくんだよ」と声をかけたのだけど、返事がない。
どうしたの、と訊ねると、長女は「みんなの工作がすごかった」と気まずそうに笑った。
「そっか。みんなどんなだったの?」
「うんとね、きこちゃんはハロウィンの飾りをつくっててね、かぼちゃがこんなに詰みあがっててね、けんと君はね、がちゃぽんをつくっててね、しかもちゃんとカプセルが出るの。まほちゃんもはるちゃんも、ひなたくんも、みんなすっごく上手だった」
そう言って、手元の自分の作品に目を落としていた。
長女の作品だって素敵だ。
百円ショップで買った、クリア板がついた木の箱の中に、ボンドで砂をたくさん敷き詰めて、貝やビーズや小さな人魚姫なんかを貼り付けた。
箱の周りには、彼女のお気に入りのマスキングテープがきれいに貼ってあって、天面のクリア板にもきれいなビーズが貼ってあった。
彼女がひとりで考えて、ひとりでつくったのだ。
どうしても糊がうまくくっつかなかった側面を、少し手伝った以外は、特に手を貸したりもせず、私は隣で見ていたり、末っ子のお昼寝の寝かしつけをしたりしていた。
材料も、百円ショップに行って、彼女が自分で選んできた。
私はお金を出しただけだ。
だって、それは彼女の作品だから。
自分が思い描いたものを、つたなくてもアウトプットすることに、意味があると思ったのだ。
出来上がった作品は、雑なところもあるし、過剰な部分もある。
全体のバランスだってよくない。
まだまだ集中力の限界もあるから、心が折れたんだな、と思う箇所もある。
でも、それが、7歳の長女のリアルな作品だから、私ははなまるだと思った。
「今」しかつくれない作品だもの。
だけれど、実際に学校でみんなの作品を見て、彼女はショックを受けたのだ。
みんなきっと、完成度の高い、隅々まできちんと仕上げた作品を持ってきたのだろう。
それを見て、自分の作品を思ったときに、少し惨めな気持ちになったのかもしれない。
「せっかく作ったけど、もしかして、これを持っていくのが嫌?」
と訊ねると、ちいさく「うん」と頷いた。
「これもすっごく素敵だよ?」
と伝えたのだけれど、長女は曖昧に微笑んでさらにつづけた。
「ここのところがちょっと取れちゃってるしね、砂がうまくくっつかなくてぐちゃぐちゃに見えるでしょ?蓋も割れちゃったし…」
作品が出来上がったとき、長女は嬉しくて嬉しくて、それを持ってお出かけすると言い張って、車の中に持ち込んだことがあったのだ。
その時に、天面のクリア板が割れてしまっていた。
テープで修復したのだけど、みんなの作品をみた後、それは長女にとって受け入れがたい傷になったらしい。
そのほかのちょっとしたアラも、きっと同じだ。前日まで気にならなかったいろんな部分が気になって、その作品が急に色あせて見えていたようだった。
時計を見ると時刻は20時。
長女がせっかくひとりでつくり上げた作品を、全肯定したいし、さらに言えば、明日も早起きなのだし、なるべく早く、なんなら今すぐにでも、お布団に入ってほしい。
が、長女はとてもしなやかな性格をしていて、ふわんとしていながら折れない心を持っている。
こうと決めたら、静かに、石のように、てこでも動かないのだ。
もし、もうすでに、この作品を持って行かない、と心に決めているのだとしたら、よほどの力技を使わない限り、彼女の意思は変わらない。
もし、いちからつくる、と決めているのだとしたら、もう決行しなければならない。
なんと言ってももう、20時だ。
我が家では21時には鬼が来ることになっている。
鬼が来る前になんとか決着をつけたい。
「新しく作品をもうひとつつくる?」
ほとんど提案する形で訊ねると、長女は、はっきりと「うん」と答えた。
やるしかない。
なにをつくるかあれこれヒアリングする時間もないから、「一年生、夏休み、工作」で、検索した。
ちがうのに、私はあなたのインスピレーションを大事にしたいのに、ともうひとりの私が頭の中で喚く。
そんなこと言われても、もうすぐ鬼がやってくるのだ。
誰かの知恵に寄り掛かるよりほかない。
検索結果の中に、「UVレジンでつくる貝殻の宝石」というのを見つけた。
長女はUVレジンでアクセサリーを作るのが大好きだ。
レジン液も、UVライトもある。貝殻もまだたくさんある。写真から察するに、貝殻にレジン液と、ビーズやアクセサリーのパーツを入れて、固めるのだろう。
ビーズもまだまだたくさんある。
これだ。
長女にスマホの画面を見せると、目を輝かせて喜んだ。
使い捨てのランチボックスに、きれいな毛糸を敷き詰めて、貝殻でつくった宝石や、余った貝殻やビーズを並べることにした。
長女が、貝殻にレジン液を流し込んで、ビーズを入れて、私がUVライトにあてる。
長男と末っ子がまとわりついたり、やりたいと泣いたり、パパじゃいやだママがいい!と叫んだりしながら、なんとか貝殻の宝石が9個出来上がった。
箱に入れるとあら、いい感じ。
あとは貝殻を入れる箱をそれっぽく装飾する。
表面に貝を貼るのだとか、ふたの裏に絵を描いた紙を貼るのだとか、側面に波を描くのだとか、長女のクリエイティブが暴走するのだけど、貝殻の宝石が出来上がった今、時刻はもう21時だ。
蓋の裏側に貼るらしい絵を、描き始める長女。
下書きの時点でなんだかいろいろと細かい。
下書きを描いて、色を塗るのだろうけれど、その1枚に何分かけるのか、胸がざわつく。
迫る時間と、彼女のクリエイティブの狭間で揺れながら、無粋と知りつつも、所々口を出してしまう。
さもないと出来上がるのは明日の朝だ。
隣で「末っ子ちゃんも描く!!!」と末っ子が椅子に座って叫んでいる。
階段の下では「ママとじゃないと寝られない」と長男がぼやいている。
夫はこの惨状を差し置いて、健やかに眠ってしまった。
なんていうか、無垢。
出来上がった作品は、とってもかわいらしかった。
長女が好きなピンクや薄紫のビーズが、とってもロマンティックだった。
ふたりでこうしてつくるのも、それはそれでいい思い出になるような気もする。
後日、子どもたちの作品を集めた作品展が学校でひらかれた。
教室の前にカラフルな作品がずらりと並ぶ。
驚くほど精密な力作もあれば、びっくりするほどシンプルな作品もある。
どれがいいとか悪いとか、そんなことはちっともなくて、どれもこれも最高に素敵だった。
まだまだ、創作の入り口に立ったばかりの子どもたちの、創意と工夫の集合が、ただただ、愛
くるしかった。
おばあちゃんに教えてもらったんだな、と思うものもあれば、おじいちゃんとつくったんだな、と思うものもあって、その背景もまた、微笑ましかった。
ひとりでつくっても、誰かとつくっても、上手でも下手でも、やっぱりみんな天才だった。
長女の作品も、紆余曲折を経たところも、私が口出ししちゃったことも含めて、これが今の長女の作品なのだな、と思うと、これが今の彼女の百点なのだな、と思った。
夜遅くに思い直して、妹と弟がぐずぐず言って、ママがやきもきして、眠たい中、やっとできた宝石箱、それが長女1年生の作品、だった。
じゅうぶんはなまる。