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公開 2019年10月25日   更新 2022年03月25日

胎児に重い診断。絶望を照らしたのは「はじめて生んだ子」だった。

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次女ちゃんの心臓疾患の全体像が分かった長い長い一日と、長男の一言で「それでも頑張ってみようか」と思った日のお話。
妊娠~出産までをつづった4部作連載、2本目。


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名医がこだわった「見えない大動脈」

頑健なる肉体にハイリスクな赤ちゃんを、宿したハイリスクな妊婦の私。

もちろん、足しげく白い巨塔に通う…

のかと思いきや、意外と普通の妊婦生活を送っていた。

検診費も、検査・検査の応酬で、愛する諭吉と涙の別れが待っているのかと思っていたが、基本的に普通の妊婦と同じ。

妊婦検診無料券なる新しい文化が開花したおかげで、9年前の息子妊娠時より、費用はむしろ安くなったくらいだ。

お金は大事だ。

何しろ、おなかの子は「3億円ベビー」かもしれないのだから。

そんな、いまのところは「3億円かかるかもしれない胎児」の次女ちゃんは、お腹の中で絶賛暴れん坊の29週と6日目。

検診はおなじみ、胎児エコーの権威にして、よしもと新喜劇の座長に激似のすっちー先生。

「この子、足でプローブ押し返しとる」

「絶妙に見えへん角度に体を持っていくんよな…」


病児の自覚はあるのかお前は、という不遜な態度を取り、あろうことか高額な医療機器を母の腹越しに蹴とばす始末の次女ちゃん。

なんかすみません先生。

出生前から母親に頭を下げさせるとは、何という不良娘か。


エコー死闘を繰り広げたすっちー先生は、診察後にある提案をした。

「お母さん、今ね、赤ちゃん一番いい大きさだから、今度のえーと…土曜日!もう1回エコーとっても良い?」

良いも悪いも、次女ちゃんの命を預けるこの名医がそうおっしゃっているのだ。

「全っ然っ大丈夫です!行きます!」

2つ返事で了解した。

胎児が小さすぎると臓器が見えづらく、そして大きくなると、今度は胸骨がしっかり出来上がってしまい確認を邪魔してしまうものらしい。

30週を迎える今こそが、ベストなエコータイミングという事らしい。

「土曜こそは、この血管が見えると思うんやけどな~」

天邪鬼な次女ちゃんは、先生が気にしていた「見えない大動脈」の正体を、この時は明かしてくれなかった。

運命のエコー検査。その画面に、身を乗り出した

"土曜日"はやってきた。

とうとうお腹の子の心臓の全容が明らかになるのかと、初めて訪れた、母子周産期医療センター病棟。

隣には、6歳の長女を連れて。

アポロチョコとお絵かき帳を携えているが、大一番のエコー検査の証人なのだ。

ものものしい雰囲気を感じながら入った診察室には、ラガーマンのごとくいかつい男性。

体格に反して消え入りそうな声で話す大男は、М医師。

髪の毛程の新生児の血管に、糸の細さの針でルートを取る神の手を持ち、次女ちゃんの出生後、はじめの主治医にもなる人物だ。

森の木陰でハイホーな見た目から、通称「コロボックル先生」。


そして始まったエコー検査。

邪魔にならないか心配した長女は、薄暗い部屋でアポロチョコをもりもり食べて、大人しくしていた。

「お姉ちゃんだからいい子にしてるの。」

えらいぞ、君はずっと妹ができるのを楽しみにしていたんだもんね。

同席したすっちー先生と、新登場のコロボックル先生は、いつもより慎重な様子だ。

同じ所を何度も行き来しては確認し、こそこそと相談していた。

エコーがついに胎児の胸部を大写しにした、その時。

「あ?これ逆やな…あーそうかそうか、肺動脈やこれ、TGAやな」

「逆子ですね、で、PAとSV…」

2人の医師はハイハイそういうことね、あーだからね、わかったわかったと物凄くすっきりした表情でうなずき合った。

え?なになになに?

お母さん完全に置いてかれてんねんけど。

そして逆子って何?今初めて聞いたけど。

腹が出てきてからすっかり使えなくなった腹筋をフルに使って、上体を起こし画面を盗み見る。

「お母さん、大体見えた!向うの面談室行こうか、説明するわ。」

すっちー先生は私を別室へと促したのだった。


予想を超えていた、診断名

面談室と銘打たれた小部屋では、窓際にすっちー先生と、コロボックル先生。

向かい合う形で私と長女が座る。

長女は早速お絵かき帳を取り出して、絵を描きだした。

チョコはあらかた食べつくしたらしい。

もう食ったんかい。


「今回はM先生が説明するな、新生児の循環器の専門やから。」

「…ハイ、今回は僕の方から…。」

コロボックル先生は、肺と心臓が簡略化して描かれた紙に、ペンでカリカリと何かを書こうとしていた。

「…あ、間違えちゃった。いる?お絵かきにつかえるよ。」

そう言って、心臓イラスト入り用紙を長女に寄越した。

大丈夫かハイホー?

そして笑顔で「ありがとー」と受け取る長女。

この娘は肝が太い。

「で、今回分かった心臓の状態なんですが。」

コロボックル先生は、ゆっくりと小声で続けた。

「赤ちゃんが逆子だったこともあって、大変分かりにくかったんですが、これまで大動脈と診ていた血管は肺動脈でした。血管が入れ替わっている、これは『大血管転位症』という先天性心疾患のひとつです。」

「その肺動脈ですが、これがほぼ閉鎖に近い、肺動脈弁狭窄症です。」

「そして、左心室と右心室の心室中隔がありません。単心室症と考えて良いと思います。これが一番メインの疾患になると思います。」

「あとは…心臓が大きく右に傾いている事、右胸心である事と…ちょっと余分な血管もある感じで…これは生まれてからじゃないと確認は難しいかな…。」

もそもそと話しながら、先ほどのイラストから心室中隔を斜線で消し、肺動脈と書かれた血管にバツ印を付けていく。

その上で書き込まれていく、聞きなれない疾患名。

…文字が汚くて読めない、顔を近づけても読めないよ、コロボックル。

読めないながら、これは私の予想の斜め上を通り越して、かなりとんでもないことなのでは?

奇跡が起きて何とかなる範疇ではないですね、神よ。


固まる私に、すっちー先生が告げる。

「胎児だから、生まれてみないと詳細は分かんない事もあるけど、こういのを『複雑心奇形』って僕らは呼んでるんやわ。」

先生達のお見立ては、以上だった。


「もしもの可能性」から、目をそらしたい

心臓の形状、位置、血管、すべてが「思ってたんと違う」。

こんな状態で生まれて、この子は数分でも生きていられるんですか?

というか、今この瞬間も大丈夫なんですか?

先生がまとめてくれた説明用紙に、限界ギリギリまで顔面を近づける。

ほぼ猫の「ごめん寝」をキメる私に、М先生は厳かに口を開いた。

「生まれてきたその日に、改めて心臓と血管、他の臓器の状態を確認しますが…。ご説明した見立ての通りであれば、」

ハイ!ハイハイ!どうなりますか?

がばっと顔を上げる私、どうなんどうなんどないなるん!?

「最低でも3回の手術が、数年に分けて必要になります。」


さんかい?産科医?3回って?言ったか、今?

最低でも?多くない?


М先生は間欠泉のごとく動揺が顔面から吹き出している私に、さらに続けた。

「手術なしで、長期生存するという事はできません。」

「手術を受けられる状態を作れないまま、低酸素にならないよう、肺循環を維持する治療に切り替える場合もあります。」

「…手術自体が大変複雑なものになりますから、途中で命を落とす可能性も、十分あります。」


















「…それは、こまるます。」

もはや日本語もおかしい。

先生、色々、何とかして。

私はただ普通に、3人の子どもの母親をやりたいだけなんです。

想定外の説明に流石に涙腺が決壊しかけた。

余計な事だが鼻水も、鼻の奥にスタンバイOKだ。

が、退屈な時間を我慢しながら、隣でいい子にアンパンマンを描いている長女を、動揺させるような事はあってはならない。

「ズビッ・・・」

気合いで鼻水と涙を吸い込んだ為、結構な音が室内に響いた。

しかし長女は母の鼻水音は意に介さず、鼻歌など歌いながら、今度は裏面にバイキンマンを描き始めている。よかった。

"殺菌滅菌清潔第一"の大学病院で、バイキンマンとかどうなん、長女。

そんな緊迫しているんだか、呑気なんだか分からない母娘に、М先生は優しい口調で、一語一語ゆっくりとこう続けてくれた。

「お母さん、赤ちゃんは確かに、オリンピックに出られるようにはならないんですが。」

「僕達は、赤ちゃんが大人になれるように尽力します。」

「でも時間はかかります。」

「お母さん、頑張りましょう。」

今まさに垂れてきそうな鼻水と、脳内にこだまする『死の可能性』の衝撃と戦いつつ、この日のМ先生の言葉は、いつまでも私の心に残った。



しかし心臓疾患は確定した。

しかも重度で複雑らしい。

「大人になれるように尽力する」という事は、一定大人になれない子もいたという事なのだ。

M先生の、多分かなり言葉を選んでくれた絶望の説明を脳内に何度も反復する。

「神、死んだな。」

と思った。

ニーチェか。

「頑張って」と言われても、まったく未知との遭遇である心臓疾患を前に、私は何を、頑張ったら良いのだろう。

希望は、はじめて生んだ、あの子の言葉

翌日は長女の運動会。

天候が心配されていたが、快晴。

太陽は眩しく、長女は『てのひらを太陽に』を歌い、喜びの舞まで飛びだす始末。

そんなかわいい姿を後目に、母の心は、完全にダークサイドに墜ちていた。

(ミミズだってオケラだってアメンボさえ、生きているというのに…。)

しかし今回は、長女の幼稚園最後の運動会。

張り切る長女の為に、その雄姿をカメラに収めようと会場を歩きまわれば、やはり8ヶ月目の妊婦のお腹は目立ってしまう。

「あら!3人目ちゃん?」

ママさん達に笑顔で声をかけられる。

当然だ。妊娠も出産も、慶事なのだから。

むけられるお祝いの言葉や、体調を気遣う言葉。

けれど私は「もしかしたら、生まれても死ぬかもしれない子」の予定を詳細に話すのがためらわれて、極力猫背ぎみに、お腹をかくして会場を歩いた。


寂しかった。


運動会の目玉競技は『親子競争』。

大体の家庭ではパパが子どもと一緒に出場するが、長女は「長男君と一緒に走るの!」と主張。

夫のいじけ方は尋常ではなかったが、兄妹手をつないで親子競争に出場することになっていた。

当時小学校3年生だった長男と、成人であるパパ達では、体格が違いすぎて、分が悪くないか?と心配した。

ところが運動不足の中年パパ達より、日ごろから縦横無尽に駆け回っている現役小学生の足さばきは意外に早く、2人は一等賞でゴールテープを切ったのだった。

「お兄ちゃんいいわねぇ」

「息子君かっこいい!」

などと、ギャラリーの先生方や保護者達が褒めそやし、長男はご満悦。

気をよくしたのか、鼻を膨らませて、私に宣言した。

「お腹の次女ちゃんも幼稚園に入ったら、運動会は僕が一緒に走ってあげるから!」

「弟がいい」と無茶ぶりしたくせに。お前ってやつは。

「でもさ~、走ったり飛んだりは、できない子かもしれないんだよ。」

そう言っても

「そうなったら僕がおんぶして走ってあげるやん!」

といって聞かなかった。

この子も、もう1人の妹が、生まれるのが本当に楽しみなのだ。

「そうだねぇ、運動会に出られるようにしてあげないといけないね。」

私は、嬉しそうに私のお腹を眺める長男に、自然に言葉を返していた。

大丈夫。きっと、大丈夫。

この日、長男の「運動会は僕が一緒に走る」宣言を受けて。

「頑張って産もう、それで育てよう。」

少しそう思えた。

オリンピックには出られなくても。

運動会に出られるようにはしてみせよう。

そう思った。

出産予定日まで2カ月を切った、10月の出来事だった。



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※ この記事は2024年09月22日に再公開された記事です。

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