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公開 2019年11月05日  

はじめての運動会でビリ。その姿で「いい母親」に近づけた気がする

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期待をふくらませていた初めての運動会。けれど、かけっこで、緊張のあまり息子はビリに。親戚に「かけっこ」の結果で比べられたとき、わたしは動揺を隠しきれませんでした…。


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初の運動会に感動しつつも、生まれた「ある気持ち」


我が家は夫婦と2歳息子と1歳娘の4人家族。

共働きのため、子どもたちは保育園に通っています。

今年は初めての運動会。



ダンスや競技にと、まだ小さい2人が頑張る姿を見てたくさん感動した1日でした。



ただ、2歳息子が「かけっこ」に出た時。

雰囲気に飲まれ、スタート時に泣いてしまった息子。

そのせいで走るのが大幅に遅れ、ビリでゴールすることに。


その結果を見て「よく最後まで頑張った!」と思いながらも、同時に浮かんだある気持ちに自分でも驚きました。


「ああ、また、比べられるのか…」



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いつも比較される息子


息子には1歳上の3歳の従兄弟がいます。

その子は運動神経がとても良く、2歳の時にはすでにサッカーのドリブルや、大人とのキャッチボールをしていました。


会話もしっかり成立していて、どうやら発達が同世代の他の子よりも早いようです。

その甥っ子と1歳差で年が近い我が息子は、親戚たちからいつも比較されます。

子どもが2人いれば成長を比べたくなる気持ちもわかるし、悪気は無いのだと思います。



ですが、比較されることで「できない」ことを指摘されたような気持ちになることも、しばしば。


気になりはしますが、成長は子どもそれぞれだということも分かっているつもり。

なので、なるべく気にしないように努めていました。


かけっこの結果を比較されたときに浮かんだ気持ち


子どもたちの運動会が終わった次の週、親戚の集まりがあり、自然と話題は運動会に。

運動神経のいい甥っ子は、かけっこでダントツ1位。

「負けないようにがんばったんだよ!」と笑顔で話していました。


一方、ビリだった我が家の息子。

それを知った親戚の一人が、「1位とビリかぁ。そりゃ、残念だったわね。」と一言。



もしかすると、息子と私の気持ちを推しはかっての、励ましの言葉だったのかもしれません。



でも、私の頭の中では、息子の結果が否定されたような気がしてしまいました。

そして、「残念だったわね」という言葉が、頭からこびりついて離れませんでした。

私は笑顔でやりすごしながら、「ああ、やっぱり知られたくなかったなぁ」と思いました。


そして、同時に「息子が、もっと運動ができれば、こんなこと言われないのに」と思ってしまったのです。



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堂々とできない自分に失望

不安や緊張で涙が出ているのに一生懸命かけっこを頑張った息子。

最初こそ泣いてはいましたが、かけっこを終えた後は、ほっとしたのか満面の笑み。

その姿には母親として胸を打たれるものがありました。

なのに、それについて親戚に比較された時「もっと息子が運動ができれば何も言われずに済むのに」と思ってしまった私。


一番大切にしたい子どもの成長よりも、他人の目が気になった自分に強い罪悪感を覚えました。

私の理想とするような母親なら、「そんなこと気にしない!うちはうち!」とおおらかに笑い飛ばすべきなのに、と。


ビリでもなんでも、精一杯頑張った息子を、何を言われても肯定できる母でいたかった。

親戚の言葉に動揺なんてしたくなかった。


そうできない自分に失望し落ち込みました。



息子の姿が気付かせてくれた2つのこと


そして気持ちが落ち着いてきて、自分の感情と向き合って2つのことがわかりました。


1つは、自分が”周りの目を気にしすぎている”ということです。

周りの何気ないひと言に委縮し、順位を気にして、たとえ心の中のだけでも、息子を責めてしまったこと。

いいも悪いも他人が決めるものではなく、自分が決めることです。

子ども自身が、納得していればそれでいい。


子どもが年齢を重ねるにつれ、比べられるシーンはこれから増えていくかもしれません。

でも、これからは、子ども自身の成長や努力を大切にしていきたいと思いました。



そして、もう一つ気付いたのは”理想の母親像に囚われすぎていた”こと。

親戚の集まりで比較されるのがイヤでも、気にせず、笑顔でいなければならない。

そんな風に、「○○しなければならない」で自分を縛っていた私。



でも、大切にしたいものが脅かされるなら、そこにこだわる必要はありません。

動揺してもいい。



何より大事なことは、子供なりの努力をみとめて、成長をまっすぐ喜べること。

理想の母親像に拘ることで、自分を苦しくしていたと気付いたのです。




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理想の母親じゃなくてもいい



思い返すと、理想像である「何があっても動じない、いつも笑顔の母親」でありたいがために、これまでも、たくさん自分の気持ちを見ないふりをしてきました。

自分が疲れたりイライラしたりしていても、子どもには笑顔で接しなければならない。
そんな風に思っていました。



そこから外れてしまった時は必要以上に罪悪感を覚え、自分を責めていました。

でも、そんな弱い自分だって別にいい。


そう思えるようになってから、子どもたちに対してもおおらかに構えられるようになりました。

子どもの前では笑顔じゃないと、と思っていた時よりも笑顔が増えた気がしています。



今回は、自分の思いこみに気付くきっかけを、かけっこでビリだった息子がくれました。

育児って本当に学びが深いなあと思ったある秋の出来事でした。


※ この記事は2024年12月14日に再公開された記事です。

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