秋が深まって、子どもたちの食欲がすごい。
爆発している。
大食漢の夫のDNAを受け継いで、そもそもうちの子どもたちは食欲が旺盛気味なのだけれど、朝夕が冷え込んで、秋が深まり冬が近づくこの頃、その食欲が暴走している。
先週末のことだった。
休日のお昼ごはんを何にしようか、と思案しているところへ、末っ子(2歳)が待ちきれずにぐずりだした。まだ11時だというのに。
眠たさも手伝って、少々ややこしい。
「ちゅるちゅる食べたいの―――!!!」
と台所で叫ぶ。
冷蔵庫を見渡したら、あった。お鍋のしめ用の煮込みラーメン(2人分)があった。
「今つくるからね!」と鍋に湯を沸かして、適当に切った野菜やら肉やらと一緒に麺を煮込む。
匂いにつられて、お腹が空く息子(5歳)。コンロの周りを小さい二人がうろうろする。
即席めんをつくる速さでなんとかこしらえて、ふたりに提供した。
光の速さで麺を吸い込む姿に、恐ろしささえ感じた。
さて、我が家にはまだふたりの食欲モンスターがいるのを、忘れてはいけない。
長女(7歳)と、ラスボス夫(40歳)だ。
冷蔵庫に豚ひき肉と厚揚げがあるのを見て、よし、麻婆(揚)豆腐だ、と心に決めた。
ざっと刻んでざっと炒めて、ざっと味付けをして、ごはんにかける。
「お待たせ、召し上がれ!」という頃には息子が麺を吸い終えて、「それも食べる」と言う。
そうかそうか、と給仕して、さあどうぞ、と言う頃には、長女がもう「お代わり!」と元気に発声している。ちゃんと噛んだ……?
そのはざまに「牛乳飲みたい!」とか「お水飲みたい!」とかに、答えているうちに、気づけば炊飯器の中には、小鳥の餌ほどしかごはんが残っていなかった。
いったいどういうこと。
私まだ何も食べていない。
みんな大変元気で、すがすがしい食欲なのは素晴らしいのだけれど、いかんせんつくる人はひとりなわけで、つまり追い付かないのだ。
直径26cmのお鍋に、あふれんばっかりのシチューを作ったとする。
一食でぺろりだ。
もちろん飲むように食べないよう、噛み応えのある副菜を用意することも忘れない。
例えば、きんぴら蓮根とか、そういうのだ。合間に時間を稼ぐおかずが必要という不便。
さらに、少し苦手な食材のおかずも忘れてはいけない。ほうれん草のソテーとかそういうもの。ちょっと食べるのに躊躇したり、減らしたいと母に交渉を試みるくらいの時間稼ぎが生まれる。少しでも完食までの時間を稼ぐことによって、満腹中枢への刺激を期待するのだ。
さらに、シチューのルーを使わない、という配慮も必要になる。
これは、私がルーを使わないお料理上手なお母さんパフォーマンスではなくて、市販のルーってやつはおいしすぎるのだ。めちゃくちゃおいしいのだ。
市販のルーなんて使ったら、我が家のお鍋では、賄いきれないくらいの量を食べるのが、目に見えている。恐ろしすぎて買えない。
配慮と手間が、私のキャパシティのぎりぎりラインだ。
シチューよりさらに恐ろしいのが、餃子だ。
息子と末っ子の大好物が、餃子なのだ。
「今日の夕飯はなににしようかしら」とつぶやけば、かなりの高確率で「餃子」と返ってくる。10回中8回くらいは「餃子」だ。
そんなにリクエストされたら、つくらないわけにはいかないし、私にもそれなりの母性があるから、つくってあげたい気持ちもある。
が、ハードルが高い。
みんなの大好物(夫と長女はほとんどの食べ物が好物)ともなれば、その量をつくるのは、気が遠くなるような作業なのだ。
聞いてください、我が家の場合、みんなが血で血を洗う闘いをしないためには、だいたい80個の餃子がいる。5人家族、ひとりは2歳だというのに、この数字おかしくないですか。
彼らが食べ盛りの中高生になったら、餃子は幻の食べ物になるんではないだろうか。家庭内絶滅危惧がすごい。
毎回心を無にして、ひたすら包む。隣で2歳とか5歳が変形餃子をこしらえていても、気にしない、ただ包む。皮が尽きるまで、ただ包むのだ。
血で血を洗わないために、ただひたすらに包むのだ。
餃子に関してはこの量と手間だから、シチューほど、副菜に気を配ることもできない。サラダとスープがせいぜいだ。
せっせと餃子を口に運ぶ子どもたちと、餃子の残量を見比べながら、白米を積極的に勧めて、なんとか餃子の減りを食い止めるくらいしかできない。
なんとか満腹中枢に満腹が届くまでに、餃子が尽き果てないことを祈りながら、白米をひたすら勧めている。
さて、話を週末に戻そう。
私だって人並みにお腹が空くのに、炊飯器の中には申し訳程度のごはんしか残っていない。それをかっさらえて、麻婆をかけてさらりと食べた。
当然、それっぽっちでお腹は満たされないから、何かないかしらと、冷蔵庫やパントリーを探りに探って、クラッカーを見つけた。
昨夜の残り(と言っても手のひらくらい)のミネストローネを、冷蔵庫から見つけて、クラッカーにのせて食べた。
なかなかおいしくて、2枚目も食べる。
そうだ頂き物のポークリエットがあったんだった、それも飛び切りのやつ。と、それを乗せてもう1枚。お腹は少しもの足りないけれど、おいしくて満たされそうだわ、と思った矢先、夫が隣でにこにこと立っていた。
顔が「それおいしそうだね」と言っている。「少し分けて」と言っている。
思わず絶句して、夫の顔をじっと見てしまった。
「わ、たし、ごはんもなくて、これしかなくて…」と言いよどんだら、夫はまたも顔面だけで「なんで分かったの!?!」と狼狽して「そんなつもりじゃ!」と今度は声に出して慌てていた。生粋の食い意地を見た。
夫をなんとか追い払ったら、今度は長女がふらりと現れて、にこにこしながら「それ食べたい」と言った。
なんだか、そうだよね、と諦めたい気持ちになって、最後の1枚を長女にあげた。
「わぁ!おいしい!」とかわいらしく喜ぶ長女をみて、「そうでしょ、ママのお友達がくれたんだよ」なんて言いながら、そうかこれが食欲の秋だよね、と思ったのだ。
余談だけれど、長女は今、ミサンガを腕につけていて、ぷつんと切れて願い事が叶うのを、それはそれは楽しみにしている。
なにをお願いしたんだろう、と気になって聞いたのだけど、その答えが「トマトが100個食べられますように」だった。
叶うといいと心から思っている。