「双子を平等に育てたいのに、娘の泣き声だけがつらい…」葛藤から解放された時の話のタイトル画像
公開 2019年12月23日  

「双子を平等に育てたいのに、娘の泣き声だけがつらい…」葛藤から解放された時の話

14,863 View

双子が乳幼児だった頃、私は「双子を平等に育てたい」という想いがある一方で、娘の泣き声だけに苦手意識を感じてしまっていました。そのことに悩んでいたのですが、ある時…?


>シリーズの最初から読む

双子出産後、初めての「母子同室」での出来事

我が家には、小学校1年生の男女の双子がいます。12月生まれで、先日7歳の誕生日を迎えました。


7年前のちょうど今ごろ、私は双子を出産し、その翌日から母子同室になりました。

息子は規定体重に届かず、新生児ルームでお預かりとなり、娘だけが私の部屋に来ることになりました。


私たちが入院していた病院では、3時間おきに授乳室へ行って授乳指導を受けるというルールがありました。

経産婦ならば自室での授乳もOKでしたが、私はコットに入った小さい娘を連れて3時間おきに授乳室へ通うことになりました。


はじめて過ごす娘との夜。

小さく生まれた双子は哺乳力が弱く、娘への授乳もうまくできなくて一苦労。

帝王切開の傷は痛むし、出産前の2ヶ月半は寝たきりだったので筋力も衰え、まさに満身創痍です。


少し寝てくれたかと思うと、新生児特有のホギャホギャした泣き声で夜通し泣き続ける。

抱いてみても泣き止まないし、胸が張って痛みが増すばかり。

そんなことを考えているうちに、次の授乳時間がやってきて、ミルクを飲むのにまた1時間。

そして、自室に戻ってもやっぱりまた泣く…。


誰に言うこともできず、窓の外の月を見ながら、「娘1人でこんなに大変なのに、これから2人になったらどうしたらいいんだろう」と途方にくれていました。

「双子を平等に育てたいのに、娘の泣き声だけがつらい…」葛藤から解放された時の話の画像1
pixta_42326728_S


朦朧とした意識のなか時間が過ぎていきました。

そのとき、娘の泣き声が、私になにか催促しているようでとてもつらかったことを鮮明に覚えています。


明け方、巡回に来た看護師さんに「赤ちゃんをコットに入れずに、自分の布団の横に並べて一緒に寝てもいいのよ。とりあえず、あなたが回復しなきゃ。」と言われ、そのとおりにやってみると、1時間ほど寝れたような気がしました。

そんな娘との一晩を経験し、その後息子も順調に大きくなり、無事に退院して怒涛の双子育児に突入したのでした。

「娘の泣き声を聞くのがつらい」という気持ち


双子を育てていると、「平等に育てたい」という気持ちがいつも念頭にあります。

そしてそのことに葛藤し、試行錯誤する毎日です。


1人を抱っこすれば、もう1人も抱っこしたい。

いや、「した方がよい」のではないか?

片方しか抱っこしないと、そのことが後々それぞれの成長や発達に影響するのではないか?


…些細なことさえ、そんな風に考えてしまっていました。

「双子を平等に育てたいのに、娘の泣き声だけがつらい…」葛藤から解放された時の話の画像2
pixta_55399028_S


そんな中、私はあること気づきました。


双子が目の前で泣いているとき、娘の泣き声を聞くと、なにかとがめられているかのような気持ちになってしまう。

息子が同じように泣いていても、さほど気にならないのに…。

私は、いつの間にか娘の泣き声に苦手意識を感じてしまっていました。


このことは周りから見ても明らかだったようで、実際に夫から「息子に優しく、娘には厳しい気がする」と指摘されたことがあります。

私からすると、夫は娘に甘く息子に厳しいので、お互い様じゃないか…。

そう思ったものの、指摘されるとやはり気になってしまい、「娘の泣き声を聞くのがつらいだなんて、私は母親失格なのではないか」という気持ちになりました。

そして「双子を”平等に”育てたいのに、娘だけにそんな感情を抱いてしまうなんて…」と、負の感情にもとらわれてしまったのです。

「双子を平等に育てたいのに、娘の泣き声だけがつらい…」葛藤から解放された時の話の画像3
pixta_48564972_S


娘の泣き声を聞いて、なぜこんな風に思ってしまうんだろう。

そう考えているうちに思い出すのは… 

双子を出産し初めて母子同室になり、月明かりのさす部屋で泣きじゃくる娘に困り果てた、あの夜のことでした。

私になにか催促しているような娘の泣き声と、それに対して何もできない無力な自分。

あの記憶が蘇るのです。

双子の成長とともに気付いた“ある法則”


その後双子たちも成長し、“泣く”以外のコミュニケーションが取れるようになってきたことで、私の中である仮説が思い浮かびました。

娘は息子より1分早く、300g大きく生まれた第一子です。

新生児にとっての300g差というのはとても大きく、成長も娘の方が早いように感じました。


改めて考えてみると、「母親として初めてのこと」は、何でもだいたい娘が経験させてくれました。

抱っこも、授乳も、おむつ替えも…。

だから初めてのことに戸惑い、困惑し、その対応に困るという経験も、娘の方が圧倒的に多かったのだろうと気付いたのです。


乳幼児期に身体が小さかった息子は、だいたい3週間遅れで娘のやることを後追いしました。

息子の“初めて”に対応するとき、私は既に第一子である娘で経験済みなので、圧倒的経験値がありました。

「同時に生まれた双子だから平等に接したい」と思う一方で、娘の泣き声だけに苦手意識を持ってしまうという葛藤を抱えていた私ですが、双子とはいっても「第一子、第二子」と整理することで、2人と向き合うことが楽になりました。

「双子を平等に育てたいのに、娘の泣き声だけがつらい…」葛藤から解放された時の話の画像4
pixta_43754996_S

私が「双子だから平等に」という気持ちから、少し解放された瞬間


双子が5歳の頃、反抗期真っ只中の娘と私がバトルになり、娘が大泣きしたことがありました。泣いて喚いて、どうにもこうにも手がつけられない状態でした。

私は「なんでそんなに泣くの。私はどうしたらいいの。私にどうしろっていうの」と疲れ果てていたのですが、その数週間後、今度は息子と私がバトルになりました。


娘と同じように泣きじゃくる息子を見て、「あれ、この感覚…。なんだか体験したことがある気がする」という気持ちになった私。

息子がどんなに泣こうとも、喚こうとも、「どうぞ、ご自由に。気の済むまで泣いたらいい」と思っている自分がいました。

人間というのは不思議なもので、一度経験していることに対しては心に余裕があるのです。


そんな時、娘が私の元にきてこう言いました。

「息子君の気持ちわかる。私もそうだったから。」

え?今なんて言った?と尋ねると、娘は「息子くんが泣くの分かるよ。ああいうときは泣きたくなるんだよ。そして泣き出したら止まらなくなるんだよ。」と言い、1人でおもちゃで遊び始めたのでした。


そうか、娘はいつも双子の中でも、一歩先を歩んでいる。

もちろん、必ずしも娘が何でも先かというとそうではありませんが、その場合は、私が「これは今、母として初めての経験なんだ」と認識することで、随分と楽になりました。


母親だって初めてのことは怖いし、わからないし、正解もない。

だから子どもと向き合いながらやってみるしかないんだ…と考えられるようになってから、子育てが楽になった気がしています。


今、7年前の自分に声をかけられるのであれば、伝えたいことがあります。

出産を経てお母さんになったからといって、いきなり何でもできるわけではない。

隣で泣いている娘の泣き声は、あなたを責めているわけではないんだよ。だから大丈夫。


そう言ってあげたいと思っています。

※ この記事は2024年09月07日に再公開された記事です。

Share!

ふたごを生んで、ここまで来られてのタイトル画像
ふたごを生んで、ここまで来られて #6
おぎのタイトル画像 おぎ