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公開 2020年09月29日  

産後うつの妻にかわり、育児9割負担を覚悟した夫。「不平等な育児」に学んだ。

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両親に頼れず、産後うつ症状で限界ギリギリ。「母親なんだから、自分が頑張らなきゃ」と気負う私を救ったのは、世間の価値観とは一線を画す夫の育児コミットでした。


誰にも頼れない中…産後うつ

娘を産んで1ヶ月が過ぎたころ、涙が止まらなくなった。

体がだるくて動かない。

娘の鳴き声が耳に刺さる。

食欲もなくなった。

家に閉じ込められているように感じた。

近くの病院を予約し、診断されたのは「産後うつ」だった。

病院でも、そして病院から連絡を受けた自治体の担当者も「家族や親戚に頼ることはできませんか」と聞いてきた。


私と夫は共働きの2人暮らし。

夫の実家は遠い東北地方。

私の実家は近県だったが、両親とは絶縁状態。

最初から頼る選択肢はなかった。

私の家族は、私が産まれる前から仲が悪かった。

両親はそれぞれの悪口を言い合い、離婚していった。


なぜこの人たちは「家族」になったのだろう。

なぜ私を産んだのだろう。

「血縁者には頼らない。この子を幸せな家庭で育てなきゃ」

それは、強迫観念に近いもの。

そしてこれが、産後うつを悪化させていた。


体重が増えない、毎日の黄昏泣き。追い詰められ…

もともと私に持病があったこともあり、自治体から育児ヘルパーや産後ケアなどすぐに利用できる支援制度を紹介してもらった。

それでも、新米の母親が悩む問題はたくさんある。

娘は体力がなくて、ミルクや母乳を飲んでいる間に寝てしまい、なかなか体重が増えなかった。

体重が増えないと体力もつかず、ミルクを飲む量が増えない悪循環。

1時間かけてミルクをあげることもあった。

また、ほぼ毎日夕方の時間帯に泣きだすことが多く、いわゆる黄昏泣きに悩んだ。

換気扇の音を聞かせて揺らしたり、ベランダで抱っこしたり。

抱っこしていれば寝てくれはするのだが、もともとやせ型の私がこの時期は食欲もなくさらにやせており、娘をベッドにおろした途端に腕が震えて動かなくなることもあった。

「あれ、今日はいつもより娘の顔色が悪い気がする」
「自分の見ていない間にうつぶせになって窒息したら…」
「乳幼児突然死症候群ってどうやったら防げるのかな」

もともとの完璧主義がマイナスに働き、考えてもどうしようもないことまで悩む。

「もう無理だ…」

そこで登場したのが、本気を出した夫だった。

規格外イクメン夫と「いい母親像」

夫が育休と有給などを駆使し、約2ヶ月の休みを獲得。

復帰後も、私が起き上がれず体調が不安定な日には、会社を休み娘(と私)の世話をしてもらった。


ミルクをあげる、おむつを替える、お風呂に入れる。

日常的な娘の世話はもちろん、育児用品の買い物、電話に出られない私の代わりに自治体へ支援の依頼。

保育園の送り迎え、そして予防接種の受診。

週末になると華麗な手つきで1週間分の離乳食(ボルシチとか鮭ぞうすいとか、献立も立派)をストックしてくれた。


夫は仕事好きだ。

そして私も仕事が大好き。

仕事もプライベートも両立したいということで、妊娠前も「家事は平等にやろうね」と2人で決めていた。

でもまさかここまでやってくれるなんて全く予想していなかった。

育児に関して、ほぼすべての作業を夫はこなした。

我が家の育児負担は平等どころか、母親1割、父親9割くらいと言っても過言ではない状態だった。


時には、さすがに夫も育児がしんどくて、泣いているときもあった。

娘にきつくあたっているのを注意すると、「俺だってどうすればいいのか分からないときもあるよ!」と泣きながら寝室にこもってしまった日も。


あ、今の夫が感じているつらさって、「ワンオペしているママ」と同じものなのかもしれない。

性別は関係なく、より育児を負担しているほうが感じる不満や、どうすればいいのか分からない不安感。

私が出産後に娘の世話をして感じていたあのつらさを、夫は追体験していた。


そういうときは夫の負担が軽くなるよう、私が体調が悪化しない範囲でバトンタッチ。

我が家の育児サイクルが徐々に出来上がっていった。


でも。

「私は母親なのに、ここまで夫に頼ってしまっていいのだろうか」

うしろめたさはずっとついて回った。

外に出れば、子どもを連れているのは母親。

保育園でも(最近は父親も増えているけど)母親が送り迎えするイメージが強い。

寝付かせたり、離乳食をつくるのも一般的には母親なんじゃないだろうか。

でも、我が家は夫がメインでやっている。

「不平等な育児」によって、気付いたこと

そこで「私も母親なんだから頑張らなきゃ」と気負うと、体調が坂を下るように悪くなっていくという繰り返しが続いた。

なので、思い切って聞いてみた。

「私がちゃんと娘の世話ができていないせいで、だいぶ負担かけてるよね。本当にごめん」


すると夫は「しんどいときもあるけど、娘の世話は楽しいからやってる。負担だとは思ってないよ」とけろりとした表情で言った。

「逆に俺は、舞みたいに『頭を使うこと』が苦手だから、金銭管理や1週間の献立を決めて計画的に買い物するとか、そういうことをやってもらえるとすごく助かる」。


得意な作業を得意なほうがやればいい。

これが夫の価値観。


最初は少し驚いたけれど、その言葉がなじむにつれて自然体で、合理的な考え方だなあと感じるようになった。

ふと、妊娠中に夫と交わした言葉を思い出す。

「私はいわゆる『普通の家庭』を知らないから、『お母さんが子どもとどう接するか』もよく分からない。精いっぱい頑張るつもりだけど、正直ちゃんと育児ができるかどうか不安がある。できる限りサポートしてほしい」

「もちろん!育児は一人でやるものじゃないでしょ。じゃあ一緒に『お母さん役』をやろう」

「普通の家庭」とか「普通のお母さん」とか、当時の私ははっきりとした定義をもって発言していたわけではないと思う。

でもそれらは、無意識的にせよ、社会の中でもやもやと漂っている「世間一般が求める家族の中の役割」を前提としていた。


一方、家族の中の役割について、夫は夫なりの視点で受け入れ、夫なりの行動で示してくれた。

「母親」や「家族のかたち」「平等性」に固執していたのは、むしろ私のほうだったんだな。

育児で大切なことは、夫から学んだ

うつの症状が軽くなってきたころ、笑いながら彼は言った。

「俺が旦那じゃなかったら、舞はきっと潰れてたと思うよ」

その通りだと思う。

孤立無援の中であがいていた私にとって、まぎれもなくあなたは命の恩人。

軽く「そうだね」と返したけど、ちょっと泣いてしまったのが悔しい。


そんな夫と一緒だったから、私はあの冷え切った実家の恐怖を捨てて、子どもを産みたいと思うことができたのだろうなと振り返る。

そして、自分たちなりの家族の在り方が模索できたのだと思う。



育児に答えはなくて、夫婦のかたち次第で、何通りもの子育ての方法がある。

「自分たちにあったバランスを探していく勇気」

夫から学んだことは、とても大きいのだ。

※ この記事は2024年10月09日に再公開された記事です。

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