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公開 2020年06月06日  

冷静沈着な夫は、ちょっと空回りパパに!その存在が、ママにはうれしい<第四回投稿コンテストNO.62>

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娘のケガに、いつもは穏やかで理性的な夫がオロオロ…その様子を見たながれのほとりさんは、夫が娘へそそぐ愛情の大きさに気づいたそうです。



そのとき両親は、泣きじゃくるわが子を前に固まっていた。

一体、どうしてこんなことになってしまったのか。


それは、娘の初めての誕生日を祝うささやかな宴の場のことであった。

テーブルの上には手づくりのケーキ。

ちなみに砂糖&卵不使用。

ちなみに作ったのはパパ。

その上には1本のローソク。

そして床には、開封されたばかりのおもちゃの箱と包装紙が散らばっていた。

そこには、わが子の初めての誕生日を祝う、平凡ながらも幸せな家族の姿があった…はずなのだが。


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あのとき、本日の主役はごきげんで、自らに献上されたプレゼントの入っていた箱を抱え、歩き回っていた。

そして親の一瞬の隙をつき、抱えていた箱を踏み台にして、机の上に手を伸ばそうと立ち上がったのである。

当然ながら、紙製の箱は娘の体重を支え切れずに崩れ去り、同時に娘は倒れて床に投げ出される。

室内には、火がついたように泣き出す娘の声が響き渡った。


しかし、赤子を1年育てていると、このようなことにも慣れてくるのが両親というものである。

そこでいつものように、まずはパパが抱っこ&たかい、たかい。

が、泣き止まない。

続いて、ママが食べかけの夕食を口に押し込んだのち、抱っこし、あやしてみる。

あれ?

眠い?おっぱい?部屋が暑い?うんち?

…とりあえず思いつくかぎりの手段でなだめてみるものの、一向に泣き止む気配がない。

そのうち、娘の腕がいつもと違うことに気づいた。

左手はママにがっしりつかまっているが、右手は肩から下がだらんとして動かない。

「こちらのおててが痛いの?」

と声をかけてみるが、相変わらずギャン泣き状態。

よっぽど痛いようだ。

これは、肩を骨折あるいは脱臼してしまったのか?


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すると、パパが母子手帳を手に「病院にいこう」と言い出す。

とはいえ、あいにくその日は日曜日の夜。

当然のように、かかりつけの小児科は電話が通じない。

このようなとき、普段のパパであるならスマホで高速検索を行い、たちどころに必要な情報を導き出す。

しかし、今のパパはスマホを手にはしているものの、ただ、ただ、おろおろしている。

その手にしているものは、ゲーム機でもネットサーフィンマシンでもない。

電話をかけるツールなんだよ。

しかし、ママのそんな視線も通じないので、なおも泣きじゃくる娘をパパに託し、受話器を握る。

あいにく小児救急電話相談の「#8000」は、何回掛けても話中だったため、地域救急医療情報センターに電話するが、「今の時間帯、子どもの外科に対応できるところは市内にはないですね」

というすげない答え。

隣のA市かB市に行ってくれとのことだった。

仕方がない。

地の果てであろうと、今は行くしかない。

この時点で、我が家から距離的に近いのはA市の病院。

さあ、いくぞ!

と思ったが、運転席に座ったパパは、

「その病院には行ったことがないので、道が分からない」などと言い出すではないか。

断っておくが、彼は通常ならば、地図さえあればどこでも行くことができると言っている。

一方ママは、カーナビを使っても迷うんだが。

つまり、パパは平常時であれば隣の市の病院までぐらい余裕で運転できるだけのスペックは有している。

しかし今はその能力がかなり凍結されているようなのである。

どうした。

仕方がないので、ママでも道案内できる、実家に近いB市の総合病院を目指し、ひたすら車を走らせる。


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そして、雨のそぼ降る夜21時すぎ。

総合病院の救急外来の廊下で、診察の順番を待つことになった。


廊下には、ほかに子連れ家族が2組。

静まり返った空間には、診察室から響く「痛いよお~」のうめき声。


それにしても、とママは思った。

通常、このパパという人物は、非常に穏やかかつ理性的な性格をしている。

普段の生活の中でも、自らの感情におぼれ暴走するのはどちらかというとママの方で、パパはそんなママを客観的な視点で優しく押しとどめる役割を担っている。


そんな、自分の感情に左右されることのない人なのに、今は明らかに違っていた。

それは一体どうしてなんだろうか…。

そこまで考えかけたところで、診察の順番がやって来た。


診察室では、当直らしき若いお医者さんが娘を診察してくださる。

「こっちの肩だねえ。どうしようか」

お医者さんは、娘の様子をひととおり観察した後、右肩の脱臼か骨折らしいと見当をつける。

しかし、小さい子の骨は柔らかいため、レントゲンをとっても、症状がなかなか分かりにくいとか。

要は、とりあえず生死にかかわるようなものではない。

そう診断されたようだ。

結局、今晩はこのまま様子をみて、明日さらに痛がるようなら地元の整形外科に行ってくださいという結論になった。

そして来たときよりは少しだけ安全運転で家に到着。

食べかけだった夕食を片付けながら、ふとパソコンに目をやったそのとき。


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娘が、パソコンを触っている。

しかも。

問題の右手をフルにつかって。

普段触らせてもらえないパソコンのキーボードを、大喜びでガシャガシャたたきまくっているではないか。


おそらく、娘の腕は単なる打ち身だったけど、パパとママがあまりに動揺していたので自分まで怖くなって泣きやまなかった。

あるいは一時的に脱臼していたものの、いつの間にか自分で治してしまった。そんなところだと思われる。

花のような笑顔を見せる娘の前で、疲労困憊の両親は膝から崩れ落ちた。


私は、今でも時々思うことがある。

あのとき、沈着冷静を絵に描いたようなパパが、悪い魔法にでもかけられたかのように機能不全に陥ってしまったのは、一体なぜなのかと。

ただ、日夜、娘を共に育てていくなかで、感じたことがある。

「この子に何かあったら、この人、どうなるんだ」と。

つまり、この人の魂はちょっと目を離すと冗談抜きで死にかねない、とんでもなくもろい命と固く結びついている。

だから、今、この子に何かあったら、この人も、きっと終わる。

それぐらいにこの人は、自分の全存在をかけて、この小さな命を愛してくれている。


思えばそれは、この子がお腹に宿ったことが分かった瞬間から感じていた。

育児雑誌を買い集め、産院情報を収集し、母乳育児によい食べ物を研究した。

おっぱい出ないけど。

生まれてからも、夜泣きをすれば即ドライブに連れていき、翌日は電車を寝過ごして隣町経由で帰ってきた。

連日、会社からぶっとんで帰ってきては晩ご飯をつくり、たまに包丁で指を切り、血を見ては貧血を起こし、寝込んでいた。


それは、あまりの一生懸命さから、時にはちょっとばかり空回りすることもあった。

そう、ちょっとばかり。


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それでもいいのだと思う。

育児をする母親が欲しいのは、「正しい答え」や、「上から目線のアドバイス」ではないから。

時には、泣き止まないわが子の傍らで、何もできない自分の存在を認めつつ、傍らにいて一緒に涙を流してくれる存在。

それが育児の最大のパートナー、たった一人の「パパ」。

そんな彼の存在そのものが、我が家のナイス育児なのだろう。

娘の誕生日の翌日。

晴れ上がった空には虹がかかっていた。

そしてパパは、昨夜のことで疲れたとかで会社を休んだ。


パパになってから1年。

ママになってから1年。

そんなパパとママと娘の365日+1日目が、今日も始まった。



(ライター:ながれのほとり)


※ この記事は2024年11月21日に再公開された記事です。

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