私は元来、猜疑心の強い人間なので、長男を、初めての子を産む時に半信半疑というか、あまり信じていない事があった。
それは
「ヒトは哺乳類なので、母乳で育つ」
という事だ。
それ当たり前やん?理科で習ったやん?大丈夫?と誰かに困った顔して聞かれそうなこの懐疑。
でもでもだって、初めて出産するその時まで自分からお乳が出て、それでニンゲンを乳児から幼児になるまで育てられるとかあまり想像つかなくないですか、そんな未知の身体能力私に備わっているんですかと思わないですか、思わなかったですかそこのアナタ 。
私は特に自分がミルクのみで大きく育った元乳児だったせいか、どうにもその事実を真実として認知できないまま、お産の日を迎えてしまった。
「ハイ、おっぱいじゃあ吸わせてみましょうか!」
お産をして
『どうも、長男です』
『ハイこんにちは私が母です』
親子初顔合わせの数時間後、ブートキャンプ、もとい授乳室に放り込まれた私は授乳指導の助産師さんにホイと生まれたばかりの長男、そのまだ小さくてやわらかくて首の座らない新生児を授乳クッションに乗せてそっと胸元まで持って行って
「ハイ、おっぱいです」
「……」
「あの…おっぱいなんですが」
「……」
まだ名前のなかった新生児長男は、新生児だから眼は開いてないけど、唇をへの字にしておっぱいを眼前に口も全然開けてくれなかった。
それを隣で監督していた助産師さんは、その地蔵化した長男を覗き込むと
「あら~寝てますねぇ、足こちょこちょして起こしましょう」
足の裏をくすぐって長男の覚醒を促したが、そのこちょこちょ攻撃をしても長男は
「……(ボクねむいので)」
一向にやる気を見せなかった。
大事なゴハンの時間に寝る…だと…?
ねえ赤ちゃんてみんなこんななの、育つ気ある?生きる気ある?大丈夫?
その『育つ』ことへのやる気に欠ける長男を自宅に連れて帰って数日、私は詰んだ。
入院中も「母乳推進」系の産婦人科にあって、その態度成果ともにほぼ赤点。
母乳測定と言って、授乳前の新生児の体重を測定し、授乳、それからもう一度体重測定してその差で授乳量を測るというアレでは
「ハイ、授乳前の体重計測して~」
「授乳したらもう一度計測して~」
「2gかぁ…もう少し頑張りましょうか」
毎回全然増加しないまま、ウーン、でももう疲れちゃうかもしれないから、ミルク足しますかと長男を連れていかれてしまう。
生まれたての長男は飲むのが下手。
産みたての私は飲ませるのが下手。
どっちかをベテランで慣れた方に交代したいが、こればっかりはキャスト交代不可だし、この新米母はお産に臨んだ病院で『母乳ですよ母乳、それが一番なんですよ』と言われ過ぎて
『母乳でなくては、ミルクとは、それは敗北である』
とまで思っていて。
今の私ならその思考の固まった頭を後ろから引っぱたいて目を覚まさせてやるのだが。
でもその当時は毎日
大体、上半身裸
で暮らしていた。
何しろ飲むのが下手過ぎる長男は、1回の授乳に時間がかかりすぎ、しかも1回の授乳で飲めている量が少ないからまたすぐお腹がすいて、3時間開かずに何なら1時間程度でおなかがすいたと泣き始める、おっぱいを仕舞う暇がないのだ。
長男が春生まれで本当に良かった。
上半身裸、下半身はスウェットで一日の大半を過ごす私に夫は、よく産後に散見される
「ウチの妻女捨ちゃっててさ~」
よーしこの男を今から山行って穴掘って埋めるぞ!みたいな妻の憤怒の感情を呼び起こす無神経発言こそしなかったが
「ママさぁ、切腹する前のひとみたいじゃない?」
切腹介錯の直前もろ肌脱いで待機する武士みたいやん?ウフフと笑い、私は無言で夫の後頭部を育児書でひっぱたいたものだった。
その上半身もろ脱ぎ生活は終息するまでに4ヶ月位かかっただろうか、それでも長男の授乳感覚は開いて3時間、それが
1歳8ヶ月
まで。
何がどうなっているのか、もうおしゃぶりのかわり感覚なのか離乳食完了の時期まで続いて、夜も碌々眠れなかったし、ワンピースは着られないし、真夏にビールも飲めないし、食事が私であるが為に長男から片時も離れる事が出来なかった。
でも完全母乳で乳児育児をやり切った。
やり切ったという達成感と感慨はある。
でも、それを過剰に頑張りすぎて
「長男の赤ちゃんの頃、大変だったなあぁ…」
という思い出ばかりが残ってしまった。
でもお陰で、その次、長男と2歳5ヶ月差で産んだ長女の授乳はとてもラクだった。
お産もそうなのかもしれないけれど、一度経験したことは体が慣れているからなのか覚えているものなのか
『どうも長女です』
『ハイこんにちは私が母です』
お産して親子初顔合わせ、その後即始まった授乳は、ものすごくスムーズだった。そしてこの長女はおっぱいを飲むのがとても上手で、その点は入院中から苦労知らず、生後1日目の新生児にして、授乳量80gを叩き出すなど、大変優秀、優等生。
生後1ヶ月訪問児の毎日の体重増加率が1日60gで、訪問に来た保健師さんに褒められた。
しかしこの時2歳5ヶ月の幼児長男が、お外で遊びたい盛り。
優等生新生児長女は、時間遊びまわるお兄ちゃんに付き合わされてしょっちゅうお腹をすかせて泣く羽目になった。
超かわいそう。
いっそのこと、もうおっぱい取り外したいぜ。
そんなセパレート人体になりたいと、この時程、思った事はない。
今思えば、もっと頭を切り替えて、ミルクと母乳と両方うまく使えばよかったのに、この世には乳児の食事はミルクと母乳と両方あるんだから。
でも、あの長男の乳児期の苦労を思うと、じゃあお出かけの時はミルク持ってお外でミルク飲ませようかな、となかなか考えを変えられなかった。
今ミルクに寝返るなど、私の過去の苦労と、そこから構築されたプライドが許さないぜ。
それで、この長女も母乳でやり切った。
やり切ってしまった。
『完全母乳』
であることに意地と誇りを持って挑んだ3人目の出産のその時、私は授乳に関してだけは余裕だった、今度の子も絶対母乳で行けると思っていた。
最後の子も完全母乳、ミルクに頼らない育児を。
と、思ったら、この3人目の子、次女は先天性の心臓の疾患持ちだった。
『どうも、次女です』
『はじめまして私が母です』
初顔合わせの挨拶もそこそこに、分娩室から運び出され、当日の夜に案内されたNICUで再会した時には鼻からチューブを通されていて、数ヶ月の入院中あれよあれよという間に
「直に母乳を飲むことも、哺乳瓶でミルクを飲むことも、次女ちゃんの心臓の負担になりますから」
「鼻から出てるこのチューブ、コレから直接胃にミルク流し込んで下さい!」
という経管栄養児になってしまった。
稀有な事かと思ったら、ちょっと早産だったりする子でも割と短期間なら経験するこの経管栄養。
それはちょっと小さく生まれてミルクを飲むのが難しい子や、次女のようにちょっと病気で安静が必要な子、あとは嚥下や消化器官に問題のある子の成長の為の急先鋒。
これも最初のウチは3時間おきに電動搾乳機で母乳を搾乳して、それを専用の医療器具に入れて流し込んでいたけれど、その注入自体にも1時間以上かかってしまい、時間がかかりすぎてもう駄目だなあとあきらめた次女生後6ヶ月の頃。
その頃、3人目にして初めて購入して使った粉ミルク。
それで育った次女は、体格体重共に
上の2人の兄、姉と特に変わりなかった、大体同じだと言うか。
だからどっちでも良かったのだ。
だって、ウチのきょうだい、1歳8ヶ月の頃の体重を確認したら全員大体10kg。
何とほぼ同じ。
私は、本当にたいした子育てはやっていない上に、まだまだ山登りの途中というか富士山だったら5合目というか、とにかくまだ育児の道の途中にいるのだけれど、丁度今、乳児のお子さんをお持ちのママとパパには
食事を母乳にするのかミルクにするのか、赤ちゃんの栄養については悩むことばかりだとは思うけれど。
母乳とミルク、そのどれが正解とかというよりは、その赤ちゃんがもう少し大きくなって、卒乳して、もっと大きくなって保育園児とか小学生とか、赤ちゃんの面影が無くなった頃に
ああこの子が赤ちゃんだった時、つらかったなとか大変だったなとかそんな思い出だけが記憶デバイスに残らない選択をすることが実はベストなんじゃないですかと思っている。
母乳でも、ミルクでも、これは極論だけれど経管栄養でも育っちゃうのだから赤ちゃん。
そして、乳児を腕に包み込むように抱えておっぱいを口に含ませることも
小さな可愛い哺乳瓶でミルクを作ってあたえることも
それはそれぞれ幸せな風景だと思う、多分。
そして乳児の時代は本当に短い。
私はこれを書きながら、1年ほど前に末っ子の主治医が「もうミルクいらないし、管も抜こう!」と経管栄養の卒業宣言をしたあのときに、最後の子の卒乳がすんでいたことに気が付いた。たったいま、気づいた。
遅い。
で、私の母乳とミルクの時代が完全に終わってしまっている事実が
今、ちょっと寂しい。