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公開 2020年07月22日   更新 2020年07月23日

トイトレをしてみて感じたこと。おむつって、自動的に取れるかもしれない。

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なんかよく分かんない、見えない力が働いてるから、そちらに任せておけばいいと思うの。

かわいいお尻を堪能するのもいいと思うの。


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子育てに夏をかけたら、トイトレになる、と誰かが言っていた。


トイトレ、つまりトイレトレーニングというのは2、3歳ごろに訪れる夏の通過儀礼みたいなものなんだけれど、子育てにおけるわりとひとつの山場みたいなところがある。

ねんねだった赤ちゃんが、四つん這いになって、やがて立ち上がって二足歩行を始めて、そのうち栄養源が液体から固体になる離乳食を完了させて、いよいよ赤ちゃんを脱ぎ捨てる最後の砦が、トイトレ。

この扉をくぐったら、もう赤ちゃんではいられないのだよ、という最後の関門感がある。


バナナの味を知った者は、もう母乳だけでは飽き足らないし、自由に歩ける喜びを知った者は、もうひねもすねんねに戻ることはできないのだ。

つまり、いよいよおむつが取れたら最後、もうおむつには戻れないし、さようなら赤ちゃんだ。

覚悟はいい?ねぇ、ほんとにいい??



赤ちゃんがやがて歩くのは、こちらの意思がほとんど作用しないから仕方がない、固形物を食べ始めるのは栄養面で致し方ない部分が大きい。

だけれど、おむつってどう。

べつに、履いていてもなんの問題も支障もないよね、と思うのだ。

店頭にサイズがあるうちは、ありがたく使ったらいいと思う。

おトイレを覚えてしばらくは、例え自宅のトイレであろうと、保護者の引率がいる。トイレのイロハを知らないんだから、彼らにとってもまだまだ不安空間だし、安全で適切な座り方であるとか、トイレットペーパーの扱いであるとか、細かいハウツーを教えてやる必要もある。

小柄な子だと、便座に自力で座れなかったりもする。

これらが、毎日毎回ともなると、なんというか、面倒だ。

おむつってなんて楽ちんだったのか!!と開眼することになる。



というのも、長女が2歳を過ぎた頃に、ちょっとトイレに興味を示したので「これはいわゆるトイトレのその時では」と、私が一方的に走りだしたことがあった。

そのころ我が家にはすでに、長男が誕生しており、ふたり分のおむつ交換から解放されたいと、切に思っていた。

おむつをたくさん買うこととか、お出かけに毎回ふたり分のおむつを持つこととか、すべてがなんだか過剰に思えて、自然の摂理として、下が生まれたので、ところてん方式で上の子はおむつを卒業するものだよ、と思っていたんだろう。

ところが、いったんトイレで用を足すようになると、こんなに不便なものなのかとぎょっとした。

前述したとおり、毎回トイレに連れていき、トイレのイロハを叩きここみ、ズボンを脱がせたりスカートのすそを持ってやる。

当時暮らしていた家のトイレは少し暗くて、電気もつけてやる必要があった。

そのすべてが難儀だった。

授乳中だろうと、お昼寝のねかしつけ中であろうと、「トイレ」と言われたら、立ち上がるより他なかった。

なんといっても、2歳児の膀胱はうんと小さい。

「ちょっと待っててね」と言っている間に決壊してしまう。



トイレでおしっこをするという作法を学んでからも、しばらくは、お漏らしだとかトイレの行き渋りだとかで、なんだかんだと面倒が付きまとった。

やれやれと、ようやくトイレに関して、介助がなにもいらなくなったのは、3歳を迎えた頃だった。

3歳ともなると、意思の疎通もいくらかスムーズになるし、なにより物事の合点が2歳に比べたらうんと早い。

トイレットペーパーはこのようにね、とか、ズボンは脱がなくていいの下ろすだけでいいのよ、とか、細かなあれこにもスムーズに順応してくれる。

そのころには、お漏らしもぴたりとしなくなって、トイレに行きたくないとごねることもなくなった。

そして、なにより膀胱がうんと頑健で大きくなった。

「ちょっと待って!」も通用するようになった。

少なくとも長女に関してだけ言えば、3歳がおそらく適齢期だったんだろう。

だったら2歳の1年間は、しっぽりとおむつに身をゆだねて、残り少ない赤ちゃんのかけらを堪能したらよかったな、と思ったのだった。

あのこんもりした、アヒルみたいなおしりは、もう二度と帰らないのだ。



さて、冒頭の話に戻ろう。

そう、夏だからって、別にトイトレに精を出す必要はないのだ。

トイレで用を足すって面倒なことも多いし、もう戻れない赤ちゃんだったあの頃、を手放すということでもある。

最後の赤ちゃん砦に、お別れを告げるんだから、むしろ慎重になったほうがいい。

そのこんもりしたお尻をもう、見飽きるほど見ただろうか。脱いだおむつをくるんと丸めるあの感触に、名残惜しさはないだろうか。

もう十分ですよ、いい加減すっきりしたおしりが見たいよ、もうさよなら赤ちゃん砦だってやぶさかではないよ、と思ったその時が来るまで、おむつを履いていていいんじゃないかな、と思う。

あと、どういうあれなのか分からないけれど、人間の成長の過程の中に、トイレでおしっこをするというのは、うっすらとプログラミングされてるのでは、と実はずっと思っている。

あんなに大人たちが躍起になって「好き嫌いをしないように」とか、「野菜も食べましょう」とか、全力で喚起しているのに、野菜が苦手な大人って、どういうわけか一定数いる。

なのに、おトイレに関してはどうだろう。

遊びに夢中になって、おしっこをうっかり漏らしちゃうからおむつを履いている、という成人を今のところ私は見たことがない。

これってもはや、首が座ったり寝がえりをしたりするのと同じように、プログラミングされている工程のひとつなんじゃないかしら。

トイレで排泄をするための見えない力が、きっと働いている。

ちなみに、長女以降の、下の二人に関しては、なんだか知らないうちにおむつを卒業していた。

真ん中長男は3歳前後、末っ子次女はいったいいつだろう、とりあえず3歳4か月の今日現在、おむつは履いていない。

いったいいつの間に、という感じ。

彼らのプログラムは、たまたま3歳頃だったんだろうな、と思っている。


おむつをしたままのお尻って、存分にかわいいし、トイレに通わせるのだってちっとも楽じゃない。

進まないトイレトレーニングに、もし疲れていたら、アヒルみたいなお尻を愛でて、あとはプログラムの見えない力を信じてみても、いいんじゃないかなと思う。

私もあなたも、なんだか知らないうちに、ちゃんと首が座っていることだし、ね。


※ この記事は2024年11月20日に再公開された記事です。

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