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公開 2020年08月12日  

子どもたちが信じてやまないこと。「うちのママは魔法使い」という、特別なウソ。

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子育てをしていて、上手くできたと思えたことなんて全然ないけれど、これに関しては不可抗力も含めて「よし!」と思ってます。


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子育てなんて、思い通りにならないことばかりだ。

あれこれ悩んだり試行錯誤したって、だいたい思い通りにはいかないし、こんなはずでは、と思うことばっかり。


一生懸命、愛情を注いでいるつもりでも、もしかしたら、子が大きくなった時に「重かった」とか「過干渉が嫌だった」と思うかもしれないし、ぐっとこらえて手を出さず見守っているつもりでも「もっと手を貸してほしかった」、「さみしかった」、といつの日かに言われてしまうかもしれない。

今やっていることが、正しいなんて思えたことなんて、全然ない。


ただ、私の中で、たったひとつ、これはうまいことやったのでは、と思うことがあるので、そのことについて今日は書いてみたいと思う。


すべての人にとって有益だとか、そういことではなくて、思い通りにならない子育において、ひとつくらいはガッツポーズをできるものがあるっていいじゃない、ということ。

そして、それがもしかして100人にひとりくらいには刺さって、お役立てできるかもしれないという小さな期待。



我が家の子どもたちは「ママは魔法が使える」と本気で、かなり本気で思っている。

8歳の長女も、5歳の長男も、言わずもがな3歳の次女も、みんなそれぞれ程度の差こそあれ、信じている。


きっかけは些細なことだった。

長女が幼稚園に通いだしたころ、「今日の給食はおかわりしたでしょ(大好きなカレーだったもんね)」とか、「今日はお外で遊べなかったね(雨だったし)」とか、何気なく声をかけていた。

すると、ある日、長女が「どうしてママは幼稚園に行ってないのに、幼稚園のことを知ってるの?」と、全身に不思議をまとわせて訊いてきた。

あの純粋なまなざし。そして、それに対してかわいい嘘がつける私。

「ママはね、心の目で見てるんだよ。心の目はね、『今、娘ちゃんはなにしてるのかな~』って考えると離れていても、ちゃんと娘ちゃんのことが見えてしまうんだよ」

と、伝えた。生来の妄想癖はこういう時に役に立つ。ひらめきさえすれば、息をするように嘘がつけてしまう。

この嘘の秀逸な点は、言いようによっては、ちっとも嘘じゃなというところだ。

本当のことを言ってしまえば、ただの「予測」なわけだけれど、予測はデータに基づいてするものであるし、その蓄積されたデータは私の脳内にあるわけで、そしてそれを映し出すのは愛情に裏打ちされたほかならぬ「心」なのだ。

つまり、回りくどい書き方をしたけれど、それは「心の目」つまり心眼。

端的に言えば嘘だけれど、回りくどく言えば真実になるトリックをはらんでいる。


長女はこれを境に、「ママ、今日も心の目で見てた?」と嬉しそうに訊くようになり、私はその都度、今日起きたであろうことを答えたり、見当が何もつかない場合には「曇っていてよく見えなくて……」などと、うまくかわしたりした。

この伏線が後にとっても役に立つことを、この時の私はまだ知らない。



いきなりだけれど、我が家の子どもたちは、注射や採血で泣くことがない。

我が家で注射針に一番騒ぐのは私だ。

インフルエンザの予防注射のときなんて、子どもたちを前に立場がない。


親がこの有様なのに子どもたちは、なんでへっちゃらなのかと言えば、私が注射の前にかけてやる「おまじない」を、彼らが全力で信じているから、だ。

そして、そのまじないをなぜ、全力で信じられるのかと言えば、ママには心の目があるから。

つまり、それすなわち「ママはちょっとした魔法がつかえる」ということになっているらしかった。

はっきりとそう言われたわけではないのだけど、彼らが「おまじない」を信じるとき、その眼は「心の目」の話をするときと同じ色をしている。



まじないは特に練られたものではなくて、その場の思いつきでやったやつが、そのままずっと採用されている。

① お耳に向かって、何かそれらしい感じで、抑揚をつけてコショコショ言う。

② そして、間髪入れず「はい塞いでっ!出ちゃう!」と耳を塞いでやる。

もし、その時に不安そうな子がいれば、手のひらにも同様にまじないをかける。

手のひらの場合は「はい握って!」と、手をグーにさせる。

③ やり切った顔で「はぁ、もう大丈夫…これで痛くないわ。うまくいった…。」と、玄人らしさを滲ませて言う。
というもの。

このまじないはそうとう効くらしく、彼らの持病のせいで定期的にやってくる採血も、難なくクリアできている。

採血は病院の方針で、私と引き離されて別室で行われるのだけど、毎回彼らは清々しい顔で、ご褒美のシールを片手に戻ってくる。

すっかりまじない信者になっているので、採血前にもいちいち騒ぎ立てることもなく、看護師さんに手を引かれるままに別室へ吸い込まれていく。

信仰のすごさを毎回感じる。

そして、この信仰心は、「ママは魔法を使える」という思い込みに、裏打ちされていることを忘れてはいけない。

長女が年少さんのときに口をついて出た私の嘘は、弟妹へと真剣なまなざしで語り継がれ、いつしか彼らの世界でママは「ちょっとした魔法使い」になり、注射や採血の際の不安や恐怖を拭い去っていった。



不器用で、そそっかしくて、キャパシティがおちょこくらいしかない、私の子育て生活において、数少ないグッジョブは「ママはちょっとした魔法使い」と、子たちに刷り込むことができたこと、かもしれない。

年に数回の医療的な側面においてしか、発揮されることがないけれど、これは私の功労だと思っている。

予防接種のときや、採血のときに羽交い絞めにしなくていい、という程度のお得感だけれど、そのくらいでちょうどいい。

親が子にしてやれれることなんて、うんとささやかだと思っていないと、いろんなことを過信してしまいそうだもの。

いつかいらなくなるこの魔法を、彼らの幼さの上で転がして、そうしていつか大きくなった彼らを、ほんの時々温められたらそれでもう、大満足。


※ この記事は2024年11月02日に再公開された記事です。

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