私には3歳年上の姉がいる。
私が中間子、そして私の4つ下に末っ子にあたる弟がいるので、姉は3人きょうだいの長子という事になる。
昔々、年号を2つもさかのぼる昭和の時代「お姉ちゃん」と呼ばれるそのポジションの子の双肩にかかる責任と重圧は結構なものがあった。
それは自由奔放な中間子として、下校時は必ず寄り道をして野山を駆けまわり、帰宅しても家に入らず秘密基地と称した庭の犬小屋に侵入して、迷惑そうにしている当時の飼い犬と本を読み、夕食の席で
「アレ、きなこちゃんは」
と言われて初めてその行方を捜してもらえる程度によく放置されて育った私から見ても、大変そうなものだった。
弟が庭に出たいと泣けば「お姉ちゃん、弟の面倒を見ててね」と言われて、まだよちよち歩きの弟を押し付けられ、妹がおやつを食べたりないと騒げば「お姉ちゃんなんだから分けてあげなさい」と自分のおやつの食い扶持を減らされるそれは忍耐を要するもので、私はそんな姉を子ども心にも「損だな」と思っていたし、当然その姉も自分ことを、この人は今現在40半ばになるのだけれど
「昔、お母さんは、私よりも弟と妹ばっかり優先した」
と言って憚らない。
げに「お姉ちゃん・お兄ちゃん」の恨みは恐ろしい。
私は、30歳で長男を産んで、その2年5ヶ月後にその長男の妹になる長女を産んだ時、まずこの姉の恨み節を思い出し、自分は同じ轍は踏んではいけないと心から思ったものだった。
長女が生まれて、兄と妹という『きょうだい』の関係性が家の中に発生した9年前。
『第2子が産まれた時、親はどうしても下の子にかかり切りになるので、家族で協力してできるだけ上の子にも手と目をかけましょう』
私はこういう『きょうだい育児のセオリー』をちゃんと実践しようと意気込んでいたけれど、そんな気負いは不要だった。
だって当時2歳半だった長男、この子に手がかかって手がかかって、比較的おとなしかった長女は授乳とオムツ、そして入浴以外の時間はほぼベビーベッドに放置されたからだ。
その頃の長男といえば、2歳児の癖に新生児より頻繁に夜泣きをし、食べるものは白飯と果物、自宅に暮らすより屋外を好み、誰かれ構わず喧嘩を吹っ掛け、当時、ずっと乗車していたキックバイクで故意に人を轢きに行くというアウトロー。
長女は乳児期を『生きた荷物』として、ほとんどおぶられ、私の背中で暮らすことになった。
だから、長男は別に兄として割を食ったとかそういう事は特に無く、むしろ可哀相な思いをさせたのは多分妹である長女の方で、私がこの頃、この2人のきょうだいの関係性の中で
『長子がきょうだいの関係性の中で被る不利益』
を長男が経験しないよう、不平等が発生しないようにするために意識して実践した事はあまりない。
強いて言えば、呼び名で役割分担が出来てしまいそうだから、長男を『お兄ちゃん』呼びしなかったこと位かもしれない。
長女と長男が2人きょうだいとして比較的穏便に過ごした6年の後、この2人の元にはある出来事が起こる。
第3子・次女の誕生。
この2人目の妹が生まれるにあたって、長男その人は後にこう語った、というか今目の前にいるので本人に「次女ちゃんが生まれるよって聞いてどう思った」と聞いてみたら
「3年生になってまさか今更、新キャラが現れるとは思っていなかった」
新キャラて。
という事で、長男とは9学年、年の離れた妹である次女はそれなりの驚きを持って長男に迎え入れられた存在だったらしい。
この次女は先天性の持病があり、生まれてから普通の赤ちゃんより少し長く病院に入院して、生後4ヶ月で自宅に帰宅を果たしている。
だからこの次女の兄である長男と、そして姉である長女は、この次女がまだ立ったり歩いたり喋ったりしない乳児のうちは
「次女ちゃんは病気だから」
そう言って、次女を宝物のように大切に扱ってくれていた。
どうしてもこの次女にかかり切りになってしまっていた生後1歳未満の頃、1度くらいは
「ママは次女ちゃんの事ばっかり」
と言われた事が無い訳でもないし、寂しい思いをさせてきた事には申し訳なさも感じて来た。
それでも、弱くて可愛い妹・次女を僕達が守るんだという気概に溢れていた2人に「オムツ取って来て」とか「次女ちゃんにおもちゃ渡して」と、ちょっとした事を頼むと喜んで傍に飛んで来ては細々したことを手伝ってくれて、私はそれにとても助けられた。
だから「今更の新キャラ」として家族の中に登場させた妹である次女、その登場のタイミングを見誤らなかったんだと思って、私は密かに安心していた。
上の2人と1番下の年齢をある程度離してしまえば、そこまで上の子ども達に兄や姉として無理を強いたり、寂しい思いをさせずに済むんじゃないかと思っていたから。
この次女が2歳になるまでは。
次女は今、2歳10ヶ月で、3歳になる直前になった。
この次女が、毎日本気で酷い。
2歳と3歳の端境期と言うと、イヤイヤ期と次にやって来ると言う反抗期が絶妙にミックスされた親卒倒必須のそれはそれは大変な時期だと、知識としても経験的にも理解していた筈なのだけれど、この次女は生来の気の強さと、行動力、そしてこれは時期的なものだと思いたいけれど超のつく癇癪持ちで
秋のひんやりとした早朝「ミズアソビシタイ!」と言ってタライをベランダに持ち出し自分でそこにゾウさんジョウロで水を汲んで自主的にお尻をつけ、かと思えば長男の学習用のタブレットを貸せと横から強奪し、長女の描いているパステルカラーのきれいな色鉛筆のイラストに「アタチモシテクレルヨ」と言ってマジックでぐるぐると円を描く、そしてそれを「やめなさい!」と言って止めると
「ママ!ヒドイ!」
と言って手に持っているペンを私に向かって放り投げて、自分は床にひっくり返って大暴れ、もう本当に手に負えない。
酷いのはどっちだ。
つい先日の小学校の運動会、その日もこの次女は酷かった。
今年の運動会は時節柄、例年より規模を縮小して、午前中だけの実施だった。
病気のせいで外出時間に少し制限のある次女も連れて行って長男と長女の活躍を見せてあげようと思った私と夫は、次女をベビーカーに乗せて小学校に連れて行った。
そうしたら、もう競技をゆっくり見るなんて夢のまた夢。
次女はグラウンドのジャングルジムや鉄棒に興味深々で、せっかくグラウンドの真ん中で、今年最高学年で最後の運動会になる長男がリレーに体操に張り切って取り組む姿を見せてくれているのに
「アッチイコ!」
と私を会場中、主に遊具のあるグラウンドの端を中心に連れ回し、私は長男がリレーのアンカーとしてゴールする瞬間を見逃した。
かろうじて見る事が出来た長女のダンスでは、観客と児童のスペースを仕切るロープの下をくぐって長女の元に駆け出していき、慌てて私に抱き上げられて、折角観戦スペースの最前列を「小さい子がいるならどうぞ」と譲ってもらっていたのに、そこから即撤退する羽目になった。
お陰で私は今年の長男と長女の運動会について、次女をなだめて、捕まえて、あとは次女のお尻を見て後ろを追いかけていた記憶しかない。
だから、今長男と長女に
「お母さんは、いつも次女ちゃんの事ばっかり」
と言われたら、もう手をついて長男と長女に謝るしかないのだけれど、この運動会の間、次女は会場で長男を見つけては
「長男クン~次女チャンダヨ~」
と言って両手を振ってアタシを見てとアピールし、もう思春期の入り口に差し掛かってそうそう2歳の妹を人前で構うのも恥ずかしいのではないかと思う年ごろの長男は「おう!」という感じで手を振り返してくれたし、次いで入場門付近にいた長女を見つけて
「長女チャン!長女チャン!」
と次女が騒ぐと、今度は長女が整列を無視して飛んできて、そのたびに次女は大喜びしていた。
お陰で、会場をうろつくこの珍獣の機嫌をちょこちょこ保つ事ができたことを考えると、もうこの2人には感謝しかない。
次女本人は長男と長女の競技なんか、一切見ていなかったというのに。
きょうだいという関係性の中で、うちの場合は3人だけれど、複数の人間が育つ時には、誰に何の不満も無く、すべてが上手くいくと言うのはやっぱり難しいんだろうなと 、私の力量の不足については置いておくとして今、11歳と9歳と2歳の子ども達を育てて、本当にそう思う。
そして今日もまた、長男と長女、2人をほったらかしにして、私は次女の尻を追いかけ、結局、長男も長女も次女の育児に付き合わされている。
本当に申し訳ない、ありがとうってそれだけは思ってる、ありがとう、本当にいつもお疲れ様です。