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公開 2021年03月24日   更新 2022年03月07日

「お空が綺麗」は私の感性の押し付けになってないかな…。そのモヤモヤは、息子が晴らしてくれた

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言葉を覚えてきた息子との会話が楽しく、ついつい「お空綺麗だね~」と言う私。ふと、感想を押し付けているのでは?と罪悪感を抱いていたある日、保育園の先生の話を聞いて、腑に落ちました。


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こんにちは。にくQです。

今回は、親の感性を伝えることは、押し付けだろうか?に悩んでいた話です。


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「空が綺麗」というのは私の感想であって、息子はそう思っていないかもしれない。

何かを見るごとに「キレイ」と言わないといけないと思わせてないだろうか?

押し付けていることになるのではないだろうか?

ちょっとした一言も、「親と子」という環境下で圧力になっているのでは?

息子には自由に、自分の感性を育んで欲しいと思うものの、そもそも土台となるボキャブラリーがまだまだ少ない状態です。

私の一言にどこまで影響を受けるのかは分かりません。

だからこそ、「押し付けているような罪悪感」が拭えませんでした。


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息子が私の「お空綺麗だね」を真似したことで先生がほっとしたという出来事で、彼は私の言葉を代用して彼なりに世界と関わっているんだ、ということに気付きました。

私の渡している言葉というボールを彼がどのように使うかは、本人次第であり、私が罪悪感を抱く必要はない。

そんなふうに腑に落ちました。

これからも、私や先生、周囲の人の言葉を聞いて、どのように選択し、それにより何を学ぶのか。

息子の世界の広がりに、ワクワクしながら毎日を過ごしています。




※ この記事は2024年11月03日に再公開された記事です。

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