たった298円。
あの日、たった298円で、あんなパラダイスを味わうとは思いもしなかった。
少し前の土曜日、長女の習い事を終えて、私と子ども達3人は帰路を急いでいた。
時刻は12時。お腹がうんと空いている。
お昼ごはんをどうしようか、考えながら車を走らせる。
ああ、確か炊飯器が空っぽだ。
そう気がついて、お昼ごはんのハードルが4段階くらい上がってしまった。
米さえあればなんとでもなるのに、どうしたこと。
朝ごはんをささっと食べた後、長女は習い事へ、私と下の子どもたちは近くの図書館へ行っていた。
長女は習い事で身体をたくさん動かしてお腹が減っているはずだし、私も、絵本コーナーでこれでもかと絵本を読み聞かせしたので、すごくお腹が空いていた。
米が炊けるのを待ってなるものか、という気持ち。
「お昼どうしようか」とつい、子達に問うてみた。
問うたところで彼らの答えたものが提供できるとは限らないのに、これってほんと愚問だ。
分かってはいるんだけど聞いてしまう。
心の声を、人生で抑えられたことがほとんどないのだ。大抵、だだ漏れる。
そして子達は大抵即答できるほど、「食べたいなにか」のカードを持っているらしい。
「ラーメン食べたい!!!!」息子。
「ラーメン!!!!」次女。
「カレーパン食べたいなぁ」長女
そうか、ラーメンね。うんうん。ラーメンっておいしいよね。ママも大好きだ。
で、長女はカレーパンね。うんうん。カレーパンなら、帰り道でさくっと買えちゃうね。悪くないよね。
こんなふうにだいたい意見は割れて、どれを採用すれば円滑なのか、全部叶えるべきだろうかと頭を抱えるところまでがセットだ。
だから愚問なんだってば。
お腹がとても空いているので、難しいことを考えたくないし、面倒なものをつくりたくもない。
かといって、ラーメン屋に3人を引き連れていくのも骨が折れる。
なんと言っても長女が食べたいのはカレーパンだから、カレーパンを買ってお店にお持ち込みするわけにもいかない。
カレーパンとラーメンを脳内でぐるぐるかき回していたら、はっと妙案が降ってきた。
インスタントラーメンの袋麺という、光明だった。
あの味が蘇る。私が小学生だったころの朝ごはん。
寒い冬の朝で、それはいつも日曜日だった。
刻んだキャベツや人参が乗っていて、スープ代わりに母が用意してくれたのがインスタントの袋麺でつくったラーメンだった。
銘柄もいつも決まっていた。
スープを吸ったキャベツが好きだったのを、覚えている。
なんで今日まで忘れていたんだろう。
ふと思い出して、これしかないとスーパーへ車を走らせた。
まずは、スーパーのパン屋さんでカレーパンをひとつ。
続いて、インスタントラーメンのコーナーでくだんの袋麺をかごに入れた。
「税抜 298円」の札がいっそ誇らしげだ。
298円で5袋も入っているなんて、楽園が過ぎるよ。
「ラーメン屋さんに行きたかったのになー」とぼやく長男をたしなめて、まあまあ、見てなさいと胸が高鳴った。
その、某観光都市の名前を冠したラーメンは今も変わらないパッケージで、あまりに昔のままだった。
そのことが妙に嬉しくて、そわそわしてしまう。
家に着いて、鍋に湯を沸かす間も頬が緩む。
おそらく20年以上ぶりの懐かしい匂いが、封を切った袋の口から鼻をくすぐる。
沸かしたお湯に、ラーメンを3袋とキャベツや人参をどっさり入れた。
冷蔵庫で退屈していた豚コマ肉も、ついでに入れる。
袋には、「3分」の文字。
たった3分。3分。お値段298円でお時間たったの3分。
なんて善良でやさしいのか。
足を引っ張る気が1ミリもない食べ物、それが袋麺。
野菜を入れる余白が与えられているところも、とてもよい。
そのひと手間で、母はすべての罪悪感を手放すことができるのだ。
3分待つ間、子どもたちに、子どもの頃の話をした。
「寒い朝にばーばーがこれをよく作ってくれてね、ママ大好きだったんだよね」
「えー!そうなの?そんなにおいしいの?!」
子どもたちの期待値が上がる。
いい、どこまでも上がっていい。
だってこの、某ご当地名のついたラーメンは、期待を絶対に裏切らないのだ。
どこまで期待値を上げても、その期待値を超えていくに決まっている。
大船に乗ったつもりで、「そうだよ、すっごくおいしいんだよ」と答えた。
いよいよ実食のとき。
ラーメンを丼に盛り付けると、子達が「これ写真に撮って、食べてるよってばーばに送ったらいいんじゃない?!」と、はしゃいでいた。
それもいいかね、と言いながらそれぞれに給仕。
カレーパンを食べる長女ももちろん、ラーメンだって食べる。
少し控えめによそって、さあどうぞ。
麺をすする音と同時に、声にならない声が三方向から上がる。
一呼吸の後、「おいしい~!!!!!!」
そうでしょうそうでしょう。おいしいんだよ。
特に息子は、ラーメンのCMかと思うほどの喜びようで、目を見開いて感動していた。
それぞれ「おいしいおいしい」と口々に言って、あっという間につるりと全部平らげた。
圧倒的な幸福感だった。
ワンコインでおつりがくるほどのお値段で、お湯を沸かして3分で「いただきます」ができて、そしてこんなにおいしくて、なんだかもうめちゃくちゃにすごいな、と思った。
あんまり嬉しくて、あんまり感心して、何度も子どもたちに「おいしかったねぇ」と言った。
母が作ってくれたおいしい料理は数あれど、どれも私が再現しても到底おんなじ味になりはしない。
醤油が違うんだろうか、味噌が違うんだろうか、いっそ、水が違うから、手が違うから、なんか知らないけどとにかく同じようには絶対にならない。
だけれど、袋麺のラーメンは、変わらない味を20数年前と同じように再現させてくれた。
ああ、紛れもなくこの味だったと思うことの安堵たるや。
それはこたつに入ってすすったあのスープの味、そのものだった。
休日の昼ごはんに新しいレパートリーが加わった。
母みたいに、朝ごはんのスープ代わりににするのもいいかもしれない。
税抜き298円の袋麺のラーメンが、パントリーに常備されることが決定した日のお話。