真ん中っこ長男(7歳)はとにかく声がでかい。
いったい君はどこを目指しているのか、なんのためのその声量なのか、まじで1ミリも分からないくらい、とってもとっても声が大きい。
なにかの必殺技としていつか使うためなのかな?と思うほどの大きさ。
彼に初めて会う人にはあらかじめ「声がとても大きいです」と伝えることにしている。
驚かせるのはもはや仕方ないので、せめて心の準備をして頂けたらと思っている。
とにかく声がでかいので、しょっちゅう声が枯れている。
2歳の頃の動画を見返すと、なんとまあ、かわいらしい小鳥のさえずりのような澄んだお声。
少年合唱団に入れそうなほど清らかな声だった。
その声で「げんこつやまのたぬきさん」を歌う姿は、愛くるしいにもほどがあるほど愛くるしい。
「これぼく?!」
耳元で叫ぶ7歳の声は、比較にならないほど低く枯れている。
なんてことだ。
「そうだよ、かわいいねぇ」
と返事をしながら、いったい彼の声はいつからこんなに枯れてしまったのか、心の中で首をかしげる。
動画をいくらかさかのぼると、4歳は2歳よりやはり低く、しかし今よりははるかに高い声。
5歳の彼もまた、4歳よりは低いけれど、今よりは高い。
5歳もまた然り。という具合だった。
つまり、彼の声は年々少しずつ枯れては低くなってを繰り返し、7歳現在、見事に少年らしい声になっている。
声変わり前だというのに、女子の声と聞き間違うような声では全然ない。
一度気になって、かかりつけの小児科で診察のついでに聞いたのだけど、「うん、まあ問題ないです」というとても大味なお返事だった。
元気過ぎるほど元気だし、これで命が脅かされているとはもちろん思っていないんだけど、もっとこう、ほらあるじゃない。
とはもちろん言えないし、次の患者さんが待っているし、「ですよねぇ」と薄く笑って診察室を後にした。
ちなみに耳鼻科で耳の検査もして頂いたのだけど、こちらもまた、なんの問題もないとのことだった。
元気なのは大いに結構で、むしろ元気過ぎてこんなでかい声を出しているんだとも思うし、枯れた声が彼の健康を脅かしていないのならそれはそれで素晴らしいことなんだけど、あいにく私のお耳にもキャパシティというものがある。
毎日毎日そんな大きな声で話されたら、お耳だって辛抱たまらんわけで。
幾度となく
「そんなに大きな声で言わなくても分かるんだよ」
「ちょうどいい声で話してね」
とか、言い続けてここまでやってきたけれど、そのうち
「うーるーさーい!!」
「やーかーまーしー!!!!」
とか、こちらも負けてたまるかと言わんばかりに鈍器のような大声が出るようになってしまって、今となっては説得力のかけらもない。
とは言え、私だって大人だし、普段はそんな分別のない声の出し方はしない。
お話しするときは普通のボリュームだし、声枯れしない程度に調整も効く。
鈍器が必要になったそのときにこそ飛び出すけれど、普段はちゃんと、「ふつうの声」なのだ。
ところが、7歳はそのあたりの分別がついていない。
小さな家の中でいちいち「まぁ―――――まぁ―――――――!!!」と叫ぶ。
姉や妹と喧嘩したときも、いち早くなにかしらの文句や泣き言を叫ぶ。
楽しく遊んでいるときでさえ、「ヤッホー!」だか「きゃっほー!」だか高らかに叫ぶ。
その声量に、私はいまだに慣れない。
いちいち驚くし、先述したとおり、耳がとても疲れるのだ。
少し前、新型ウィルス禍の影響で登園と登校を自粛することになったのだけど、なにが疲れたかと言えばお耳。
耳がほんとうに疲れてしまった。
つんざくような声と声と声に、私の鼓膜が悲鳴を上げた。
鼓膜だってそんなに頻回に大振動を繰り返していたら疲れるに決まっている。
昨夜もそんな大きすぎる彼の声に疲れてしまっていた。
「そんなに叫ばなくていいよ」
洗い物を始める気力を振り絞りながら言った。
「いいの??!!やったーーーー!!!俺は!!!!!自由だーーーーーーー!!!!」
もう叫んでる。
「なくていいよ」の部分しかたぶん聞いていないし、もはやテンションがぶち上がっているときに何を言っても意味を成さないし、無駄な雄叫びを誘発するだけだった。
我が家は田舎のとてものどかな場所に建っていて、家の前は広大な田んぼ、隣は広すぎる空き地と畑が広がっている。
彼らにご近所迷惑という単語は1ミリも響かない。
私にとって一番の切り札は裏のおばあちゃん。
「裏のおばあちゃんがびっくりするからやめよう」
というセリフをたびたびくり出すんだけれど、裏のおうちはお察しの通り、そこそこ遠く、その上おばあちゃんは耳が遠い。
私が裏のおばあちゃんと話すとき、至近距離にもかかわらず、大きな声で話しているのを子どもたちも見ているのため、説得力なんてあったものじゃない。
学校でご迷惑をおかけしていないか先生に聞いたこともある。
もういっそ誰か私以外の人が困ってくれていたら、彼も聞く耳を持ってくれるかもしれない。
と思ったのだけど、先生は
「ああ、声大きいですよねぇ。クラスのムードメーカーでとっても助かっていますよ。ふふふ」
というお返事だった。
そうじゃないの。先生も困っているって言っていいんですよ。ねぇ。
これは彼の性分というか、持って生まれた声帯として受け入れていかなくてはいけないのか、私の鼓膜も我慢勝負を繰り返すのみ、と思っていた矢先、流しっぱなしの動画サイトから衝撃的なフレーズが飛び込んできた。
「フランス人はとにかく声が大きくて」
なんだって?
画面の中ではフランス人と思しき女性が話しており、さらにこう続けた。
「大声で話すのよ、フランス人は」
最高では?!!
世界には声が大きい人々が暮らす国があるらしい。
試しにインターネットで「声が大きい + 国名」で検索をかけるといくらでも出てきた。
なんという希望。
逞しい声帯が普段使いできる場所がたまたまこの国じゃなかったというだけで、世界には声が大きい人々が暮らす国というのがどうやらたくさんある。
彼の逞しすぎる声帯もいつかどこかで、しっくりくる場所を見つけるのかもしれない、と思えば私の鼓膜も少しは報われるというもの。
彼を今、住宅が密集する日本の都会生活に放り込んだとしたら、ストレスで大変なことになるに違いないけれど、それがフランスなら、むしろ「あなた、声が小さいわよ」なんてことになるかもしれない。
世界は私が思うより、うんと広いのだ。
ちっぽけな価値観は捨てよう。
いつかモンマルトルのカフェで彼とお茶をする日が来るのかもしれない。
どえらい楽しみができてしまった。
鼓膜を守りながら、そんな気休めをお守りにしている。