今年の母の日、私にとって衝撃的なことが起こりました。
なんと、母の日の制作物である似顔絵に、年長の息子が「パパ」を描いてきたのです。
パッと見は、「母の日」らしいピンクや赤の色合いの絵。
写真立てのような枠には、カーネーションを模した切り絵が貼ってありました。
でも、その中にある似顔絵の顎のあたりに散っている、黒いクレヨンで描かれた細かい点。
「これはパパのひげだよ!」
と息子は嬉しそうに言ったのです。
息子はパパといる時、いつも楽しそうに笑っています。
マイペースな息子のわがままや甘えに、短気な私は付き合いきれないときもあります。
一方で夫は息子のそんな側面にも穏やかに根気よく付き合ってあげるので、そんなパパのことを息子は大好きなのです。
2人は羨ましいくらいに、強い信頼関係を築いています。
一方で私に対しては、2歳頃からママイヤ期に突入。
パパがあまり叱らないぶん、私が息子に注意する役割を請け負ったことや、年子の妹に手を取られがちだったのも重なったせいか「ママはイヤ!パパがいい!」が口癖でした。
そんなママイヤ期は今でもゆるく続いており、トイレや仕上げ磨きなどのちょっとした時も「パパがいい!」と主張してきます。
だからこそ、私はこの「母の日に父親の似顔絵を描いてくる」息子の行動に対して「ああ、そうか。そうだよね……」と心のどこかで納得したのでした。
そしてその日の夜、息子から絵を渡された夫。
「ありがとう。でも、これは母の日のプレゼントだから、ママの似顔絵を描くんだけど……」と、私に気を遣ったのか、少し困ったように息子に言いました。
すると、息子は「母の日は、ママにコレを渡すって知ってたんだけど、僕はパパにいつもありがとうって言いたかったんだ」と返したのです。
切ない気持ちでそのやり取りを眺めながら、思い出したのは実父のことでした。
私の実父は、絵に描いたような九州男児。
父の存在は家の中で「絶対」的存在。
父の「鶴の一声」ですべてが決まる、そんな家でした。
イライラしている時は目に見えてわかるタイプの人だったので、そんな時は父親の地雷を踏まないよう、息をひそめて生活していました。
家の中が父の機嫌に左右されてしまうので、普段の食事中やせっかくの家族旅行も、常にビクビクしていて全く楽しくありませんでした。
家長として自分に厳しい分、家族にも周りにも厳しかった父。
夕食後、こたつで弟とダラダラ話している時、「その語尾を伸ばした話し方は何なんだ!不愉快だ!」と急に怒鳴られたり。
外食先で料理が出てくるのが遅かったときは店員さんに大きな声で怒り、「こんな店もう二度と来るか!」と出ていく父親を追いかけて、自分たちも店を出るはめになったり。
父と一緒にいる時、私は常に緊張を強いられているような気持ちでした。
圧倒的な存在感ゆえに、私にとっては親愛の対象というよりは恐怖の象徴。
成長するにつれ、だんだんと心の距離も空いていったように思います。
そんな父に感謝を告げる「父の日」は、私にとって「義務」のような位置付け。
小学生になった頃には、すでに私は、父の日は『おとうさん、ありがとう』とさえ言えばいいと思っていたように記憶しています。
せっかく育ててくれた親に対して親不孝だと思わないわけではありませんでしたが、たいして罪悪感もありませんでした。
そんな状態だったので、自分が親になってからの母の日・父の日にも期待や楽しみはほぼゼロ。
昨年、年中さんの息子から、「おかあさん、ありがとう」と書かれた保育園の制作物を受け取った時も、嬉しいと思いつつ、心のどこかで「ああ、先生に書かされたんだなあ」と思ったくらいです。
ですが、今年の母の日。
息子がたくさんの思いを込めてパパの絵を描いてきた時。
ふと過去の自分が思ってきたことへの報いを受けたような気持ちになったのです。
あの時、父親に感謝してなかった自分。
だから私は自分が親になったとき、年中の息子がくれた「ありがとうの気持ち」を受け取れなかったのかもしれない、と。
今年の父の日に、息子が私の似顔絵を描くことはきっと無いでしょう。
でも、それでもいいと考えるようになりました。
形だけの感謝のやり取りなんて、互いにとって意味が無いんだと腑に落ちたからです。
もちろんこのままの状態が続くのは私にとっては不本意なので(笑)、いつか気持ちのこもった「ありがとう」を息子からもらえるように、母親としてもっと息子に寄り添っていきたいと思います。
そして父に、今年は数十年ぶりの心からの感謝を込めて「お父さんありがとう」を伝えようと思います。
口先だけの感謝を伝えていた罪悪感を抱えながら。