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公開 2022年09月28日  

幼少期のわたしにとって「眠れない」は一大事。怖いものはいくらでもあって、涙が溢れたあの日

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さっさと大人になっちゃって一緒に楽しい夜を過ごしたいね、と思う日でした。


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人はいつから夜が怖くなくなるんだろう。

すっかり大人になってしまったので、ひとりで夜トイレに行くことなんてへっちゃらだ。

お風呂に入るのだって平気。

寝落ちしなかった夜は、大ボーナストラックなので怖いどころかハピネスタイムの始まりだ。

楽しくてしょうがない。


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小さい頃は暗いところが苦手で、夜ひとりでトイレへ行くのが怖くてたまらなかった。

特に実家の2階のトイレは寝室から少し遠かった。

2階の廊下を隔てた先に隣接する父の会社があり、そのエントランスの奥にトイレがあったのだ。

寝る前に「あ、おしっこ……」と思った時には絶望した。

姉や妹に一緒に来てと頼んでもたいてい断られるし、そしてそのうち妹はひとりでもトイレへ行けるようになってますます頼みづらくなった。


今でもあの、エントランスの電気をつける瞬間を覚えている。

3つ並んだ電気のスイッチのうちどれかひとつが正解の電気だったのだけど、そのひとつを探りあてるまで緊張が張り詰めいていた。

寝室を出てから、暗がりの中で電気のスイッチをつけるまでほんの10歩ほど。

この10歩がたまらなく怖かった。

さらに電気は3つ。

なぜだか3ついっぺんにつけるという発想がなくて、違うスイッチを入れてしまっては「ああこれじゃない」と焦った。


そんな思いをするなら自宅の1階のトイレを使えばいいようなものだけど、1階に降りるには仏間の前を通らなければいけなかったのだ。

夜でもろうそく型の電灯がともっている北陸特有のギラギラしたお仏壇が、幼い私の目にはとても禍々しく映っていて、夜はどうしても前を通ることができなかった。

そして、やはり1階に降りるのは少し遠い。

田舎の古い家はやたらと広くて困る。


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トイレだけじゃない。

夜はそもそも怖かった。

寝付けなくて布団の中でずっと泣いていたことが何度もある。

今思うと、コタツでつい夕寝してしまった日だったりしたのかもしれない。

私はよくコタツで寝てしまう子どもだった。


ノストラダムスの大予言を想像しては泣き、病気がちなおじいちゃんが死んだらどうしようと泣いた。

いつかやってくる命の果てを思っては悲しくなったし、命の果てを思えば順番としては両親が先に逝くことに気がついてまた泣いた。

泣いているうちに、あれもこれもどうしようもなく怖ろしくなっていくらでも涙が出た。

途方もなく大きな恐怖に飲み込まれていると、そのうち普段存在を思い出しもしない親戚のおじさんの身まで案じ出してまた、さめざめと泣いた。

おじさんも自分が深い眠りの中にいる間に、姪っ子に身を案じられているとは思うまい。

怖いと悲しいの連想ゲームがどこまでも続く、それが眠れない夜のお布団というものだった。


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※ この記事は2024年09月25日に再公開された記事です。

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