中学生の長男、小学生の長女、幼稚園生で心疾患闘病中の次女、3児の母のきなこさん。
家族との日々について細やかな筆致でエッセイをつづられ、コノビーでも連載中です。
予測不可なカオスばかりが発生しても、どうにかこうにか対応可。
温かく、ユーモアあふれるエッセイ集『まいにちが嵐のような、でも、どうにかなる日々。』(KADOKAWA)より、一部をご紹介いたします。
私の10歳の娘のお友達にあみちゃんという子がいて、もちろんこれは仮名なのですけれど、フランス語でお友達は『amie(アミ)』なのでそういうことにしてみました。
私は割にそういう簡単な言葉遊びみたいなことが好きで、物語を読む時には登場人物の名前の由来とか意味とか、これを起点にして結末に何か大変なカタルシスを生むのではないかとか、そういうことを細々いちいち考えたりすることを大変に好みます。
ところでカタルシスとカタストロフって間違えやすいですよね、意味は全然違うけど。
そして結末は破滅よりも浄化の方が好ましいのだけれど。
さて、10歳の娘とあみちゃんはひとかたならぬ糸と糸で結ばれたふたりです。
同い年で生まれは娘が8月、あみちゃんが10月。
ふたりはまだそれぞれの母親の胎内にあった頃、築半世紀で洗濯機の置き場がなくて大体の人は洗面所のスペースを半分つぶして洗濯機をむりやりに置き、トイレは灰色のタイルにむき出しのタンクでモルタルの壁がパラパラと剥がれてきてなにやら囹圄のような廃墟のような、そういう世にも昭和中期のつくりの集合住宅の1階と2階、コンクリの天井と床を挟んで近すぎるくらい近くにおりました。
その頃のふたりが互いの存在を知っていたのかそれはわからないのだけれど、朝夕の挨拶を交わす程度の間柄であった2階の住人のあみちゃんのママと1階の住人の私は、あれは大きな地震のあった年のしんとした春の晩、風呂場と洗面所というにはあまりにも簡素な空間の天井から突然ぱたぱたと水が降ってきて、さては2階の人々のあずかり知らぬうちに何ごとかが起こっているのだろうと、それを知らせに行ってそこで初めて会話らしい会話をして親しくなったのでした。
あみちゃんと娘はその後2ヵ月違いで生まれ、3歳からは同じ幼稚園に同じバスで通い、6歳からは同じそろばん教室で机を並べてかちこちとそろばんを弾いて、7歳になる年にはすぐ近くの小学校に一緒に入学。
その頃には件の天井から雨が降ってきた集合住居は老朽化が進みすぎて人間の住処としてはもう不適格であると判定され、数ヵ月できれいさっぱり跡形もなく消えて、私達は元の住居のすぐ近くに建てられた新しい集合住宅に暮らしていました。
ふたりは4年生の今もとても仲良し。
互いに習い事のない日の夕方は、とても利発な、それだけに宿題を終わらせる手が娘よりも相当早いあみちゃんがうちの棟までやって来て、部屋番号をぽちぽちと打ち込んでインターフォンを鳴らす。
「娘ちゃんあそべますかぁ?」
対して何ごとにも呑気な、そして漢字のプリントに文字を書き込む手が丁寧すぎて、言いかえると果てなくのんびりすぎで、下手をするとそれを終わらせるのに寝る直前までかかってしまう10歳が、
「あー、いまいくー」
そう言ってキッチンカウンターの上に置いてあるカゴの中の小袋のお菓子を片手にもりっとつかんでそのままはじけるように遊びに出かけてしまう。
え、行くん?
宿題終わったん?
音読はどうするん?
最近はこのご時勢なもので、遊ぶところと言えば、大体は近くの公園や広場と暗黙の内に決まっていて、そこに集まり持参した小さなお菓子を交換してはちょっとお喋りをしたりボールを追いかけたりと、毎日が野外活動の子どもたちも、世界がこんなことになる前は、
「寒い日とか暑い日は、お家の中で遊びなさいよ」
互いの親にそう言われ、自分とその子とその子のきょうだいの分のお菓子を持参して交代で自宅に招き合う、そういう文化みたいなものがあったのだけど、それは今すっかり昔のことになってしまった。
ちょっと、寂しい。
あの頃、あみちゃんが放課後にうちに遊びに来てくれた時、当時はまだお尻をずりずりと引きずりながら廊下をいざっていた1歳になる直前の末の娘の喜びようは大変なもので、混じりっけなしの熱烈歓迎というのはこういう姿のことを言うのだと、私は思い知ったのだった。
あみちゃんは2人きょうだいのお姉ちゃんで、2つ下にやんちゃな弟がいて、言葉がグラウンドの隅から隅、うんと遠くにひびく明瞭な声のような、そういうはっきりとした性格で、同時に大変な世話焼きで、実の姉よりもずっと姉らしいあみちゃんを末の娘は当時も今もとりわけ好きなのだ。
あみちゃんがうちによく来てくれていたこの頃、あみちゃんのことを好きすぎる末の娘は経管か栄養といって鼻に細い管を通し、そこからミルクを胃に流し込むという少々特殊な栄養摂取ならびに生存の仕方をしていて、遠目にはよく分からないけれど近くに寄るとわかる、鼻に細い管の通った軽めの不思議さが外出時に軽く注目されてしまうこともしばしば。
それまでは普通の、健康に問題のない子だけを育てた経験しかなかったもので、当時の私は他人の視線というものを今よりもずっと恐れていた。
「それ何? なんでそんなんつけてんの? かわいそうに」
疑問に思ったことや気になることは即座に相手に訊ねてきっちりカタをつけないと気が済まない、好奇心の赴くままに声をかける、そういう気質の人というものは世間にわりに多いし、住んでいる場所が息をするが如く「なあなあアンタ」と声をかけてくる人が多分日本イチ多いところなもので、まあそれを聞かれることの多いことと言ったら。
当時の末の娘の使っていたNgチューブと呼ばれる医療器具は、鼻から入れて胃に通し、その先端に蓋のついた小さな注ぎ口が常に鼻にぷらーんと下がっているというもので、鼻から出ているそれを顔に直接テープでぺたんと留めるという形式のものだから、当の本人は顔がつねにむずむずと痒いらしくて、少し目を離すとかりかりと指で搔いてそれをむしってしまう。
そうするとなんと、胃からずるずると、もしくはつるりと、あるいはぽろりと細い管が丸ごと出てきてしまうのだ。
と言うてもそれは30㎝ほどのものなのだけれど。
しかしこれをまた入れ直すのがひと苦労で、看護師を呼ぶでもなく病院に駆け込むでもなく、親が子を羽交い締めにして入れ直すのですよねこれが。
そういうある種の蛮行が一見穏やかに静かな家庭で行われていて、その軽い緊張の毎日の中に普通の家庭で日々暮らしていて、普通の弟がいる普通の子であるあみちゃんがやってきて、
「娘ちゃんの妹って、なんかへんやな」
とか言わないかな、何なんこれと鼻から垂れているものの正体を聞いて、それの理由を知って結果怖がったりしないかなと、そういうことをえらく心配していたのだけれど、あみちゃんは、
(どうもどうもおねえちゃまのお友達、わたしともあそびましょう)
と、はりきってまあるい顔と体をぐいぐいと寄せてくる末の娘の姿に大変に喜び、遊び場にしている和室にこちらにおいでと誘ってはおままごとのトマトなどを手渡してあげていた。
当時の末の娘は今よりずっとひどい心不全状態であったために体がまあるく浮腫んでいて、それは形容詞的なものでなく事実として、正月の鏡餅のような顔の輪郭をしていたのだけれど、あみちゃんはそれがまた「かわいい」のだそうな。
そして小さい子どもは年上の子どもに構われるとそれはそれは喜ぶもので、あみちゃんが「かわいいねえ」なんて言おうものなら末の娘はとても喜んだ。
そしてはしゃいだ末の娘がさらに畳の上に散らばる玩具を拾おうと顔をぐいと下に向けた時、ふだん引き抜かないように耳にかけてさらに小さな髪留めで髪の毛に留めていた管がぽろりと外れたのを、
「あ、取れたで」
と言ってあみちゃんはふつうに、とても自然に耳にかけ直して留めてくれたのだった。
あみちゃんはひとつもその鼻から出ている細い管を怖がっていなかったし、同時にこれは抜けたらあかんやつらしいというのをちゃんと理解していて、大切に取り扱ってくれたのだった。
私はこの時、多分娘とあみちゃんは小学2年生の時だったと記憶しているのだけれど、あみちゃんがまだほんの小さな子どもで、この末の娘が胃に管を通しているとか浮腫んでいるとかいろいろ諸々の軽い異質さというものを理解していないとかいるとか以前に、自分の感じている世界が、持っている感情が、それはあくまで自分だけのものであって他の人のものではないのだと、そういう至極当然のことをあらためて、
「そりゃまあそうか」
と思ったのだった。
私はあみちゃんのことを所詮は小さな子どもだと思って完全にその思考や感情を先回りした気でいて、いわば見くびっていたのだ。
あみちゃんにとって、この友達の妹というものは、なにやら変な管が鼻から出ているまあるい顔の病気の子であるという以前に、生まれる前からの親友の妹であって、私のお腹のふくらみであった時からその存在を知っていて、生まれた後は娘と退院をずっと心待ちにしていた可愛い赤ちゃんなのだった。
ちょっと病気らしいというのは後から知った設定なので、あみちゃんは特に気にしていない、というよりはじめからそうなのだから、
「そういうものだ」
と思っているのだろう。
目に捉えたものを、耳で聞いた音を、中空を漂う香りを、そこにあるものをあるように捉えて特に理由を考えない。
「だってそこにあるのだから」という感覚は、小さい子の方がずっと強い。
大人になるとそれは哀しいことにうんと弱くなる。
それに加えてあみちゃんは、何というか心根がとてもすばらしいのだ。
とても素朴に、小さきものは小さきものとして親切にしてやらねばという心構えがそなわっている子なのだった。
不思議だなあ、それって先天的なものだろうか、それか親の教えというやつだろうか。
あみちゃんのママはとても素敵な、優しい人だから。
そういうわけで私は、娘のいちばんの友達であるあみちゃんのことがとても好きなのだった。
今日も末の娘を幼稚園に迎えに行った帰りの駐輪場の前、あみちゃんの深い赤のランドセルと娘のチェリーピンクのランドセルがぽこぽこと並んで歩いているのを見かけた末の娘の歓喜の声は大変な音量で、4年生になって娘同様にすっかり背の高くなったあみちゃんはこちらに気づいて手を振り、末の娘は喜んであみちゃんに駆け寄ろうとして、この子は今酸素をつけているのだけれど、その酸素のホースがビーンとなってせっかちな犬みたいなことになった。
でも別にあみちゃんは変な顔をしない、あらあらという顔で笑う、これもまた、今の末の娘のありようだから。
世界の皆があみちゃんのようだと、私はとても嬉しいのだけれどなあ。
そして私はあの2年生の時に末の娘の管を耳にかけ直してくれたあみちゃんに対して、その躊躇の一切ない素直で優しい指先の動きを見た時からずっと、「けっこうすごい子やなあ」と尊敬に近い気持ちを持っているのやでと、私はいつか彼女にちゃんと伝えたいなと思っているのです。
ひそかな敬意を寄せられた彼女がそれを知ったら、どんな反応をするのでしょうか。
書籍には他にも、長女ちゃんの運動会でのエピソードなど、心が温かくなるエピソードが収録されています。
ぜひ手に取ってご覧ください。
(編集:コノビー編集部 岡田)