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公開 2023年08月08日  

伝わって…強く純粋に書き連ねます『夏休みのお昼ご飯つくりたくない』

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空の果てなく青い、プールの水面のどこまでも透明な夏休みがやってきましたが、それは台所を司るものにとっての苦行の日々、学童に宅配のお弁当が導入されるなど素敵なニュースもあるものの、子どもの食事の手間は普段よりもかかってきてしまうこの夏、皆様におかれましては如何お過ごしですか、私はもうへとへとです。


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恐ろしい夏

うちは夏休みのこの時期、その時々に不在の時間はあるけれど、基本こどもが3人すべて家にいる。

今年の我が家の夏は昼間、幼稚園がお休みで退屈を極める年長児で5歳の次女、夏休みの宿題を妹に妨害されている小学6年生で11歳の長女、そして今年高校受験の天王山を制すためにほぼ毎日午後の一番暑い時間からとっぷり夜のふけるまで学習塾に通う中学3年生の長男、このメンバー。

そして、普段はたいへんありがたくも給食の恩恵にあずかっているこの子達が全員昼間家にいるということは、それは即ち毎日毎日毎日、この子達に昼食を作らないといけないということなのだ。

毎年毎年、7月の終わりごろに、梅雨を吹き飛ばして颯爽とやってきた夏空を仰ぎ見て

(お昼ご飯、つくりたくない…!)

何度呟いたことかわからない。

普段、ひとりきりの昼間はトーストをキッチンペーパーの上にぽんと置いてそれをお皿がわりにして食べるとか、納豆の白いパックの中で納豆をかき混ぜてその上にゴハンを乗っけて食べるとか、横着飯の王道を行くこの私が。

その上、子ども達全員が、そこにある程度の濃淡はあるとはいえ、結構な偏食なのだから、お母さんもう涙出る。

例えばそれが、百歩譲って3人が3人、嫌いな食べ物がほぼ一緒というのなら少しは気が楽なのだけれど、それぞれの子の好きなものと嫌いなもの、特に「これだけは絶対食べられない」ものがぜんぜん違うというのは、毎日高度なパズルゲームをしているようなもので、朝、布団からむっくり起き出した時から

「さて、今日は昼こどもたちに何を食べさせよう、チキンライスは次女が嫌がるし、ミートソースのパスタは長男が微妙な顔をするし、冷やし中華…は長女がきゅうりだけは食べられないって言うしなあ…」

まだ夜も明けやらぬ朝の台所でひとり、脳内に3つの円からなるベン図を思い描き「3つの集合の共通部分を答えなさい」という数学問題に思いを馳せることになってしまう。

そうして高校生の頃に涙を流しながら青チャートを捲り、大人になったら数学とはまったく無縁な生き方をしよう、とにかく二度とこんなことやるものかと思っていた数学Aを40すぎて駆使しないといけないことになるなんてと、なんだか途方もない気持になったりもする。

しかし、とりあえずご飯をお腹いっぱい食べさせるということが、とりたてて育児にポリシーのない私の唯一のこだわりであるので、暑い盛りの今、私は頑張っている、頑張っているけど向こうも結構手ごわくて、折角作った渾身のひと皿を

「あたしこれきらーい」

ひとさし指でピンと弾かれてしまう。

すると心がぐずぐずとくじけた私は脳内荒野に突っ伏して「もう、ごはんなんか作れない…」とむせび泣いたりするのだけれど、その後むっくりと起き上がり

「まあ、明日は蒸し鶏と錦糸卵をのっけた冷やしうどんにでもするか…あれならまだ」

不屈の闘志でまた次の食事の準備に向かって歩き出すのだった。

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全員偏食の恐怖

「食べないなら放っておけばいつか食べるんじゃない」

そう言ったのは、夫のお母さん、つまりお姑さんで、あれはうちの長男が離乳食を終えてやっと普通のご飯をたべられるかなという年齢になったころ、1歳半くらいの頃だった。

メラミンの仕切り皿に小さく取り分けたいくつものおかずを全部「いななーい(訳:いらん)」 なんて言ってひとつも食べてくれず、食べてくれるものと言えば白いご飯をほんのすこしと、あとは果物ばかり。

春は苺、夏はモモ、秋はぶどう(しかも巨峰系の粒のお高いやつ)、冬は…なんだったか忘れた、でもミカンとかお値段がごくお手頃なものは食べてくれなかった。

長男の食生活は、ずっとそういう状況だったもので、私は毎日

「この中のどれかひとつでもいいから食べてくれよう…」

そんなことを言いながら幾つものちまちまとしたおかずを、お皿の上に並べてはしつこいくらいに「これは食べない?」「これはイヤ?」とやったものだった。

それはまるでどこかの国の王子様のお食事風景だった。

一番初めの子である長男を

(こんな豆のように小さい生命体を大人サイズに育てるというのは一体なにを食わせたら…)

そんな風に、毎日ぎりぎり精一杯の気持ちで育てていた私は、こんなに食べないなら栄養不足でやせ細り、ついには将来に色々と悪影響が…なんて本気で戦々恐々としていたし、長男の頑固極まりない性格を考えると、前述のお姑さんが言ったように食事を与えない訳にもいかないとも思っていた。

これは結構確実な予測だけれど、食べさせなければ食べないまま「じゃあぼくはごはんはいいです」と言って、何も食べずに過ごしていたんじゃないだろうか。

当時、未知なものに対して強すぎる警戒心を持っていた長男が、果物の次に「これは好きだ」という表情で食べてくれるようになったものは、サッポロポテトだった。

「これは…やさい…まだ、やさい」

野菜を食べさせねばならないという呪いにも似た感情に憑りつかれていた若い(当社比)私は、あれはスナック菓子の形をした野菜だと自分を納得させ、その後その理屈はケチャップも野菜、ポテトはもちろん野菜、という理論をひねり出し、そうやって私は今よりずっと偏食だった長男の幼児期をやりすごしたのだった。

そんな兄を眺めながら育った長女は、3度のごはんよりもお菓子が大好きな子に育った、今日もお菓子を求めて食器棚の周りを徘徊し「そんなにお菓子ばっかり食べないの!」と私に叱られたところ。

そして一番末の次女もまた長男レベルの偏食で、ついでにもともと持病があり離乳食が順調に進まなかったというハンデもあって、次女が最初に「これは食べる」と断言したものはゴハンと言うか、お菓子と言うか、アイスクリームだった。

そしてこの3人の食事の好みに共通しているのはひとつだけ、緑の野菜をその辺の草かなにかと思っているフシがあると思われる程、葉物の野菜がキライだということ。
3人の前世は確実に山羊でも牛でもないし、ケヅメリクガメでもなさそうだ(ケヅメリクガメは小松菜が好き)。

献立が恐怖

一応、夏休みの朝、私は子ども達全員に

「今日、お昼なんにしよっかー?」

ということを聞いている。
いちいち考えることが嫌だというか。

でも大体の答えは決まっていて、成長期の14歳になっても未だに食事体に興味の薄い長男は「なんでもいい」で、なんでもいいからってほうれん草のソテーを山盛り作ったって食べやしないだろうとココロの突っ込みが入るし、3人きょうだいの中で一番よく食べてくれる頼もしい長女は「おいしいもの!」とにこやかに言うけれどそれはそれでハードルが高い、美味しいものって、具体的に何?それを教えて。

そして、次女、この子は何を決めるにも即決即断の幼児であるので、こちらが聞けばちゃんと具体的に「これが食べたい」とは言ってくれるのだけれど、それが

「たこ焼き」

だから困る、365日中365日、たこ焼き。

仕方ない、私は昼食の献立を自分で考えてその後、休む間もなく次の夕食を考える。

大げさかもしれないけれど、食事を毎日作るというのは結構クリエイティブな行為なもので、私ごときの脳みそでは容量がすぐに一杯になると言うか頭が疲れる、そのための食材の買い物はもっと疲れる、今年の夏はとりわけ暑い。

でもその話を、私よりずっと早く結婚して、子ども達の夏休みのお昼を作るというミッションから随分前に開放された友達に話した時、その人は

「あー、わかるわかる、超大変だよねえ、あんたのとこきょうだいの年が離れてるから特にねえ」

うんうんと同意してくれた後、つづけてこう言ったのだった。

「でもさあ、あの充実した日々!」

私にはあと10年分程残されているはずの子どもの夏休みのある夏をすべて走り切ると、それを過去のとても良い思い出に昇華することができるらしい、そうなのか。

だったら家で夏休みの子ども達にご飯を作り続けている私はもう少しだけ頑張ってみようかなと思うのだった。

まああとほんのすこし位。

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毎日嵐でございます #62
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