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公開 2023年12月12日  

しんどかった"ソロお産"。コロナ禍に出産をしたママ達に思うこと。

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特に頼んでもいないのに1年が過ぎる速度のはやいことと言ったら、毎年「えっ!もう1年が終るの?」とカレンダーに文句を言いたくなるくらいで、それでもこの1年というか数年を振り返ると、しみじみ感じることがありましたので、書きました。


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2歳ちゃんがいる!

いろいろあって最近、朝だけうちの末っ子次女6歳は幼稚園のバスに乗ることになりまして、それはもう大喜び、いろいろとバスに乗せるのには心配があるからと伸ばし伸ばしにしていた「みんなでバス」をどうしてもっと早くに

乗せたいです

と挙手しなかったのかなぁと親が壁に向って反省するほどに。

そんなうれしたのしいバス通園、それは私にとっても

「朝、次女を自転車に乗っけて幼稚園に送らなくていいから楽だなあ」

ということ以外もうひとつ嬉しいことがあって、そのバス停を利用するお友達のきょうだいも朝ママやパパと一緒にその子のお姉ちゃまとかお兄ちゃまをお見送りに来る、その弟妹の中にとても可愛い2歳ちゃんがいてそれがまた

「なにごとですか…?」

とため息つくくらい、可愛らしいのだ。

2歳児と言えば育児業界では魔の2歳児、イヤイヤ期とかいう恐ろしいものがやってきて、これまではただただ可愛い乳児だった我が子が、お着換え?イヤ!ごはん?イヤ!ねんね?イヤ!という

「そんなになんもかんもイヤなら出家したらええやろーッ!」

と叫びたくなるような状態になる年齢。

ごく個人的には「ああもう思い出したくない!」という思い出だったのに。

しかし人間というのは大変に勝手なもので、その2歳児が世にも可愛いよそのお嬢さんだと、ママにイヤイヤしていても「イヤなん?可愛いなぁ」なんて自然と顔がほころんでしまうというか
「小さい子ってなんて可愛いんやろね、ほら見てごらん、あんよがあんなに小さい、アーッ見てあのお手々のえくぼのところ」

なんてことを言いすぎてうちの次女に

「ねえっ、次女ちゃんは可愛くないのッ!」

とむくれられたり。

ところで、この超絶可愛い2歳児ちゃんは当たり前だけれど2年前の、2021年に生まれた子ということになる。

そうかあ2年前に生まれた子がもう歩いて喋るのかあと思ってしみじみしていた私はふと、2021年って結構大変な時期だったんじゃないかなということに思い至ったというか、ああ、君とママはあの大変な時期に生まれたのだねえと、それがもう歩いているんだねえと、なんだか途方もない気持になったのでした。

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あのころ生まれた君たちは

今、2歳のおちびちゃんとか、あと3歳の子とかもかな、もしかしたら1歳の子なんかもそうかもしれない、とにかくここ数年のうちに生まれた赤ちゃんたちに共通することと言えば、世界があの忌まわしきウイルスのせいで大混乱に陥っていた時期にこの世にやってきた赤ちゃんだったということ。

特に2021年というと、今は随分元気で、幼稚園のお友達と楽しく過ごしているうちの次女がちょっと大掛かりな手術をして、その後予定よりもずっと長く入院し、周囲をハラハラさせていた時期になる、あの時はちょっと大変だった。

あの頃、目に見えない妖怪があちこちうろついているかのような状況だった巷では、飲食店が暫くお休みか時短営業ということになり、学校は一斉休校、お仕事も極力家でリモートワーク、マスクはドラックストアの棚から綺麗に消えて、アルコール消毒液はどこに行っても売り切れになっていた。

この頃のことで私がとてもよく覚えているのは、府内の大学病院のICUが感染症患者の専用になるということで

「一般患者の受け入れを一時停止します」

というお達しがあったこと。そのことについては

「なんそれ、そしたらうちとこの子みたいな子どもが急変したらどないするん」

なんて、うちの次女と同じような病気のある子のママ達と私は結構憤っていた。

一体世の中はどうなってしまうんだろう、子ども達はこの状況で健やかに憂いなく育つことができるんだろうかという不安ばかりのあったここ数年。

そんな最中に、赤ちゃんがお腹にやって来てくれたママ達は、まず妊娠の報告の最初から「こんな時にアレですが…」と、世間に申し訳ないような空気を醸す、そういう雰囲気がなんとなくあの頃の世の中にはあって、私はそれもまた

「どうなんかな…」

と思っていた。

検診に行くにしても、マスクをして厳重に感染対策をして、例えばつわりや貧血で体調が悪い、そういう状況にあっても「できればあまり大勢で病院には来ないでね」という感じだったようだし、なにより感染症の大嵐が吹き荒れていた最盛期には「感染症予防のため、陣痛室ならびに分娩室へのご家族立のち入りは不可」になってしまっていた病院がとても多かった。

実際、次女が2021年の春に入院していた頃、次女のかかりつけの病院というのは小児病棟に向い合う形で産婦人科病棟が配置されていたのだけれど、その産婦人科病棟と小児病棟を繋いでいるエレベーターホールには、妻のお産に付き添ってはきたものの、病棟の中に入ることはできず、それでやきもきしながら

「無事に生まれましたよ」

というただ一言を待っているパパが、そこに置かれたパイプ椅子によく座っていた。

みんな大体居心地の悪いような、少し困ったような表情で腕組みをして、どうにも落ち着かないという様子で座ったり立ち上がったり。

そこは大学病院で、普通に元気な妊婦さんが元気な赤ちゃんを産むということも勿論あるのだけれど、大体は妊婦さんになにかしら事情があってずっと入院して、そうしてやっとこぎつけたお産であったり、もしくは赤ちゃんにすでに疾患がみつかっているとか、ちょっとどころかかなり心配の尽きないお産である場合が多く、病棟の廊下をゆっくりと歩くといいうリハビリを始めた頃の次女によく付き添っていた私は、あの時のエレベーターホールにいるパパ達が

「俺の子、無事生まれたんかなぁ…」

と廊下をうろうろとしながら、なんなら神仏にさえ祈っているような姿を結構頻繁に目にしていた。

そしてその時エレベーターホールで待機している人の伴侶であるところの妻、つまりママになる人はひとり、分娩室かもしくは手術室で鋭意、頑張っていたのだと思う。

大体わかる、私もそこで次女を産んでいるもので。

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ソロお産

そういう妊婦単独でのお産、ソロお産 というものを私も2度、経験した。

あれは分娩の時もそうだけれど、とにかく陣痛をやりすごしている間がつらいんですよ。

10分ごと、5分ごとに感覚を縮めてやってくる陣痛とか、それにつられてまだ開き切ってない産道というか子宮口に赤ちゃんを腹圧でもって押し出そうとつい下腹部に力が入ってしまうのを息をふうふう言わせて逃がすのは結構大変で、その陣痛というのも、お腹が痛いと言うよりは私個人としては臀部が痛い。

私は割と鈍いというか、痛みに強い方ではあるのだけれど、それでもなにかでっかい塊が下に向って降りてきているというはっきりとした感覚がそこにあって、陣痛感覚がいよいよ短くなると

「いてて…あたた…痛い、痛い、痛い」

なんかもう「痛い」しか言うこと無いんかという状態になった、語彙力の著しい低下。

そして痛みが高波のようにどんどん強くなると

「イター!」

なんて叫んだりすることも。

日ごろ使っていない筋肉にもたびたびチカラが入るし、叫び続けることで喉も腹筋もそれは疲れる、それで喉がカラカラになって

「み…みず」

と思っても手近にそれがなかったりするソロお産では誰もそれを手渡してくれない、通りすがりに看護師さんとかが来てくれるのを待って

「あっ、その床頭台の上にあるペットボトル取ってください!」

と言わなくてはいけない。

私は選択的にソロお産をしたので、そのへんは致し方ないのだけれど、世間全部がそのようになっておりますのでと、ほぼ否応なしに

「お産の時、付き添いの方は病棟に入室していただけません」

をやらないといけなかったママはしんどいことだろうと、仮にもしそれが初産だったりしたら、きっと心細かっただろうなと思っていたあの頃。

「みんなが大変なんだから」

と言われてひとりで出産をして、その後もまだ小さい赤ちゃんをあまり外に連れ出せない雰囲気のある日々が長く続き、やっといま2023年の12月、人類はあのウイルスを克服した訳ではないけれど、なんとはなしにそれの扱い方をほんの少しだけ心得て、幼稚園も保育園も学校も少しバージョンアップしての通常運行、お外に遊びにいく機会も旅行に行く機会も増えた。

そうしてあの、世界が一番混乱していた時期に生まれた赤ちゃんが、朝にこにこしながら幼稚園バスに手を振る姿を見られた今年の暮れ、やっと、なんだか2年ぶりか3年ぶりに

「あ、年が明けるねえ」

という感じがしているのは、私だけですかね、割とみんなもそうだよね。

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毎日嵐でございます #66
きなこのタイトル画像 きなこ

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