長男が小学校に上がる時、一番びっくりしたのは長男の進学した地域の公立小学校に制服がないことだった。
私が子どもの頃に通った小学校は、北陸の田舎町にある公立小学校だったけれど、農紺色のブレザーに白いヘチマ襟のブラウス、男の子は半ズボンに女の子はプリーツの吊りスカートの制服だったはずで、この原稿を書くために母校のホームページを覗いてみると驚いたことにそのデザインは今も殆ど変わっていなかった。
息子と同じ関西地域で育った夫に聞いても「俺の小学校にも制服はあった」と言ってそれを
「半ズボンに白いシャツにそれから俺のとこは冬、紺のセーターだった気がする」
懐かしそうにそう話したてくれたので、やっぱり制服だよねと思い込んでいたのだけれど、小学校入学説明会に行って見ると、穏やかそうな校長先生はにこにこと
「市内の公立小学校に制服はありません、動きやすい服装で登校してくださいね」
そう言った。
確かにそれまで小学校のそれっぽい制服を着ている子を見かけた事はなかったけれど、私はちょっと驚いて、説明会の後、地元がここであるというママさんにそっと聞いてみた。
「この辺って、小学校の制服ないんですねえ」
「エッ?公立小学校に制服なんかある?国立とか私立の学校じゃなくて?」
「ありますよぉーウチの地元がそうだったし」
「へー!そんなとこあんねや!」
あとで調べてみると、制服のない公立小学校の方がそれがある小学校よりも多数派なのだとか。
そう思ってみると昔から放映されているテレビアニメの、お魚の名前のあの子も、眼鏡ののんびり屋のあの子も、確かに制服は着ていなかった。
とはいえ、小学生の長男が制服のない学校に通うことに、さして不便を感じたことはなかった。
強いて言えば長男の入学直前に夫の祖父が亡くなって葬儀に出る時、汚れても破れても惜しくないという洋服しか持っていなかった長男に「一体何を着せたら…」と少し困った程度で、むしろ
「制服ってお下がりナシだと、公立でもひと揃えで結構な値段になるだろうし、助かるなあ」
と思っていた。
実際、小学校に入学する前に長男が通っていた幼稚園には可愛らしい制服があったのだけれど、それを制帽、制服、体操服、上履き、靴下すべてひと揃え購入したら結構な額面になって慄いたのが私であるのだし。
それを思えば、ファストファッションブランドとか子ども用品量販店の衣類なら、汚れても破れても特に惜しくない系のお洋服を上下4,5着アウターも含めてどんどん買い物かごに突っ込んで適当に購入しても1万円いくかいかないかだし。
春休みに楽しくお買い物をして揃えた長男好みのネイビーブルー、モスグリーン、チャコールグレー、それから黒、何となく国防色な、渋めの色合いの洋服を着て意気揚々、長男は家から歩いて5分の小学校に通うようになった。
長男が「カッコイイ!」と言って選んだ迷彩柄のパーカーのフードがなんだか嬉しそうに揺れて、幼稚園の頃には
「幼稚園なんか行きたくないー!」
と叫んで、バス停の前の道路標識にしょっちゅうしがみついていたために
「この子、小学校ちゃんと行くんやろか…」
と散々心配していた彼も蓋を開けてみれば何のことはない、毎日それは楽しそうに登校してくれる。
体育の授業があった日の放課後の恰好がいつもとんでもないことは気になったけれど。
(Tシャツが裏、トレーナーが後ろ前は当たり前で、パンツのお尻ポケットが前にきていたことも)
しかし、5月のすこし肌寒い日、長男が5時間目を終えて帰宅して「おやつなーに」と聞きながら、その時着ていたお気に入りの迷彩柄のパーカーを脱いだ時のこと「お洋服を床に放らないでよー」と床に落とされたそれを拾い上げた私は「あれ?」と思った。
なんか大きいな。
長男は3月生まれで、その分体がとても小さかった。
今でこそ170㎝程、日本人男性の平均身長程度の背丈の長男も当時は、クラスで一番チビで、だから着ていた服も、110㎝とかそれ位、それがこの日長男が床に放り投げたパーカーはなんだか袖丈が長いように感じられて、私はそのパーカーのタグの所に書いておいたはずの長男の名前を確認した。
山田航太(仮名)
誰?
それは私の知らない男の子の名前で、当然私はそれを長男に聞いた。
「ねえ長男君、山田航太君(仮名)て誰?」
「クラスの子!」
「なんかこれその子の服なんやけど、お席が隣だったりする?」
「ううん、ぜんぜん、離れとる」
その「ぜんぜん、離れとる」座席の子のお洋服をどうして君が着て帰ってきているのだよ。
時間割を確認するとこの日、体育の授業があった。
多分着替えの時に人智を超えたイリュージョンが起きて山田航太君と長男の洋服が入れ替わってしまったのだろう、全く同じデザインの洋服だし、袖を通してしまえば気が付かないのは仕方がない。
結局取り違えられたパーカーは、先方の親御さんも困惑しているかもしれないしと、学校に連絡を入れて経緯を説明し、先生の方から山田君の親御さんに連絡を入れて貰って次の日に交換、無事手元に帰って来た。
(こういうことの対応までしないといけないなんて、小学1年生の担任の先生って大変やな…)
我が家にはその後も幾度となく
「これアンタのちゃうやん」
というお洋服は舞い込んだ。
動きやすくて、汚れても破けても然程惜しくない程度のお値段のキッズ用衣類って大体同じようなお店のものになるし、特に男児用の服はよく似た色形のものが多くて、とにかく被るのだ。
長男のお洋服交換会は、本人の細かいことに拘らない性格も手伝って高学年になるまで続いた。
とは書いたものの、お洋服交換会は今日も時折続いている。
長男、現在中学3年生。
長男はその後、地域の公立中学校に進学した。
そこには今度はちゃんと制服があった。
ラフなスラックスにポロシャツに紺色のセーター、最近の制服はブレザーじゃないんだねえと感心しながら購入した制服は、かつて長男が幼稚園入園の際に購入した制服の総額とそう変わらないお値段だった。
(しかしこの子ももう中学生だし、他人の制服を間違えて持ち帰ることもないだろう)
そう思っていたのに
「ねー!これ長男君のじゃないけど?」
全く別の子の名前の明記されたポロシャツ、体操服のTシャツ、あとはセーターがこの3年間何度か家に舞い込んでは元の持ち主に戻って行った。
そもそも中学生にもなるとママやパパが征服全部にお名前を書くということをしないこともあるし、もしかしたら今家にある長男の制服の一部は誰か他のお子さんのもの…ということも考えられる、そう思って考えると、冬用の体操服が何だか小さいような。
結局制服でも私服でも取り違えは起きて、そうして親経由で、もしくはお友達同士で、それを綺麗に選択した上で「間違えて持ち帰ったようで、すみません」など一筆書いて返すということは起きるのだ。
(そんなの、うちの長男だけやろって言わないで)
そんなことをしている間に、長男の中学3年間は駆け足で過ぎ去ろうとしている。
4月から長男と3学年差の長女が入れ替えで中学生になる。
長男と同じ中学に入学することになる長女には、まだ綺麗な冬用の体操服とか、やせ我慢してあまり着なかったので毛玉がほとんどないままの冬用のセーターなんかはお下がりとして活用しようと思っていた、墨汁のシミのあった体操服のTシャツはともかく、夏用の体操服もハーフパンツの方は綺麗な筈、それで長男のクローゼットを確認していたら、2枚あるうちのハーフパンツの1枚に
「これだとお尻が見えますね」
程度の焼け焦げの穴があった、当然聞きますよね「あんたこれどうしたん?」。
それは冬、1枚を部室に置き忘れ、もう1枚を洗ってしまってどうにも乾きそうになかったハーフパンツを自室のカーボンヒーターであぶって乾かそうとした結果の事故だそうで、それを中2の冬にやらかして以来、長男は1枚きりのハーフパンツをなんとか切り回して中3の今までやり過ごしたらしい。
発想がすごいな君は。
「なんで、焦げてしもたって言わへんのよ…」
「いやー、怒ると思って」
そら怒るわ。
ともかくも新学期、子どもの新しいお洋服にはかならず名前を、そして制服の在庫管理をゆめゆめ怠ってはいけないという教訓を得て、今年我が家は新高1、新中1、新小1を迎える。
長男の新しい制服が一体どこのどんなものになるか、楽しみで、少し怖い。