真ん中長男が小学校3年生になって、我が家に新たな風が吹き込まれている。
小僧が、いろんな小僧が家にやってくるようになった。
小学校低学年までは家の近所をうろうろするだけだった子どもたちが、3年生になると、校区内を自由に自転車で行き来してよくなるらしい。
徐々に陣地を拡大している彼らが、校区の果ての我が家に辿り着いたのは冬の初めのこと。
今では日々、そこそこ遠い場所から少年たちがやってくる。
1月、繁忙期にあった私は昼も夜もない暮らしをしており、昼間に仮眠をとることが度々あった。
和室に置いてあるクッションに体を預けて、子どもたちが帰宅するまでどおれ休憩…と気持ちよくお昼寝をしていたある昼下がり。
目を開けると目の前に、息子ではない少年がいた。
薄目をこじ開けてよくよく見ても、息子じゃない。
無垢な目をしてこちらを見ている。
「もう来たの?早くない?息子は?」
「オレ自転車やから!抜かした!」
「そ、そうか」
「寝とったん?」
寝てたよ。
絶賛寝てたよ。
昼日中におねんねしているやばい大人だと思われたかもしれない。
違うの、おばちゃんはこう見えてすごく頑張って生きてるんだよ。
信じて。
と言えるはずもなく、
「うん。寝てた」
と言って、へらへら笑うほかなかった。
以来そんなふうに、息子の帰宅より早く少年たちがやってくることがある。
15時が近づくと、うっすらとだけ家の中を片づけて、うっかり寝ないように気を付けている。
私は3人姉妹で育っているせいか、少年に免疫がないのだと思い知らされる。
小3男子はいちいち叫ぶし、いちいち下ネタを言うし、いちいちトンチンカンなことを言う。
私だって男児を育てるお母さんの端くれだからそれなりに分かっていたつもりなんだけど、男児は揃うとエネルギーが増幅するらしい。
そぞろ集まる彼らは想定の3割増くらいでトンチンカンだ。
どうにも彼らは少年漫画雑誌から抜け出してきたみたいに、その、言葉を選ばずに言うと、つまり、漏れなくおバカ。
愛すべきおバカ。
うっかり私を「せんせー!」と呼んだり(何回でも間違える)、やたらと単語の語尾に「ゴリラ」をつけたり、飛んだり跳ねたり、いきなりスクワットを始めたり、いちいちがフレッシュ。
少し前のこと。
息子が帰宅と同時に「今日みんなでチョコつくる!」と言った。
またそんな急に。
そして、間もなく
「バレンタインのチョコつくる!!!」と叫びながら少年たちが自転車をか飛ばしてやってきた。
家の前で叫ばないでちょうだい。
ちょうど習い事へ行っている末っ子を迎えに行くために車を出したところだったので、詳しいことは聞かずに「はいはいどうぞ」と返事をして家を後にした。
習い事へ行っている末っ子を迎えに行き、ついでにクッキーやら板チョコやらトッピングに使えそうなキラキラした粒を買いこんで帰宅した。
友達が来るとは聞いていなかったけど、少し前に「チョコを作りたい」とは話していたし、ぎりぎり想定内と言えば想定内。
息子も一緒に作るのだろうし、長女や末っ子も作りたがるだろう。
喧嘩をするといけないし、と少し多めに購入した。
ところが帰宅するとみんなご機嫌にゲームをして遊んでいる。
「チョコつくるんじゃないの?」
「うん!」
「材料持ってきた?」
「ううん!」
「作り方分かる?」
「ううん!」
私ありきで集っている小僧ども。
幸い材料はたくさん買ってあるけれど、私は今から末っ子を次の習い事へ送り届ける必要があり、同時にちょっと急な仕事が飛び込んでいた。
「えーーーー!!」
と言いつつもこういう時に燃えるのが私のよくないところだ。
無垢な彼らの突拍子もない思い付きがどこか眩しいと思ってしまう。
将来、その強い気持ちでがんがん飛び込み営業とかに立ち向かってほしい。
常々、口を酸っぱく「ママが送迎をする必要があるような約束は当日にしてこない」と言い続けているのだけど、まさかの「当日突然チョコづくり」の約束をすると思っていない。
すべてが予想外で、「とりあえず、やる」しか考えられない。
各自、チョコを開封して割り砕いておくよう伝えて、末っ子をふたつめの習い事へ送りに行った。
帰宅して急いでチョコレートを湯煎にかけて、おのおのクッキーやビスケットに溶かしたチョコを塗ってトッピングするように指示を出し、私はトッピングが散らばるそばで仕事をした。
偶然、帰宅が早かった夫がその様子を見て、そのシュールさに笑っていた。
そこそこに野蛮な彼らだけれど、私の指示をきちんと聞いて、お利口にお菓子作りに取り組んでいて、聞けば好きな子にあげるのらしい。
なんだその甘酸っぱさは。
パチパチとパソコンを叩きながら、手をベトベトにして慣れないお菓子作りに勤しむ彼らを見るのはちっとも悪くない。
こんなの、いつか子育てがひと段落した頃に思い出して、ただ幸せな気分になるに決まっている。
テーブルの上はぐちゃぐちゃで、迫る夕暮れと固まらないチョコレートにやきもきして、家の中を右往左往したけれど、ぜんぶが可笑しくて愉快だった。
そんなふうに、彼らと過ごす時間はいつも突拍子もなく、騒がしくて、ぜんぶが新鮮だ。
節操のない他所の子どもを甘やかしていると思う人もいるかもしれないけれど、こんなの人生のほんの一瞬のことに違いはなく、過ぎてしまえばただの思い出だ。
それどころか、彼らのほうではこんなこと、大きくなった暁にはひとつも覚えていないかもしれない。
きっとそのくらい彼らにとってはなんでもないことに違いない。
だから、私もいちいち大騒ぎせず、彼らの日常の一部の記憶になりすましていたいと思っている。
彼らの子どもの頃の記憶が、ただただ広大で豊かな芝生のようだといいなと思う。
私はその芝生のたった1本になりたい。
無鉄砲でいつだって曇りなく楽しそうな彼らを見ていると、なんだか心が強くなる。
幸せってこういうことだよな、と毎回はっきりと思う。
なんでもかんでも「ゴリラ」で言い換えてしまう彼らは、まさか私がそんなことを思っているとは思うまい。