正直に言うと、家事がぜんぜん好きじゃない。
掃除はまず掃除機を出すところから面倒くさいし、さらにそれを綺麗に雑巾がけなんかした日には肩も腰も痛くなる。
だったらお掃除ロボットが便利ですよと言われるけれど、うちは物が多いのと、そこかしこに子どもが転がったりしているせいで、きっとロボット殿の本来の性能を発揮できないのではないかと思う。
その点お洗濯は全自動洗濯機がやってくれるけれど、洗い上がりの洗濯物は人力で干さなくてはならないし(乾燥機のない我が家)、お日様に照らされてからりと乾き上がった洗濯物は綺麗に畳んでまたそれぞれの箪笥やクローゼットに仕舞い、それが更にまた汚れて洗濯機に放り込まれるとう永久運動が発生する、それを
「なぜだ」
と思いながらも「致し方なし」とせっせと家事をこなしていま15年目。
結婚する前、ひとり暮らしの頃の家事はなにをしても当然全てひとり分で、5人家族の今と比べると圧倒的に量が少なかったし、住んでいた部屋だって6畳に小さなキッチンとバストイレのついた所謂ワンルーム
「掃除つらい」
なんて感じたことは多分なかった。
そもそも日中は仕事で家にいないし人がいなければそこまで散らかることもなかったし。
しかし今、子ども3人の生活の中では。
朝、起きた瞬間から、ブロックを取り出す6歳児に、前の晩に体操服をカバンに入れ忘れたからと箪笥を掘り返しはじめる12歳児、そして洗濯物を洗濯機に入れることを罪だと思っているらしい14歳児、あと、朝まだ暗いうちに会社に飛び出していく成人男性つまり夫、この4人の人々の掃除洗濯を平日一手に引き受けていると、家の中は未来永劫片付かない。
片付けても片付けても、秒速で散らかってゆく小さな玩具と増え続ける折り紙作品、中学生と小学生が学校から持ち帰るプリント類に最初は必至で抗っていたけれど、ここに学習塾の教材過去問が加わってからはぼ無抵抗になって随分経つ。
片付ける速度を、散らかる速度が凌駕しているのだからちょっとどうしようもない。
そもそも本当のところこういう細かな整理整頓を含む家事全般が苦手だし嫌いだ。
できることならやりたくない、叶うことなら来世は富豪の家の猫に生まれたい。
でも家が少しくらい散らかっていても、お洗濯物をちょっと貯めてしまっても(でもウチの洗濯物の量だと2日が限度だと思われる)、生きてはいける。
埃が床に白い皮膜を作るレベルに掃除をさぼることはハウスダストアレルギーの子どものいる我が家では禁忌事項であはあるけれど、某ブロックのパーツがあちこちに落っこちていたところで、踏んだら痛いだけで実害はあまりない、痛いけど。
家事の中で一番やらないと困るものは多分料理だ。
人間は食べないと生きていけないし、子どもはちゃんとご飯を食べさせないと育たない。
それなのに我が家では料理ができるのは私だけ、これに私は一番困っていのるかもしれない。
今の時代、別に料理ができなくても特に困らない。
ケータリングやデリバリーのサービスはいくらでもあるし、手の込んだお惣菜や、栄養バランスを考えられたお弁当はスーパーやコンビニにいくらでも売っている。
それらを上手に活用できれば、そこまで全部手作りに拘らなくてもいいじゃないのとは思うのだけれど、実際に『料理を全くしない人』に、子どもを含む1家5人分の夕食を買って来てほしいとなると、それはとてもハードルが高い難問になる。
数年前、こんなことがあった。
うちの次女にはちょっとした持病があって、幼稚園に入園する直前の春に結構大掛かりな手術をした、大掛かりな手術と言うのは手術そのものも大変だけれど、術後体が回復して一般病棟に移るまでの間もなかなか大変で、次女は術後回復を待っていたICUで少し良くなったと思ったら、また悪くなるという状態を2週間ほど繰り返していた。
そんなある日のこと、昼の面会を終えて帰宅し、夕ご飯の支度をしていたら突然電話が鳴って、私は病院に呼び戻された。
「緊急で処置をしたいことがあるので、お母さん病院に戻れますか」
病院の次女になにかあまり良くない事が起きたらしい、私はこの時、調理前の豚バラに肉を持ったまま「どうしよう病院に、病院に行かなくちゃ」と言いながら廊下を三往復し、当時小学6年生だった長男に怒られた。
「まずは落ちつけ、その豚肉を台所に置け!」
その日私は、夕飯に豚の生姜焼きを作る予定にしていたのだけれど、病院が今すぐ来てほしいと言うのでとにかく豚肉を冷蔵庫に入れ、夫に電話をかけた
「次女ちゃんのことで病院から呼ばれた、長男君と長女ちゃんの夕飯頼める?」
「お、おう直ぐ帰るし、俺料理は出来へんけど、何か買って帰る、家のことは心配すんな」
夫が「任せろ」と請け合ってくれたので私はこけつまろびつ、病院に急いだ。
あの日、夕方の6時すぎに飛び込んだ病院から帰宅できたのは晩の9時を回ったところで、ひとまず安定したので帰るよと夫に伝えながら、私はもうひとつの大切なことを訪ねた。
「それで、子ども達の夕ご飯はどうなった?」
「唐揚げ、食べさせたよ」
「ありがとうね、それで唐揚げとあと何食べたの?」
「ゴハン」
「それだけ?」
「それだけ」
(せめて、せめてフリーズドライのお味噌汁をつけてくれたら…)
そんなことも思ったけれど、子ども達は唐揚げ専門店の唐揚げをお腹一杯食べられてとても嬉しかったようだし、この時は緊急事態中の緊急事態だったし、夫は急いで帰ってきてくれたのだしと、私は特に何も言わなかった。
ただ
(料理をしないと、食事のバランスについてあんまり考えないものなんだな…)
と妙な関心はした。
そして「5大栄養素をバランスよく採る」ということについてはちょっと気つけた方がいいよと夫に伝えておかないと、未来のこの人の健康がかなり危ないし、私の家事の手間もずっと減らないだろうと思った。
あの唐揚げ事件から2年。
「5大栄養素を考えて食事をとろう」という小学校家庭科のような目標を掲げた夫は、野菜スープなどを会社の昼食でも進んで食べるようになった、夕食もまずは野菜から手を付ける。
そして色々と手のかかる次女を抱えて、ずっと家庭の業務配分で死闘を繰り広げてきた結果、夫は平日こそ早朝から深夜までほとんど不在であるものの、土日はお皿も洗えば、洗濯物も畳む人になった。
実家暮らしの箱入り息子で「今時こういうひとも珍しいだろうなー」と私を驚かせた人が(丸ごとだとレタスとキャベツの区別がつかないとか)とうとうここまで、前に進んでいかない人間はいないのだなあと思う。
でも料理はやっぱり「この俺が食えるものなんて作れる気がしない」というので、ほとんどできない。
それでわたしはせめてその轍を子ども達に踏ませまいと考えるようになった。
18歳になるくらいまでにカレーと焼きそばくらい作れるようになっておかなければ、私がこの先楽かどうかは別にしてひとり暮らしもさせられない。
今、長男は「俺はカレーなどすぐにつくれる」と豪語している。
実際に一度家庭科の宿題で「家族に夕食を作ろう」という課題が出て、それを作って貰ったこともある、普通に美味しいカレーだった、家庭科の成績もまずまずだったはず。
であるならば次は長女だ。
長女は兄が偏食、妹がそれに輪をかけた超偏食という兄妹に挟まれて育ったのに、食べることが好きで、好き嫌いも殆ど無い。
だからきっと「料理、一緒にやろう?」と誘ったら喜んで一緒に台所に立ってくれるだろうと、まずは一番簡単な電子レンジで調理できるカップケーキを作ろうよと誘ってみた。
長女は今小学6年生、小6にもなって電子レンジで簡単料理ですかと思われるかもしれないけれど、この子には次女が常にくっついている、まだ幼稚園児の次女が姉にくっついて火の傍を「あたしもやりたい」と言ってウロウロするのはちょっと危ない。
それで私はここ数年ずっと子ども達を台所に入れることを避けていた。
でも電子レンジなら、次女が近づいて覗き込んでも安心だ。それで、まず私が
「長女ちゃん、この生地を、電子レンジで3分加熱するんやって」
そう言うと、しばらく紙の型に入れられたクリーム色のケーキの生地をジーっと見つめて長女がこう言った。
「ママー、電子レンジって、どうやって使うの?」
「えっ?教えてへんかったっけ?使ったことないの?」
「なんか怖いから触ったことないねん」
…そうか、そうなのか、いやでも千里の道も一歩よりって言うからね。