今年度は婦人会会長とPTA役員を兼任していた。
幼稚園の謝恩会委員に始まり、クラス委員。
PTA地区役員に、地域の協議員(2年)。
そしてPTA本部役員と、婦人会会長かれこれ丸6年何かしらの役員をやっている。
頼まれると断れず、逃げ切ることを知らないまま、「はあ、ええ」と頷いているうちに大抵就任している。
そんなダブル役員だった1年も間もなく終わりを迎えようとしているのだけど、年度末、まあまあやることがある。
次年度の役員選出や引継ぎなどに備えて、少々荷が重い仕事がそれなりに続く。
今年度は令和の疫病が落ち着いて、いろんなことがかつての日常に戻っていこうとしている1年だった。
つまり、私は役員として、その境界を超える必要があったのだ。
そして、それを次年度に引き継がなくてはいけない。
なんて厄介な年に役員をやってしまったんだろう。
PTAでの私の役職は書記。
新年度役員の選出に向けて、相当な数の書類を作った。
PTA構文のご挨拶ボキャブラリーがとても増えたと思う。
「日頃はPTAにご協力、ご理解を賜り誠にありがとうございます」
こんな文言もすらすらと飛び出すようになった。
今年度は疫病の壁を越えたことに加え、さらに仕事が増えた理由がもうひとつある。
現PTA会長が非常に有能な方で、昨今のメディアの影響や、共働き家庭の増加、簡素化されていた数年間をそのまま支持したい保護者の声など、PTAへの理解を頂くことが難しい流れを汲み、大きな改革を決断なさった。
英断である。
仕事内容を根本から見直し、必要最低限の業務を洗い出し、会議の日程も減らすことに成功した。
次年度からはより整理された業務内容となるだろう。
素晴らしいことだ。
で、決まったそれを周知する必要が当然あって、それが書記のお仕事だったりもする。
昨年度までの配布文書の日付を書き換えるだけでは通用しない。
なにをお知らせするにも、事情を書き添えたり変更点を明記したりなどの手間がついて回る。
業務内容を見直した部分に関しては、文書を作る前に業務を脳内でシュミレーションし、穴がないかを念入りに確認する必要もあった。
どれもこれも会議の場で、口頭でやり取りされたことにすぎず、いざ文書に起こすと「あれ、コレとコレが時間的に成立しないのでは」ということもたびたびあった。
無能なのに、能力を求められすぎている。
それでも、どうにか亀の歩みで、前に進み、何度も学校へ足を運び、教頭先生に「痩せたんじゃない?」と心配もされ、しかし、しっかりばっちり体重は増え、なんとか、8割がたの業務が先日終わった。
大きな山を越えて、少しほっとしている。
と、ほっとしたのは束の間で、気が付けば次期婦人会役員の選出や引継ぎの準備をしなくてはいけない。
こちらもまた、疫病明けとあって、大きな変更が多く、過去を遡ってあれこれと奔走した1年だったのだ。
数年ぶりの行事の開催にテンションが上がったらしい自治会が過去に例がない金額を婦人会に寄付してくださり、ありがたいが始末に悩み、引継ぎにも頭を悩ませた。
さらに、町のとある地区が高齢化を理由に婦人会を抜けたいと申し出たことが皮切りになり、新年度役員の役職決めが非常に白熱してしまった。
「だったら私たちの地区だって抜けたいです!」
「そんなの言ったもん勝ちじゃないですか?!」
「私なんてもう80歳ですよ!」
大人しそうな婦人たちが、ピンと手を伸ばして次々と発言をする。
惚れ惚れするほど、皆さん頭がさえていて、とてもお元気。
理想の老後という感じさえする。
とはいえ、退会を申し出た地区の方は集中砲火を受けており、会長の私は傍観に徹するわけにはいかない。
いざ火消しを。
本来ならばこの日を境に次の会長さんへバトンを渡すはずだったのになんてことだ。
こじれる話し合いをどうにかまとめ、帰宅後、自治会長さんに電話で相談をして、ああだこうだと、骨をボキボキに折って、婦人会関係各所に電話を入れた。
電話の主はそれぞれ婦人会の鬱憤を熱心に述べ、中には30年ほど前のご自身の出産と役員が重なった日々のことを持ち出す方までおられて、産後の恨みはあらゆる角度から突き出してくるのだなと、感心した。
鬱憤が飛び出すたびに、私は共感と提案の文言を繰り返し、ようやくようやく、あれこれが収まるところに収まったのは最初に受話器を手に取った3時間後だった。
最後はみなさんおおむねご機嫌の様子だったので、私はきっとよくやった。
今日ほど口から生まれたことが役に立ったと思ったことはない。
その日は気絶するように寝た。
さて、ここまで読んでくださった人をうんと疲れさせてしまったかもしれない。
役員仕事なんて一生やるもんかと思わせてしまったかもしれない。
けれど、この1年を振り返ればいいこともたくさんあった。
子どもたちが何年も待ち望んだ盆踊り大会を再開に導くことができたし、普段顔を合わせない地域の方と顔見知りにもなった。
子どもたちのことも覚えてもらい、より地域を身近に感じるきっかけになったと思う。
子どもたちは自治会長さんのことを「いつもアイスをくれるおじいちゃん」として覚えている。
PTAに関しても同様で、学校と密にやり取りを重ねたことで、以前よりうんと学校が身近になった。
先生たちは思っていた何倍も明るくまた、頼りなくもあり、人間らしさを何度も垣間見た。
安心で安全な学校づくりのために、地域や学校、PTAが尽力していることなどPTA役員をやらないと知らないことがたくさんあった。
当たり前に受けている恩恵が誰かの手によって保たれていることは、快適に暮らしていると意外と気が付かない。
人は不満があったときにこそ、そこに関わる誰かの存在を感じるものだったりするものだよなぁ、と思う1年でもあった。
町や学校のことをそんなふうに考えたり、思いを巡らせたりできたのもとてもよいことだったと思う。
私は今、この町と学校がすごく好きで、そう思えることがとても嬉しい。
あれこれと、骨を何本もおった1年だったけれど、終わりが見えると都合よく、勝手に労われている。
と、書いたそばから婦人会の高齢の会員さんから匿名で先日の鬱憤をもう一度受けることとなり、もうしばらく胃を傷めて過ごすことが決定した。
私は強いので大丈夫。
あと少し頑張ります。