長男を産んだ日、それは4月を間近に控えた春のことで、24時間陣痛に唸って生まれた子を抱いた時私は
―この小さな子が自力で立って、歩いて、それからお喋りする日が来るってどういうことなのかしらん―
まだ親の庇護なしには何もできないふにゃふにゃの赤ちゃんがいつか歩いて、私のことを「ママ」とか「おかあさん」とか「オカン」とか、呼んでくれる日がくるのかなと、のどかな春の日差しの差し込む病室で、少しだけ未来のことを想像したものだった。
しかしそんな優しく柔らかな想像は、この小さい人を自宅に連れて帰ったその日のうちに春の嵐の後の桜ごとく、きれいさっぱり吹き飛んだ。
赤ちゃん、たいへんすぎる。
「新生児ってよく寝るよ」と人から聞いていたのに、長男は一体何が気に入らないのが四六時中泣いた、その声も産院で聞いた他の赤ちゃんの「ふにゃー」という子猫のように愛らしいのとはかなり違う轟音で、おっぱいをあげている時以外は、ベビーベッドに置けば泣くし、オムツを替えても泣くし、沐浴させても泣く。
「この子、どこか悪いんじゃ…」
心配になって、1ヶ月訪問で家にやって来た保健師さんに、四六時中泣き、常に機嫌の悪い長男のことを相談した。
「どこか具合が悪いから、こんなに泣いているんじゃないでしょうか?」
私の訴えに保健師さんは長男の体を一通り観察し、その後朗らかに笑ってこう仰った。
「ウーン…多分過敏な子なんでしょうね!」
実際に長男は母乳をよく飲み、というか機嫌を取るために四六時中、お乳にぶら下げていたので必然的に哺乳量が多くなり、それでがっちりと固太りの健康そうな体に育っていた。
それはそれでよかったのだけれど、その分体力もついて、機嫌が悪い時の泣き声は大変な爆音になっていたし、丁度生後2ヶ月ごろから乳児湿疹が強く出て、それが痒いのか更に泣くようになり、私はこの当時
(もうなんでもいいから早く大きくなってくれ!)
毎日そう思っていた。
早く自力で食事を取り、自力で着替えられる年頃になってほしい。
小学生でも中学生でも、いやもっと手のかからなそうな高校生に明日起きたらなっていてくれないかなあと、本気で考えていたのだった。
そうなると、今よりお金はかかるだろうけれど、それでもいい。
『赤ちゃん』という生き物が初めて自分の手元にやってきた時、それが想像を遥かに超えて手がかかり、かつ親である自分がその子から一瞬も離れることができないが故に一日があまりにも長く感じられて「早くこの子が大きくなってくれないかなあ」と、私はそればかり考えていた。
あの頃、あんまり手がかかるので
(そんな何もかもイヤでワンワン泣くなら、早く大きくなって自分の気に入るやり方で、なんでも自分でやりなさいよッ!)
とにかく早く大きくなって人語を解し、食事を自力で摂取して、お風呂もトイレも自分で出来るようになってくれと願っていた体長60㎝程の小さい人は現在身長約170㎝。
赤ん坊の頃あんなにムチムチだった顔と体は思春期を過ぎてシュっと細くなり、今あの頃の面影は眉毛の形にあるくらい。
長男はこの4月から高校生になった。
そうなると、最初からわかっていたことだけれど、結構お金がかかる。
長男は公立高校を第一志望にしていたので、これは親も「ありがとう!」という感じではあったのだけれど、受験のための学習塾にはきっちり3年間通ったし、2月の私立高校の受験では
「おかーさん俺、私立ふたつ受ける」
などと言い出して
「ホワイ?大学受験ならいざ知らず、本命以外をふたつも受けてどうする?」
と親を少し困惑させた。
しかし長男はふたつ私立高校受けると譲らず「なんでそんなに試験を受けたいんや、お母さんは試験なんか大嫌いやのに」と困惑する私を退けて2月に2校私立高校を受けた。
私立の受験料は1校20000円。
ということはひとつも行く気のない学校に合計よんま…いや、そうだよね、人生に保険は大事だよね。
対して本命であるところの公立高校の検定料は2200円だった。
「やっぱり公立や」
「公立万歳やね」
基本的に貧乏性の私たち夫婦は互いにそう言い合っていたのだけれど、この検定料が「銀行窓口でのみ支払い可」というもので私はたまげた、私立高校の入学検定料の支払いにはクレジットカードも電子マネーも使えたのに。
それはさておいて長男は3月中旬、なんとか第一志望の高校に合格した。
合格発表の日の午前10時、スマホで合格を確認すると、私と長男はそのまま制服の注文と教科書の購入、それからその後に開かれる合格者説明会に出席するため、電車で高校に向った。
長男とふたりで電車に乗って出かけるのは、それがいつぶりなのか思い出せないくらい前のこと、長男は当たり前だけれど電車の中でうろうろ立ち歩いたりすることなく、静かに窓の外を眺めていた。
小さい頃の長男は、電車に乗せると少しも落ち着いて座っていてくれなくて、座席で足をブラブラさせ、「退屈―!」と大声で叫び、挙句揺れる車両内を散歩しようとしてスッ転び、床に転がったりするような子だったのに。
(高校生になるんだねえ…)
あんな扱いにくさ満載の乳幼児だった子も大人になるのだ。
あの日、赤ちゃんの長男が早く大きくなってほしい、育てられる気がしない、誰か助けてと泣いていた私に今日のこの子の姿を見せてあげたい。
しかしそんな感傷も、長男が通うことを許された高校に辿り着き、まずは教科書の購入会場に入った瞬間に吹き飛んだ。
高校受験日当日に「合格したら教科書を購入してください」という旨のお手紙を本人が貰ってきていたので額面自体は知っていたものの、巨大な袋に詰め込まれた教科書類の総重量は約20㎏、お値段37417円。
「ま、まあこれ1年分やもんね」
私は重いにも程があるそれを長男と半分こして持ち、ヨロヨロしつつ次に教科書販売会場の上のフロア、制服注文会場へと向かった。
「はーい、男の方はこちらです、まずはこちらにお名前をお書きいただいて…」
そこで流れるような洋品店お兄さんの案内で、渡された用紙に生徒指名住所それから受験番号を書き込み、次にお兄さんの
「大体皆さんこちらの皺になりにくい素材のシャツを2枚程買われますね~、スラックスはお家で洗えますので1本かな~、ジャケットは…お子さんまだ背は伸びそうですからM…いやLにしときましょう、ネクタイと校章の購入欄にもチエックをお願いしますねぇ~」
こちらが悩む隙を与えない軽やかなトークにより、言われるがまま制服を注文し、その隣の体操服の注文会場でも同じように、今度は案内のお姉さんが「あっ夏用の体操服は2着は要りますよ!」と言うので夏用2着と冬用ジャージ1着、それから水泳用の授業用の水着と、体育館シューズなどを次々注文した。
こうして、4月から必要な諸々を注文し終わって、やっと説明会の会場の椅子に着席した時、長男はそっと私に聞いたものだった。
「なあおかーさん、さっきの教科書やとか制服で、総額なんぼ使うたん?」
「えー…多分やけど、じゅ…じゅうさんま…いやあんたは気にせんでええねん」
公立高校だからって、私立と比べて3年も着る制服が格安だとか、使う教科書がお安いということはないのだった。
指定のカバンや靴なんかがないだけ少しは違うのかもしれないけれど。
更に説明会で聞いたところによると高校2年生になる前にもう一度今回とそう変わらない量の教科書を購入しなくてはいけないらしい。
また受験勉強をする季節が巡ってくれば塾がどうとか予備校がどうとか、そういう話も出てくるのだろう、え?なんですかマラソン用の靴も買うんですか。
高校生、たいへんすぎる。
でもそう言えば、かつて私より10年程早く『お母さん』になった友人がこんなことを言っていた。
「まあねえ、育児の大変と楽は順番に入れ替わっていくもんなんやって」
そしてこれから3年、さらに家計を引き締めて行かねばなるまいと思った私が高校の入学式、真新しい高校の制服に袖を通した息子をひとめ見た時の感想は
「いい!」
の一言だった。
新しい制服、高校生になる長男、大変さの入れ替わる子育て、全部プライスレス。