コノビー編集部の選りすぐり!何度でも読みたい、名作体験談。
今回はコノビーで連載されている「ハネ サエ.」さんのコラムをご紹介いたします!年長のとき、ピアノに興味を持った息子さんについてのエピソード。
初回公開はこちらです。
https://mama.smt.docomo.ne.jp/conobie/article/25761
「ピアノを習ってみたいなぁ」
長男がそう言ったのは年長さんの頃だったか。
長女が家でピアノを弾くのを見て興味が出たらしい。
その頃、彼はサッカーを習い始めて2年が経っていたのだけど、ひょんなきっかけで1ヶ月ほどお休みをしていたのだ。
そんな時、ぽろりと彼がそうこぼした。
「じゃあ、ピアノの先生に聞いてみようか」
「うん」
そんなやり取りの後、長女のピアノの先生に相談をした。
「え!長男くんがですか?!彼は走るほうが好きなんじゃないかな……。少し様子を見ましょうか」
そうか。
長くピアノを教えているプロがそういうのだから、もうしばらく様子を見ようか。
確かに彼は走るのが好きだし。
それからしばらくして、長男は1年生になった。
いつの間にか長女がピアノを習い始めた時の楽譜を勝手に開いて、簡単な曲を弾いていることが増えていた。
「これはなに?」
音符を指してあれこれ尋ねるので、これはこういう音符だよ、と教えてやると、熱心に楽譜を読んでいた。
彼にとって楽譜は暗号解読のような面白さがあるらしく、弾いて見せてやろうとすると断られた。
一人もくもくと楽譜を読んで、先へ進んでそのうちテキストを1冊終わらせてしまった。
やっぱりピアノを習いたいのかもしれない、そう思い彼に「ピアノを習ってみる?」と尋ねるとやはり「うん。やりたい」と言うので、またまたピアノの先生に彼が習いたいと言っていることや、家でも熱心にピアノを弾いている話をした。
「長男くんですよね?!走ったりするほうが好きなんじゃないです?!」
いや、もう、走るのはそこそこに好きだけど、人間そんなに走ってばかりもいないでしょうに。
座って生きている時間もそれなりにあるのですよ。
先生としては声が大きくて活発な彼が、まさかピアノを、とはにわかには信じがたかったのかもしれない。
でも、気持ちは分かる。
彼は一年中半袖短パンだし、虫取り網が体の一部かと思うほどよく似合うし、生傷が絶えないし、棒を持てば振り回す。
そして声がほんとうに大きい。
すごく。
よく言えば逞しく、悪く言えば粗野でがさつだ。
そんな彼がピアノを習いたいなんて、気の迷いだと思うだろう。
彼自身も、どうしても今すぐ習いたい、と言うわけでもなかったし私もそれ以上食い下がることもせず、また少し月日が経っていった。
末っ子が年中さんの夏ごろだったろうか。
ピアノの先生がたびたび送迎の引率に来ていた末っ子を見て、
「末っ子ちゃん、ピアノどうですか?」
と尋ねるようになった。
「今のところあんまり興味がないようで」
そのように濁したけれど、その後も先生は何度かそんなことを言った。
私はあまりその話がピンとこず、「なんか違う」という違和感が抜けない。
うまく言えないけれど「なんか違う」のだ。
それでも先生は積極的に末っ子に声をかけるので、「だったら長男のほうが」というのだけど、「彼は、ほらサッカーが好きだから」と先生はやはり明るい笑顔をたたえながら頑なだった。
サッカーも好きだけど、ピアノを弾いてもよくないですか。
ねぇ。
なんだかんだと押し問答をしているうちにあれよあれよと、末っ子が入会をすることとなるのだけど、半年もしないうちに弾き渋ったり、レッスン中に椅子から降りることが増えてしまった。
嫌だと言って弾こうとしないこともあった。
そんな時、たまたま引率でついてきていた長男がピアノを弾かせてもらったことをきっかけに、末っ子がボイコットをしたら長男がレッスンを受けさせてもらう、という流れが定着していった。
やがて、1ヶ月のうち3回を末っ子、1回を長男、というレッスンスタイルになり、そして次第に、ぬるっと入れ替わって気が付いたらレッスンを受けるのは長男のみ、となったのだった。
末っ子は晴れて、と言おうかピアノを辞め、長男は晴れてピアノを習うことが叶った。
長い道のりだった。
長く待ち望んだだけあって、彼の成長は目覚ましく、テキストをどんどん消化していく。
練習を嫌がったことも、レッスンを嫌がったことも一度もないまま1年が経ち、先日2度目の発表会を迎えた。
1度目は習い始めてすぐの頃。
短い曲を3曲。
それもとても簡単なものだった。
2年目に差し掛かった今年、彼が弾いたのは2分ほどある曲をソロで1曲。
長女と私と3人で弾く連弾を1曲。
こちらも2分近くあるもの。
去年まで、あんなにかわいらしい曲を弾いていたのに、と思うと信じられないほど難しい曲に思えた。
楽譜をもらってきた日、楽しみで仕方がない様子の長男とは裏腹に私は「これ、弾けるようになるの?」という気持ちがほとんどだった。
だって、彼は1年経ってもやっぱり虫取り網が大層お似合いで、ザリガニとクワガタが大好きで、肘も膝もたいてい怪我だらけで、いつも声を枯らして何かを叫んで生きている。
彼が、この黒々した楽譜を弾きこなすところをどうしても想像ができない。
今や、私よりよっぽど先生のほうが彼のポテンシャルを信じているに違いない。
私はいまだに、走る彼の姿にピアノを弾く彼を上書きできない。
だって、実際にピアノも弾くし、座っている時間ももちろんあるけど、彼はやっぱり日々走っている。
それでもこつこつ練習を重ね、彼は楽譜を制覇していった。
彼にとってそれらが大きな山だったことには違いなく、ずいぶんと苦戦している様子も見られたけれど、腐ることなく、時には目に涙を浮かべながら、一生懸命練習していた。
それは私が今まで見たことのない、ひたむきな彼の姿だった。
あの、ドラッグストアで陳列棚を倒した2歳が、いつの間にか座って実直にピアノの練習をしている、そのことがあまりに感慨深くてたまらない気持ちになる。
まるではしゃぐ仔犬みたいだった8年間の子育ての先に、こんな突如として人間らしい姿を見られるなんて、子育ってほんとうに分からない。
とてもいい発表会だった。
長女はソロではのびやかにきれいな音を奏で、連弾では安定した音で私と長男をサポートしてくれた。
お姉さんの貫録を感じる眩しい姿だった。
そして、長男。
あの粗野を絵に描いたような彼がピアノを弾いていることに親族一同驚きと新鮮さしかない1年だったけれど、そんな彼の演奏はダイナミックで力強く、とても立派だった。
多少の粗はあるものの、きちんと着席して、背筋を伸ばして、あの黒い楽譜を覚えて弾いている。
その姿は成長というか、進歩というか、進化というか、生き物の底力みたいなものを感じさせた。
振れ幅の大きさに幸せな眩暈がする。
「人は見かけじゃない」というのはよくよく分かっているつもりだし、我が子のことももちろんそれなりによく分かっているつもりだった。
だけど、こんなふうにこちらの予期せぬ姿を見ると改めて「人は見かけによらないんだな」と思わされる。
まさか我が子にこんな意外な一面を見せてもらうことになろうとは。
相変わらずよく走るし、声は大きいし、サッカーも好きだけれど、彼は今、ピアノも大好きで、なによりピアノを弾いている自分が気に入っている。