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公開 2015年10月10日  

中間生記憶とは?日本で最も古い生まれ変わりの話

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みなさんは、前世で自分が何者だったか考えたことがありますか?ひょっとして誰かの生まれ変わり?なんて考えたこと、一度はあるはずです。「中間生記憶」とは、自分が生まれる前の、前世の記憶のことをいいます。今からおよそ200年前の江戸時代に、八王子市を舞台にした日本で最も古い生まれ変わりのお話をご紹介します。


私たちは、「今度生まれ変わったら、〇〇になりたい。」と、夢を語りあったりしますね。

これは、「死んだら終わり」ではないことを、知らず知らず理解している人間の本能の会話ではないでしょうか? 今からおよそ200年前の江戸時代に、東京都八王子市と日野市を舞台におこった、後に「ほどくぼ小僧」と呼ばれた勝五郎少年の、とても興味深い生まれ変わりの物語をご紹介します。

ほどくぼ小僧 勝五郎少年

1822年(文政5年)中野村(現八王子市東中野)に住んでいた8歳の少年、勝五郎は、 自分はこの家に生まれる前は、程久保村(現日野市程久保)の「藤蔵」(とうぞう)という少年で、 6歳の時に天然痘で亡くなったと話しました。

最初は、誰も勝五郎のいうことを信じないのですが、調べてみると全部本当だということがわかり、 彼は生まれ変わりの少年だと有名になったのです。 勝五郎には「ほどくぼ小僧」というあだ名がついて、見物人までやって来るほどになりました。

しばらくして勝五郎は祖母と二人で、程久保村の「藤蔵」の家を訪ねました。「藤蔵」の両親は勝五郎を見て、亡き息子に瓜二つだと言ってとても喜んでくれたそうです。 この時、勝五郎は初めて行ったはずの「藤蔵」の家のことをよく知っていて、みんなを おどろかせました。

その後、両家は親戚のように仲良くつきあい、勝五郎は大人になってからは 農業をして平凡な人生を送り、1869年(明治2年)に55歳で亡くなったということです。

克明に記録された、親子の絆の物語

ここで終われば、勝五郎の生まれ変わりの物語はいつしか忘れられ、現代にまで伝わることは なかったと思われます。 しかし現在、藤蔵と勝五郎の生まれた家、子孫、お墓の場所など詳しく具体的にわかっています。 それは当時、勝五郎と彼の家族が語ったことが、克明に記録されて残っているからなのです。

1823年(文政6年)2月、江戸から「池田冠山」(いけだかんざん)という大名が 勝五郎の家を訪ねてきて、詳しい話を聞き、『勝五郎再生前生話』という書物を書きました。

4月になると中野村を治めていた、「多門伝八郎」(おかどでんはちろう)という旗本が、 勝五郎親子を江戸に呼びだし、その内容を記録しました。 さらに、当時江戸にいた国学者の、「平田篤胤」(ひらたあつたね)が勝五郎を自宅に招いて、 話を聞き、『勝五郎再生記聞』という書物を書きました。

この書物はのちに、彼が都(京都)に上り、上皇と皇太后に見せたところ、 とてもめずらしいと喜び、勝五郎の生まれ変わり物語は、都でも評判になったそうです。 明治30年には、日本の不思議な話を海外に紹介してくれた「小泉八雲」=ラフカディオ・ハーンが、 『仏の畠の落ち葉』という本の中で、「勝五郎の転生」を書き、アメリカとイギリスで出版したそうです。

いかがでしたか? 藤蔵は、勝五郎に生まれ変わって、大好きな両親に会いに来たんですね。

今年は、勝五郎生誕200年。この生まれ変わりの物語は、広く海外の人々にも知られており「中間生記憶」を研究している学者からは、 「この分野の最も古くて正確な記録」として注目されています。

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