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公開 2015年11月10日  

世界一有名な町工場のおじさんのいじめ論に考えさせられる!!

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Ted×Sapporoのプレゼンテーションで有名になった植松努さんが、自身のFacebookに投稿した“いじめ論”が多くの人にシェアされています!

出典:http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10272004132

世界一有名な町工場のおじさん・植松努さん

世界一有名な町工場のおじさん・植松努さんをご存知ですか?

2014年7月に開催された「TED x Sapporo」でスピーカーとしてお話をされた男性です。

作業着姿でにこにこと照れながらステージに立つ植松さん。
何をされている方かというと、実は北海道にある株式会社植松電機で専務取締役をされていて、宇宙開発に携わっているんです!

「宇宙開発は僕の夢じゃないんです、僕にとって宇宙開発は手段にすぎません。」


宇宙開発を通して本当に成し遂げたい想いを持っている植松さんのプレゼンテーションは、世界中で160万回以上再生され、多くの共感と感動をよんでいます。


私は、この動画を5歳の息子と一緒に見ました。
スピーチの長さは20分と、子どもにとっては少し長いと思うのですが、息子は最後までじーっと話を聞いていました。
植松さんのお話を聞いた日から、息子の物の考え方が確実に変わったのを感じています。

Tedスピーチ 「思うは招く」

植松さんのいじめ論

そんな植松さんがご自身のFacebookで投稿した「いじめ論」が、Tedのスピーチ同様多くの人の心に届き、いじめに対する考え方を考え直すきっかけを与えてくれています。


こちらが、植松さんが実際に投稿された全文になります。

“僕が子どもの頃、帽子を取られました。

僕が、返してもらおうとしても、みんなが上手に帽子を投げてキャッチするので、
僕は、みんなの輪の中を、くるくるするだけです。
それをみんなが笑います。

大切な帽子だったので、乱暴に扱われるのがいやでした。
とても悲しかったし、取り返せない自分が悔しかったです。

で、結局、僕は人間を攻撃します。そしてけんかになります。
で、先生に怒られます。

彼らの言い分は「一緒に遊んでいただけす」「ちょっとふざけただけです」「植松君も楽しんでいたと思いました」です。
僕は、泣きじゃくっていて、ちゃんと答えられません。
先生が言います。

「みんな、遊んでいただけだって言うぞ?それを、お前が怒るからダメじゃないか。」

そのとき、僕は、「なるほどね。もう、先生を信じちゃいけないんだな。」と思いました。

以来、僕は、人とかかわらなくなったと思います。


そもそも、ふざけたい人たちに近寄らなければいいのです。
そんな人の仲間にしてもらおうなんて思わない方がいいのです。

僕のパーソナルエリアは、とてつもなく広くなりました。

人間は、相手の気持ちがわからないです。
だから、いじめは、「他人がどう感じたか」をいくら考えても、情報になりません。

「いじめを見た事がありますか?」
=うーん、あれはいじめかなあ、ふざけてるだけかも・・・

「嫌な思いをしている人はいますか?」
=いやー、人の気持ちはわからないし・・・

「いじめられたことはありますか?」
=あれはふざけてたのが、ちょっとエスカレートしただけかも。そんなことを、がまんできない自分がだめなのかも・・・
になってしまうことがほとんどです。

現在の学校では、「いじめ」の定義が曖昧で、しかも、「いじめ」を判断するのは先生や教育委員会です。

先生や教育委員会が「いじめ」を「ただふざけているだけ」と判断したら、「いじめ」は生じていないことになります。
これで、「いじめ」が無くなるわけないです。

そして、「いじめ」ののりこえかたや、「いじめ」の恐ろしさを知らない人たちは、社会に出てから、いっそう大変になります。

つらい思いをしてる人に、
「それは、お前の思い過ごしだ」「気にしすぎだ」「気にするな」と言ってしまう大人が、いかに多いことか。
僕は、助けてくれなかった先生を信じなくなりました。

でも、そのあと、助けてくれる人や、信じられる人と、たくさん出会いました。
一人ではできない事ができるようになりました。

だから、人間でどんな嫌な思いをしても、人間を嫌いにならない方がいいと思います。
この世には、必ず、信じて支えてくれる人がいます。

人間を嫌いになって、関わりを立つと、そういう人と出会うチャンスを失います。もったいないです。
でもね、やっぱり、恐ろしい人はたくさんいます。
そういう人と、距離を置くのも大事です。

そのためにも、沢山の人とかかわって、関わり方を学んだ方がいいと、僕は思います。”

“人間は、相手の気持ちがわからないです。
だから、いじめは、「他人がどう感じたか」をいくら考えても、情報になりません。”


私はこの一文が、いじめの本質をまさに突いていると感じました。
つまり、当事者自身がいじめられていると感じるかどうか、その一点がいじめが存在しているかどうかを決定するものだと思うのです。

しかし、そのことに気付いていない人がたくさんいます。
その結果、いじめがないことにされたり、救えたはずの子どもを救えなかったということが起ってしまっているのではないでしょうか?

少しでも、植松さんの意見が広まり、いじめで苦しむ子どもが減ることを祈っています。

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