世界的なファンタジーの名作を、スタジオジブリがアニメ映画化したのが2006年の『ゲド戦記』です。不思議なことに、原作の途中である第3巻のストーリーが使われています。いったいなぜでしょう?
『ゲド戦記』場面カット (C)2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT
「声優が豪華」「かわいそう」 こちらが原作『ゲド戦記』と違いアレンに殺されてしまう「父王」です(3枚)
『ゲド戦記』なのに主人公が「ゲド」じゃない第3巻
2006年に公開されたスタジオジブリのアニメ映画『ゲド戦記』は、世界的なSF、ファンタジー作家のアーシュラ・K・ル=グウィンさんによる同名の原作を映画化したものです。原作は『ナルニア国物語』、『指輪物語』と並び称されるファンタジーの傑作で、大ファンの宮崎駿監督が映画化のオファーをかけたことがありましたが、紆余曲折あって息子の宮崎吾朗監督によって映画化されました。
ところで、映画『ゲド戦記』は、全6巻ある原作の第3巻にあたる『さいはての島へ』を中心にストーリーが組み立てられています。なぜ、第1巻の『影との戦い』から映画化しなかったのでしょうか。
『影との戦い』の主人公は、若き魔法使いの「ゲド(ハイタカ)」です。若く尊大だったゲドは魔法の失敗で「影」を呼び出してしまって襲われますが、旅の途上で成長し、やがて影と対峙することになります。ゲドが主人公なのは、この巻のみです。
第2巻の『こわれた腕輪』は、巫女の「テナー(アルハ)」の物語です。大魔法使いとなったゲドは、物語の中盤から登場します。テナーが引きって育てた娘、「テハヌー(テルー)」が出てくるのは4巻の『帰還』です。
そして、『さいはての島へ』の主人公は北海域の島「エンラッド」の王子「アレン」です。ゲドは大賢人になっており、魔法の力が弱ってしまった世界の秩序を回復しようとするアレンとともに、世界の果てまで旅をします。
さて、吾朗監督は当初、アドバイザーとして映画『ゲド戦記』の企画会議に参加していました。『ロマンアルバム ゲド戦記』(徳間書店)での吾朗監督へのインタビューによると、企画の準備段階では第1巻『影との戦い』について検討していたそうです。
ところが、途中で「本当に第1巻でいいのか?」という疑問が生じ、あらためて全巻読み直したところ、第3巻が面白く感じられたのだといいます。自身が年を重ねたせいか、年を重ねたゲドの気持ちが分かり、人間味を感じて親近感を持ったそうです。
一方、やはり企画会議に参加していた鈴木敏夫プロデューサーは、第3巻『さいはての島へ』が映画化に適していると早い段階から考えていました(『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』文春新書)。同書で鈴木プロデューサーは、「魔法の力が衰え、人々が無気力になってしまった国、エンラッドが舞台となる第三巻は、まさに『現代のテーマ』に合っていると思ったんです」と語っています。
また、宮崎駿監督が『ゲド戦記』に影響を受けて書いた小説『シュナの旅』が、第3巻と似た構造を持っていることも後押しになりました。こうして「ひとりの少年が国を出ざるをえなくなり、旅をし、偉大な魔法使いと出会い、そして少女と出会うことで変わっていく」という、ストーリーの骨格ができていきます(『スタジオジブリ物語』集英社新書)。
映画『ゲド戦記』場面カット (C)2006 Ursula K. Le Guin/Keiko Niwa/Studio Ghibli, NDHDMT
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原作にない「父殺し」はどこから出てきたのか?
映画『ゲド戦記』は、第3巻をベースに、その他の巻のいろいろな要素を取り込んでストーリーが完成しました。大きな追加要素として挙げられるのが、第1巻でゲドのエピソードとして描かれた「影との戦い」と、第4巻に登場するテルーです。いずれも、鈴木プロデューサーの発案でした。
「影との戦い」について、自身の暗黒面である影を原作全体のテーマだと捉えていた鈴木プロデューサーは「影を出したら」と提案し、吾朗監督は「もっと早く言って欲しかった」と怒ったそうです。一方、テルーについては「ヒーローがいたら、ヒロインもいたほうがいい、ということです」「テルーのキャラクターが良かった」と語っています(『ロマンアルバム ゲド戦記』)。
もうひとつ、原作に出てこない大きな要素が「父殺し」です。アレンが国王である父親を殺すという設定は、原作にはありません。きっかけは、鈴木プロデューサーの「この子は父親を殺しちゃうんだよ」というひと言でした。
鈴木プロデューサーは、「映画の冒頭にはけれんが必要というのが僕の考え」「アレンは国王である父を刺さなければ生きられないし、吾朗くんも父親へのコンプレックスを払拭しなければ世の出られない」と、父殺しが作劇上のサービスであり、現実の宮崎駿、吾朗監督の親子関係に重ね合わせたものだと語っています(『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』)。
こうしてみると、鈴木プロデューサーによって監督に抜擢された吾朗監督は、鈴木プロデューサーによる発案を受け入れながら映画『ゲド戦記』を完成させていったことが分かります。予告編には鈴木プロデューサーが考案した「父さえいなければ、生きられると思った」というキャッチコピーが盛り込まれて、大きな話題を集めました。
このコピーについて、吾朗監督は「僕のことのように思われてしまうじゃないですか、鈴木さん」「僕は父がいても生きていけますよ」と苦笑していました(『ロマンアルバム ゲド戦記』)。
鈴木プロデューサーと吾朗監督によって独自のストーリーとなった映画『ゲド戦記』は、結果的に興行成績76億5000万円と大ヒットを記録して成功を収めます。