かつて川崎の監督を務めた関塚隆と、その川崎のバンディエラとなった中村憲剛。師弟関係を築いてから20年、今年、中村がプロのチームを率いることができるS級ライセンスを正式に取得。一方、関塚は現在、J3の福島のテクニカルダイレクターとして、地元に活力を与えようと奮闘中。8月31日(土)の北九州戦(18時キックオフ)ではホーム・とうほう・みんなのスタジアムに5000人を集めようとキャンペーンも展開している(https://fufc.jp/lp/2024/0831/)。
ともに指導者となっての初の対談。パート3では監督の真髄にも迫る。
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――改めて今は福島でテクニカルアドバイザーを務められる関塚さんの視点から現代サッカーで監督として生きていくためのアドバイスはありますか?
関塚 いやでもね、寺田(周平)も今年からうちで初めて監督をやってもらったけど、まったく問題ない。彼は自分のフィロソフィー、やりたいこと、それをどうやってトレーニングに落とし込んでいくか、そしてコーチングスタッフとのリレーション、試合に出ている選手へのフォローと、ちょっと試合から遠ざかっている選手へのフォローなど、トータル的に自分の思い描いていることをやれているんじゃないかな。だからケンゴもまず自分の考えを実践する場を持つことが大事だよ。あとは、オフザピッチのところ、スポンサーの方々やファン・サポーターとの接し方、メディアへの対応など色々あると思うけど、そういうところはケンゴは引き出しを一杯持っているだろうし、やっぱり今後は実際にやってみて、作り上げていくところだよね。
自分は今テクニカルダイレクターっていう立場をやらせてもらっているけど、どっちかというとメンター的な立ち位置で、助言じゃなく、監督や選手との会話のなかで、何かヒントや気付きが生まれたら良いかなと考えている。現場の責任者として押し付けるのではなく、そういったコミュニケーションを心がけているね。ただ、チームとして全体のオーガナイズがしっかり働いているかは気にして見るようにしているね。
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――ケンゴさんは他に関塚さんに聞きたいことはありますか?
中村 まだまだ山ほどあるんですが、改めて監督に一番大事なことってなんですかね?
関塚 大きく言えば、自分の意思でしっかりチームを導いていくことかな。第一に、自分がやりたい、進めたいサッカーをコーチングスタッフと共有すること。そこが一枚岩になってこそ、選手に対するアプローチを始めることができる。さっきはクラブとの関係性の話もしたけど、クラブと明確な目標な共有し、目指すべきサッカーを現場と共有していく。自分だけが走ろうとしても、周りが一緒に走ってくれないと意味がないからね。細かい戦い方などはそこからかなと。
中村 みんなのベクトルが揃っていないとダメですもんね。と言いますか、僕もよくベクトルって言葉を使わせてもらっているんですが、これ完全にセキさんからの受け売りなんですよ。同じベクトルを向ける。当時、セキさんがよく使っていた言葉で、“©関塚隆”って入れても良いんじゃないかというほどで(笑)。
関塚 ずっと口酸っぱく言ってたよね。ベクトル。全員が同じ方向を向き続けてくれと。
中村 その言葉はすごくインパクトがあって、分かりやすくて、関さんといる時はずっとその言葉を聞いていました。
関塚 伝えていたのは、「ベクトル」と「一体感」。他の方を向いている者がいたらダメだと、注意していたから。
中村 そこはかなり厳しかったですよね。でもそこを曖昧にすると、選手は「どうすれば良いの?」ってなっちゃう。逆に監督がしっかり基準を示してくれれば選手は安心できますから。
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――試合に勝つためには細かい戦術も必要になりますが、チーム作りとしては、そういった意思の共有が大事になるということですね。
関塚 そう思いますね。あとは、選手たちは誰もが成長したいと考えている。そんな彼らと一緒に自分自身も監督として成長したいなと思っていました。そこはお互いを理解し、尊重し合いながら進んでいかなきゃいけないですよね。例えば川崎の時であれば、ジュニーニョに「チームのために常にトレーニングには100パーセントで臨んでくれ」と伝えるなど、一人ひとりと会話をして、意見をかわしていました。
中村 ただ、僕はセキさんの1年目、何か事細かに言われた記憶はないんです。
関塚 あの時はケンゴには自由にやってもらっていたね。(笑)
中村 僕はまだプロ2年目だったこともあり、ノビノビやらせてもらっていました。好きなようにプレーし、周りの先輩方にサポートしていただいてましたから(苦笑)。そして当時はプレハブのクラブハウスだったので、たまに風呂場でセキさんと一緒になり、サッカーとは関係ない世間話をしていました。今のクラブハウスではそれはないので、ある意味貴重でしたね。その意味では、コミュニケーションは取り過ぎず、取らな過ぎずっていう、難しいバランスが求められるんだなと感じています。
関塚 でも、俺が監督に就任して2年目からは結構、ケンゴにも要求するようになったよね。要所で、攻撃をこうしていきたいというのは、ケンゴと話すようになっていた。
中村 J1に上がり、僕も2006年あたりから副キャプテン、2007年にゲームキャプテンもやらせてもらえるようになり、ピッチ上でセキさんのイメージを具現化するのは自分だという自覚も芽生えて、自ずと話す回数は増えましたよね。
関塚 就任3年目、2006年にJ1で2位になって、2007年にACLに出場してからはトレーニングする時間が相当に短くなって、その分、言葉で共有する回数も増えたのかもしれない。ミッドウィークに試合が入ってくると、監督のアプローチの仕方は大きく変えなくちゃいけないから。主に次の試合の準備に追われるようになって。だからあの時、初めて分析担当を置いてくださいってお願いもしたんだよね。それでちょうど引退を決めた今野(章)に分析コーチとして入ってもらって。
――今のJリーグもそうですが、過密日程を戦っていく上では、コーチングスタッフの編成も大事ということですね。
関塚 監督はマネージャー的な要素も、どうしても求められるようになりますからね。それこそ、各監督のやり方もありますが、ヘッドコーチにトレーニングの流れを作ってもらうとか、監督は全体を見なくちゃいけない面もありますから。
中村 ただ、セキさんの1年目もそうだったと思いますが、コーチングスタッフに誰に入ってもらうかは、自分ですべてを決められないものだと思います。だからこそ、その都度の状況で臨機応変さも必要ですよね。
パート4へ続く。
■プロフィール
関塚 隆 せきづか・たかし/1960年10月26日、千葉県生まれ。現役時代は本田技研でFWとしてプレーし、引退後は鹿島でのコーチなどを経て、2004年からは川崎を率い、魅力的なサッカーを展開。その後はロンドン五輪代表、千葉、磐田でも監督を務め、昨年7月から福島のテクニカルダイレクターに就任。
中村憲剛 なかむら・けんご/1980年10月31日、東京都生まれ。川崎一筋、バンディエラとしてのキャリアを築き、2020年シーズン限りで現役を引退。その後はフロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー(FRO)、Jリーグ特任理事など様々な角度からサッカー界に関わり、指導現場で多くを学んでいる。
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
■8月31日はスタジアムへ!
8月31日(土) 18:00
北九州戦(とうほう・みんなのスタジアム)
は「集まれ5,000人!ユナまつり」と題し
様々なイベント(花火やベースボールシャツをプレゼントなど)を企画中!
詳細は下記へ
https://fufc.jp/lp/2024/0831/
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