新作『それでも、親を愛する子供たち』で児童養護施設のタブーに切り込んだ押川剛氏。「精神障害者移送サービス」を日本で初めて創始した氏は、既シリーズの原作の『「子供を殺してください」という親たち』では凄惨な教育虐待の事例を扱っている。その制作背景とは。
ーー『それでも、親を愛する子供たち』(以下、『それでも』)1巻は、『「子供を殺してください」という親たち』(以下、『子供を殺して』)の15巻と同日発売になりました。これまでも教育虐待と思しき事例は多かったですが、このテーマを改めて直球で取り上げた理由を教えてください。
押川剛(以下、同) トキワ精神保健事務所の仕事は基本的にギャラをもらってやっているので、経済力があり、高学歴志向や権威志向の強い親御さんのところに育って壊れてしまった子どもを移送することが多かったんですね。
私が印象に残っているのは、移送サービスを始めた頃の話ですが、相当に重い統合失調症で、家で暴れて、近隣に迷惑もかけているのに医療に繋げてもらえず苦しんでいた方。関西で一番よいとされる、ある私立大学を中退していましたが、その方は40代になっても学習参考書や大学受験の赤本を何十冊と部屋に山積みにして、囲まれるように生活していました。数十年前にその光景を見たときに「もうカルトやな」と思いました。
ここまでメンタルが壊れたなら、親も教育に関してはタオルを投げてあげるべきだと思うのですが、反対になんとか継続させようと考えるんです。当時は「教育虐待」という言葉はありませんでしたが、時代を重ねるごとに「虐待」といえるほど積み上がってきたんだなと思います。
――「【ケース23】エリート教育カルト」でも、統合失調症の症状が出た状態で学校に通わせていました。そういったご家庭では、一般的な光景なのでしょうか。
多いですね。以前、最高学府と言われるような大学の学生さんの移送も行ないました。その方は向精神薬の依存でしたが、完全に統合失調症の症状が出ていました。高校から超進学校で、最高学府に現役合格したけど、上には上がいるから壊れるわけですよ。入学前の健康診断にも引っかかるような状態だったけど、親はそのまま大学に行かせて「キャリア官僚になりなさい」とか「弁護士になりなさい」って、もう会話からしてすごかったです。我々の力でなんとか入院させましたが、退院したらまた司法試験の勉強をさせていましたから。
その両親も高学歴でしたが、きっとそういう世界から外したくない感覚があるんでしょう。学歴がその境界線を保ってくれているというか。私から言わせれば、完全に視野狭窄ですよ。ただ、教育虐待はアジア全土でもものすごく問題になっていて、韓国や中国なんかはもっと酷い状態になっています。なので、このタイミングでしっかりと捉えられたのは、とても意味のあることだったかなと思っています。
アメリカでは銃を乱射した少年の親が初めて実刑に
ーー教育虐待をテーマに取り上げたことで、反響はありましたか?
『それでも』を読んでくれた飲み屋の大ママが、こちらも読んでくれて、「近所にもそういう子がいたのよ」って教えてくれました。ああ、想像以上にいっぱいいるんだなって思いましたね。大なり小なり含めれば教育虐待の犠牲者は、100人に1人といわれる統合失調症の患者数よりよりもすごく多いと思います。
――押川さんが先日Xでポストをされていましたが、2021年にアメリカのミシガン州で銃を乱射した少年(当時15歳)の両親に、10~15年の禁錮刑が下されました。子どもの銃撃事件による親の実刑判決は米国でも初めてだそうですが、今後は日本でもそういった動きが起こり得ると思いますか?
これからの時代、気合いや根性、体育会系の縦社会といった、心意気や人間関係がないと助からない世界に入っていくのではないかと思っています。アメリカのその事件では、親が学校から、子どもに治療を受けさせるよう勧められていたのに受けさせなかったうえに、銃を買い与えていた。
要するに適切な対応をとってないことに対して、親に責任があると、司法が判決を出したんですね。これってまさに気合い、根性の話なんですよ。それまでは「社会がどうこう」と言ってきた部分もあったけど、親は親の部分としてちゃんと責任を取りなさいと言ったわけです。そこはアメリカのすごさを感じました。
昨年、日本でも長野県で猟銃を持って立てこもった男が4人を殺害した事件がありましたが、犯人は「住民が自分の悪口を言っていた」とか言ってるわけです。以前からその傾向があったという報道もありましたし、私なら被害妄想の症状を疑いますよ。そんな子どもに、親が猟銃の許可申請を容認し、買い与えている。
この犯人はすでに成人しているので、アメリカの未成年の事例とは異なりますが、それでも社会通念上、親の責任は問われて然るべきではないでしょうか。バンバン銃砲が鳴っているときに、「うちの子じゃないだろうな?」と思っていたと言いますからね。今や精神疾患が疑われる近隣トラブルはあちこちで起こっていて、このことは日本でも問題視しなきゃいけなくなってくるんじゃないかと思います。
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真実をもとにやっているという我々の覚悟を読者に示したい
ーー地域移行に舵を切ったことで、そういうことを言いやすくなりそうだなと思いました。
なるでしょうね。より、自己責任の部分が明確化されていきますから。ただ病識がないということが精神疾患の永遠のテーマですし、児童福祉の分野でいえば、どこまでいっても「子どもに罪はない」のです。その出発点に立ち返れば、あまりにもこの国は冷たくないか、と。そのことをこれまで漫画で描いてきました。
確かに、『子供を殺して』のスタート時は、横槍や誹謗中傷もたくさんありました。でも、真実さえ描き続けていけば、絶対に読者が理解してついてきてくれると思っていましたし、今では「押川、けっこうまともなこと言ってるじゃないか」と支持されるほどになっています。
だから『それでも』でも、これまで見て見ぬふりをしてきた児童養護施設の真実をちゃんと描き続けていけば、読者や社会がまた認めてくれると思っています。
実は、第1巻の「【ケース1】にんじん」に出てくる、子どもが描いた母親の似顔絵は、一度描き直してもらっているんです。原稿が上がってきたときに、「当事者の児童が、こういう絵を描くかな?」と感じました。監修してくれている児童福祉の専門家に見てもらったところ、やっぱり違うと。それで、もう一度取材や資料を集めなおして、編集の岩坂さんに「これが現実に、子どもに描いてもらった母親の絵なんだ」と。
作画のうえの先生も非常にきつかったと思いますが、そこまで細部にこだわって作ることで、本当に真実をもとにやっているんだという我々の覚悟を読者に示せたんじゃないかと思います。
第1話の原稿に比べて、うえの先生の画力、想像力も格段に上がっています。実際に、飲み屋のお姉さんが絵をほめていましたよ。「虐待で通報されたことのある友達がいるんだけど、下着の投げやりな干し方とかがそのまんまでびっくりした」って。それは、うえの先生の気合いと根性なので(笑)。感謝しています。
ーー『それでも』と『子供を殺して』は対となる作品ではありますが、併せ読むことでどのようなことが見えてくると考えていますか?
どちらの作品も出てくる親は背中で隣り合わせなんです。結局は両方とも、親が子どもの命を削っている。それぞれが孕んでいる問題は地続きだったりするので、一方では親を通しての目、もう一方では子どもを通した目で並べ見ることで、とても立体的になり、理解が深められると思います。2作を同時に走らせたことで、問題意識をより持っていただきやすくなったと思いますので、ぜひ並行して読んでいただきたいですね。
取材・文/森野広明