幕末、国のために奔走した若き“官僚”たち『海風』今野 敏 インタビュー

幕末の幕臣に見る「本物の官僚」とは何か

――意外だったのは、江戸幕府もかなり海外の事情をよく知っていて、しかもそれが漢籍から得た情報だということ。西洋事情を知っていたからこそ、危機を感じていたということがよく分かりました。

 漢文で書かれたものが日本に入ってきていたので、漢学者は西洋の事情に詳しかったようですね。幕府が一番頼りにしていたのは長崎のオランダ商館長に書かせたオランダ風説書なんですけど、それも漢文に訳されたものを漢学者が読んでいたそうです。

――薩長史観だと、薩長が幕府よりも外国のことを知っていたみたいな感じで描かれていたりしますが。

 実態は逆ですよね。幕府が一番知っていて、薩摩・長州にはあまり情報がなかったんです。知らないから攘夷、攘夷と騒いだわけです。それに比べたら、幕府が持っていた情報量にはすさまじいものがあって、長崎を通じて西洋人のことも知ってますし、ロシアの動きもちゃんと知っている。あの時代の外交を描くには幕府の動きは不可欠なんです。

――長崎では、地元で採用した「地役人」が重要な働きを担っている。もともと町人だった人を武士として使っているわけで、幕臣たちは現場でかなり柔軟に動いていたんですね。

 人材不足だったんだと思います。長崎の事情を知っている人を使うしかなかったんですよね、多分。

――現場で官僚たちが知恵を絞って融通無碍にやっていたということですね。

 そうだと思いますね。いきなり海軍の伝習所をつくれと上から言われても、何から手をつけていいか分からないですよね。でも、永井たちはそれをやりおおせてしまうわけです。海軍の士官を育てて、数年後には咸臨丸で太平洋を越えてアメリカまで行ってしまう。すごいことですよ。

――永井は水野に、製鉄所を併設した造船所もつくれとむちゃぶりされますしね。

 伝習所の運営に責任を持つ「伝習所総督」という役職にあったとはいえ、独断で製鉄所のための建設機械や資材を発注していますから、決断力が半端じゃないですよね。おかげでその時の長崎奉行の不興を買うんだけど。

――その時に永井がつくった長崎造船所がのちに三菱重工業長崎造船所になる。日本の近代化に大きな貢献をするわけですよね。でも、永井尚志の名前はあまり知られていません。

 永井も知られていないし、横須賀に製鉄所、造船所をつくった小栗上野介(忠順)も知られていない。小栗は本当にすごい官僚だったんですよ。江戸幕府の財政を立て直し、西洋式の軍隊を整備して、製鉄所と造船所をつくったんだから。

――小栗は永井のさらに一回り下の世代なんですね。当時の江戸幕府は、優秀な若者たちが国の危機に立ち向かった。若者たちはなぜあんなふうに前例がないことをできたんでしょうか。

 なぜでしょうね。官僚ってふつう、前例のないことはやりたがらないものなんです。でも、本物の官僚はきっとそうじゃないんでしょう。国にとって必要なことをしかるべき時にする。それが官僚なんだということもこの小説で書きたかった。どんな時にも合理的に考えて、国にとって一番いいことを進めていくのが官僚であるべきなんです。永井たちがやったことはそういうことだったと思います。

(広告の後にも続きます)

海風

今野 敏

2024年8月26日発売1,980円(税込)四六判/344ページISBN: 978-4-08-771874-4迫られる攘夷か、開国か――。
嘉永六年(一八五三年)六月、浦賀にその姿を現した四隻のアメリカ軍艦。強大な武力をもって日本に開国を求める艦隊司令長官・ペリーの対応に幕府は苦慮していた。
清国がイギリスとの戦争に敗れ、世界の勢力図が大きく変わろうとするなか、小姓組番士・永井尚志は、老中首座・阿部伊勢守正弘により、昌平坂学問所で教授方を務める岩瀬忠震、一足先に目付になっていた岩瀬の従兄弟・堀利煕とともに、幕府の対外政策を担う海防掛に抜擢される――。
強硬な欧米列強を前に、新進の幕臣たちが未曾有の国難に立ち向かう。
現代へと繋がる日本の方向性を決定づけた重要な転換期を描く幕末外交小説!
「隠蔽捜査」シリーズをはじめ警察小説の名手が、“薩長史観”に一石を投じる!