「なぜ外務省の役人は国会答弁があんなに下手なのか?」近年夙に外務委員会委員長などの国会関係者から指摘を受ける点である。
先日も某国会議員の勉強会で日本外交の現状と課題について講演をした際、同じ指摘を受けた。かつ、その議員は、「答弁がその場しのぎの細工であることが明々白々」と強く苦情を述べた。さもありなん、との感を禁じ得ない。意識の問題と訓練の問題の両面があると受け止めている。
意識としては、国会議員への説明は当該議員に対する説明にとどまらないはずだ。その後ろに控えている有権者、さらには国会でのやり取りを聞いているメディア関係者、テレビ視聴者などに向かって、政府の施策の正当性を訴え、理解を勝ち取らなければならない。しかるに、そうした説明責任を果たすという姿勢よりも、厳しい質問をやりおおせて言質を取られることなくその場を切り抜けようとする姿勢が濃厚だ。
場数としては、かつて役人が「政府委員」と呼ばれ、国会審議の重要な一翼を担っていた頃と異なり、最近は「政府参考人」が答弁する機会は減った。国会審議を政治家による政策討議にしようとの一時期の問題意識は十分にかなえられないとしても、存続している。
また、外交問題についていえば、かつての日米安保や国連平和協力法案、PKO法案のような与野党間の先鋭な対立に包まれた外交事案が少なくなってきた面も指摘できよう。
その結果、緊張感あふれる局面で官僚の答弁が注目を集める機会も減った。そうなると、官僚自身も国会答弁で鍛えられることが少なくなり、勢い、与えられた答弁資料を墨守し、その場をやり過ごそうという逃げの答弁が主流になる。
先日、久しぶりに衆議院外務委員会の審議を見ていて本当に憂鬱になった。駐日中国大使の暴言、靖国神社での乱暴狼藉、日本の排他的経済水域でのブイ放置問題などについて政府の対応が手ぬるいとして執拗に追及する野党議員からの質問に対し、上川陽子大臣以下外務省の答弁者のラインは「適切に対応して参ります」の繰り返しにとどまり、「今の政府の対応は適切なのか?」「なぜそう判断できるのか?」という一般国民が知りたがっている問いかけに対して、何ら説明を試みることがなかったからだ。
国内でこんなやりとりにまみれているようでは、対外発信など夢のまた夢だ。聞き手の理解できる言葉とロジックで説得するという言論戦に勝ち抜くための訓練を全く受けていないからだ。
それだけではない。某外務大臣経験者によれば、外務省の人間は国会で当該大臣経験者の姿を見かけるたびに姿を隠し、挨拶さえしてこないと言う。「説得」だけでなく、「挨拶」さえできない。
これこそ、日本外交の劣化を象徴する話ではなかろうか。
●プロフィール
やまがみ・しんご 前駐オーストラリア特命全権大使。1961年東京都生まれ。東京大学法学部卒業後、84年外務省入省。コロンビア大学大学院留学を経て、00年ジュネーブ国際機関日本政府代表部参事官、07年茨城県警本部警務部長を経て、09年在英国日本国大使館政務担当公使、日本国際問題研究所所長代行、17年国際情報統括官、経済局長などを歴任。20年オーストラリア日本国特命全権大使に就任。23年末に退官。TMI総合法律事務所特別顧問や笹川平和財団上席フェロー、外交評論活動で活躍中。著書に「南半球便り」「中国『戦狼外交』と闘う」「日本外交の劣化:再生への道」(いずれも文藝春秋社)がある。