『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』日本ジャーナル出版
「ジャニーズ性加害問題当事者の会」元代表・平本淳也氏にスポットを当てた『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』(小社刊=1700円+消費税)が、9月13日に発売された。
2023年3月にイギリスのBBCが『J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル』と題したドキュメンタリーを放送したことから、大きな騒動に発展した旧ジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏による性加害問題。
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日本の芸能界のみならず、世界を揺るがせたが、そもそも同事務所の設立から間もない1965年には、第1号タレントの初代ジャニーズに対する性加害が取り沙汰されていた。
そんなジャニー氏の性加害問題について、35年以上にわたりさまざまな形で告発を続けてきた平本淳也氏と旧ジャニーズ事務所との関係を詳細に記し、ルポ形式でメディアが触れていない事件の真実を明かす。
※以下、第1章「ジャニーズの実態」から最初の部分を抜粋
ジャニーズ合宿所の闇
日曜のレッスン終了後、ジャニー喜多川は目をつけた少年に対して「ユー、おいで」と誘いの声をかけ、自分で車を運転して六本木のレッスン場から原宿の合宿所まで移動する。
ジャニーの愛車は80年代の初めの頃だと、6人乗りのベンチシートでコラムシフトのクラウン。のちにはジュニアやファンから「ジャニベン」と呼ばれたベンツに乗り換えている。
ちなみに「ジャニベン」と名付けたのは平本である。
マンションに到着してエレベーターを降りると、そこが合宿所の入り口で、左右両サイドに広い部屋がいくつもあった。
初めて訪れた少年たちは、それまで生きてきた世界ではまったく見たことのない広々とした豪奢な空間に、まるで自分もスターになったかのような錯覚を覚えたという。
そこでジャニーの用意した食事をとったり、同じ年頃のジュニア仲間たちと談笑したりしていると、しばらくしてジャニーから「ユーたち、お風呂に入りなさい」と声がかかる。
35年にわたり告発を続けてきた平本淳也氏
浴室から出て午後10時を回った頃に、「ユーたち、そろそろ寝なさい」と声がかかり、少年たちはそれぞれクローゼットから布団を運んできて、それまでソファとして使用していた引き出し式のベッドに敷き、各人が好きなところで横になる。
電気が消されて、そろそろ眠りに落ちようかという頃合いになると、ジャニーは目当ての少年が寝ている布団にそっと入っていく。
そうして、平本の体験では前から抱きしめて、抵抗してくる気配がなければ「ユー、疲れてない? レッスン大変だったでしょ」などと優しく声をかけながら、マッサージを始める。
少年たちはジャニーの行為を受け入れていたわけではなく、どのように対応していいか分からずに固まってしまう者が多かった。
また、最初のうちは「ジャニーズ事務所の社長から直々に誘われるなんて光栄だ」と思う者も少なからずいた。
こうした行為はレッスン後の日曜夜によく行われていたが、特にお気に入りの相手だと、ジャニーから土曜に電話が入り「合宿所に来れる? 一緒にレッスンへ行こう」と誘いを受けて、レッスン前日の土曜に合宿所へ泊まるケースもあった。
少年たちの間で具体的な被害の内容を報告し合うことはあまりなかったが、会話として「やられた?」などと情報共有することは日常的にあった。
そうして「みんながやられていることなんだ」「これはデビューのために通らなければならない道なんだ」と、自分で自分を納得させていた。
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親や友人には言えない苦悩
ジャニー喜多川から求められたリクエストにすべて応えて、なおかつ満足させれば、相当のポジションを得られることになる。
つまり、デビューを目的としたグループへの加入など「報酬」が待っている。
少年たちがジャニーの行為を我慢した理由としては、自分自身がスターになりたいという願望よりも、応援してくれるファンや友人たち、そして何よりも親の存在が大きかった。
「そもそも思春期の少年が『実はジャニーさんにやられていて、僕もジャニーさんを喜ばしている』なんて言えるわけがない。ましてや、それが理由でデビューできたとか、逆にそれが嫌で事務所を辞めたとか、どちらにしても周囲に心配をかけることになる。それで被害の実態を言えないまま、黙り込んでいたという人は多い」
これらの行為は一種の洗脳だったのか、あるいは性的目的で小児を手なづける「グルーミング」だったのか、ジャニーが亡くなった今、科学的な解明は困難かもしれない。
だが、いずれにしてもジャニーズ事務所のメンバーたちが、そうした行為を行うことと、その秘密を守ることを自己正当化して受け入れなければならないと考え、これを守らなければジャニーズの一員として認められないという、どこか精神的に麻痺した状態であったことは確かだろう。
合宿所だけでなく、移動の車中やレッスン時の休憩時間などにも、ジャニーから身体を触られることは頻繁にあったという。
「僕の場合、自宅のあった厚木から都心まで片道2~3時間かかったから、レッスンだけでなく、ステージやテレビなどの仕事でどうしても都内に泊まる必要があることも多かった。それでもなるべく合宿所じゃなくて、都内に住んでいるジュニアの仲間に頼んで泊めてもらうなど、被害に遭う回数をなるべく減らす努力はしていた」
ほかのタレント事務所の研修生やスクールの生徒とは違って、ジャニーズ事務所は入所した時点からタレントとして活動ができるし、もちろん入所やレッスンに関する費用は一切必要ない。
日々のレッスンに加えて、ジャニーの行為を我慢して受け入れさえすれば、歌手デビューや俳優としての独り立ちという目標を達成できる。
そう信じて、メンバーたちはただひたすら、歯を食いしばって耐えてきた。
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『ジャニーズ崩壊の真実 命を懸けた35年の足跡』
2024年9月13日(金)発売
本体1700円+消費税
■序章 まだ戦いは終わらない
・ストレスで満身創痍
・ジャニーズ事務所に「実質勝利」
■第1章 ジャニーズの実態
・ジャニー喜多川氏からの電話
・華やかな芸能界
・性被害の実態
■第2章 戦いの原点
・北公次氏の誘い
・全裸監督vsジャニーズ事務所
・北公次氏の反転~終息
■第3章 孤独な戦い
・出版社設立
・文春裁判
・BBCからのオファー
・ジャニー喜多川氏の死
・国連への手紙
■第4章 ジャニーズ消滅
・被害者の会設立
・交渉開始
・止まない誹謗中傷との戦い
■終章 補償の現状と未来
・人権と尊厳の回復のための戦い
平本淳也(ひらもと・じゅんや)
1966年6月14日生まれ。「ジャニーズ性加害問題当事者の会」元代表。ジャニーズ事務所に所属したタレントで作家。所属時には多くのステージを踏み、ドラマや映画、バラエティーなどで活躍。旧所属者たちと新生フォーリーブス、新・光GENJI、SHADOW(シャドー)を結成して性加害問題を提起した最初の実名告発者となる。ジャニーズ関連を含む書籍制作、著書は30冊以上。著作のほか記事や情報提供は無数にあり、メディア出演も多数こなしているジャニーズ性加害問題の第一人者である。
亀井誠(かめい・まこと)
1967年8月2日生まれ。三重県出身。早稲田大学卒業後、ナイタイ出版に入社。退社後はプロレス、格闘技をはじめ、芸能、社会風俗など幅広く取材するフリーライターとして活躍。著作に『プロレス、K1、PRIDE禁断のスキャンダル史』(日本文芸社)、『プロレスの悲劇』(オークラ出版)などがある。