バックのストロークがネットにかかり、2時間16分の熱戦を自らのミスショットで幕引きした時、錦織圭はその場で肩を落として両ヒザに手を当て、しばらく、動けずにいた。
「自分の中で十分良いテニスはできていたけれど、細かいところは、やっぱりまだまだ足りていない」
「ちょっと足が動いてくれなかったのもあったので、まだまだ体力不足と…バネのなさっていうのは、最後出たかなと思います」
敗戦の約30分後の会見でも、一定の手応えと満足感は示しながらも、口にする言葉は自分に厳しい。それはもはや、良いプレーで満足できるフェーズは終わったという、言外の宣言でもあるようだった。
「トップ100には入っていけるだろうけれど、総合的に見ると、トップ10には到底かなわない」、「簡単なエラーがまだあるので、それがなくれば多分、トップ10にもワンチャン行けるのかな」
6年ぶりの参戦となった男子テニスツアー「ジャパンオープン」の大会前会見で、錦織は自身の現状とツアーでの立ち位置を、そのように分析していた。話しながらも上方修正と下方修正を行ったり来たりするあたりに、希望的見解と非楽観主義の相剋が浮かぶ。復調の予感はありながらも、まだどこかで懐疑的。その感触を確かなものにするべく、錦織はジャパンオープンに挑んでいった。
初戦で当たったマリン・チリッチは、今になって振り返れば、これ以上にない相手だったと言えるかもしれない。9月28日に36歳の誕生日を迎えたチリッチは、ジャパンオープンの前週に中国開催のATP250大会で優勝。その足で東京に向かい、決勝のわずか2日後に錦織と対戦した。優勝の勢いと自信もあれば、疲労も当然ある。ましてやチリッチは、今年5月にヒザにメスを入れ、復帰わずか3大会目での優勝だった。
錦織が通算9勝6敗とリードして迎えた16度目の対戦は、ノスタルジーを纏いながらの、緊迫の並走状態で進んだ。チリッチのサービスが良いのは想定内として、錦織のサービスが冴え冴えとした切れ味を見せる。ワイドに切れるスライスサービスに、チリッチの長いリーチも届かない。
そこをチリッチがカバーすれば、今度はセンターにピンポイントで錦織がエースを叩き込む。第2セットでは2度のブレークを許したが、それ以外はサービスで危機を凌ぐ場面も多く見られた。
安定のサービスゲーム。チリッチの強打を時にいなし、時に打ち勝つストローク力。それらが合致したことにより、描けるようになった勝利へのシナリオ。そして、同世代のライバルから得たモチベーション。6-4、3-6、6-3のスコア以上に、多くを持ち帰った勝利となった。
2回戦のジョーダン・トンプソン戦では、チリッチ戦で得た刺激に呼び覚まされたかのように、とてつもなく強い錦織が帰ってきた。かつてのストロークの威力や繊細なタッチが蘇り、それらを自由な発想で組み上げ、創造的なテニスをコート狭しと描く。早いタイミングでボールを捉え、あらゆる軌道で広角に打ち分けるストロークにトンプソンがついていけない。
昨今、攻撃力の増した印象があったトンプソンが、やや守備的だったことについても、「彼が良いところが出る前に終わってしまったのか、僕が強すぎたのか」と、冗談交じりに語るほど。「イメージを超えた」プレーを携え、「トップ5にいてもおかしくないくらい、強い選手」と高く買う、ホルガー・ルネ戦へと向かった。
結果から言うとルネとの試合は、錦織サイドから見れば勝機を逃した惜敗だが、21歳にして世界4位も記録している若き実力者が、その理由を示した試合だったと言えるだろう。
第1セットは相手の粗さにも助けられ、錦織が完璧とも言える内容で奪取。ただ第2セット中盤以降、錦織の体力がやや落ちてきたタイミングで、ルネは錦織を捕らえ始めていた。まるで錦織の軽快なリズムと展開力に引き上げられたかのように、ルネもボールの跳ね際を打ち返す。ワイドに切れる錦織のサービスにも、タイミングが合い始めていた。
それでもファイナルセットでは錦織がスコアで先行するも、ルネは崩れるどころか、重要な局面ほどプレーのレベルを上げてきた。錦織が、試合後に自分に対し厳しかったのも、同じ土俵に立った上で、少しながら重要な差を痛感したからだろう。
今大会での錦織は、前週優勝のチリッチと世界29位のトンプソンに勝利し、14位のルネに惜敗。加えるなら坂本怜と組んだダブルスでも、第1シード相手に接戦を演じた。
連日、満員のファンの大歓声を浴びて戦った5日間を振り返り、錦織は「まだまだ、こうやってこのレベルの選手たちとプレーできると、試合していて楽しい」と言った。
大会前には、「トップ10には到底かなわない」とした自己評価にも、変化はあっただろうか?
その問いに、やや決まりが悪そうに、彼が応じる。
「まあ正直、トップ10に到底かなわないっていうのは…あの、心の中では、あんまり思ってなくて。口に出して言っちゃいましたけど、どっかでいけるんじゃないかなと思いながら、ああいうことをちょっと言っちゃったので」
それは申し訳なかったです――と、いたずらっぽく笑って加える。それはやや控えめな彼らしい、復活宣言だ。
取材・文●内田暁
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