●最大の支えは妻
まずは東大の教授になりたい
今のご自身を形成されるに至るまで、支えになってきたものは何ですか?
間違いなく、一番は妻です。ここは強調しておいてくださいね(笑)。ずっと、何かあっても私が食べさせてあげるから安心して!と言ってくれていて…。
それは頼もしいですね。
ケンカも時々しますが、二人三脚でやってきたと思います。それで30代の後半、子どもが生まれる頃に、マイクラをエンターテインメント的なものでなく教育に使う仕事に方向転換しました。役者よりもちゃんと稼げると思いましたし。でもその時も、のちに聞いたんですが妻はすごく心配してくれていたようで。ただ、役者時代にひもじい思いをさせてしまったし、今度は美味しいものや良い服を買ってあげたいと思って仕事を変えました。
では、今はマイクラのお仕事一本で?
そうです。今はまた家族が増えて。家族の支えもあって自分の仕事で4人が生活できています。
これから先の目標はありますか?
実は、東大の教授になりたいんです。
なぜ教授を目指されるのですか。
マイクラで東大の教授になれたらすごいでしょう?初のことですよ。「一番」っていうのが好きですから。あと、マイクラで東大に行けるとなれば、さすがに親御さんもゲームはダメとは言えないでしょう。
これからの子どもたちのためでもあるのですね。最後に読者にメッセージを頂けますか。
私はマイクラのサービスが続く限り、一生マイクラをします!40過ぎたいいおっさんが一生ゲームなんて、なに言ってるんだ、と思われるかもしれませんが。そして、いずれ妻と子どもと4人でマイクラをやれたら、それが私の人生の頂点ですね。
あと…墓石には、私のマイクラのアカウントを刻んでほしいですね(笑)。
それはみなさんにお知らせしなければ!本日はありがとうございました。
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●こぼれ話
マイクラのキャラクターがデザインされたコラボグッズをさまざまな場面で目にするようになった。マイクラTシャツを着ている子どももちらほら見かけるなど、特に小中学生を中心に絶大な人気を誇っていることがうかがえる。「マイクラおじさん」の愛称で親しまれているタツナミ シュウイチさん。マイクラのワールドの制作はもちろんのこと、造形学部の大学生を対象とした授業や、プログラミング教育などマイクラの可能性と楽しさをどんどん広げている。誰も行ったことのない道を少しずつ整備しながらマイクラおじさんが歩き、その後を子どもたちが追いかける。まさに、そんなイメージだ。
マイクラは、プログラミング的思考を養うことも、プログラミング言語を使うこともできる。そのうえ、楽しい。学びにとって「楽しい」はとても重要と考え、自らエンターテイナーとなってマイクラの魅力を伝えてきたタツナミさん。エンターテイナーといっても、決して面白おかしく楽しませているわけではない。自らが思いっきり楽しんで理解した魅力を、全力で伝えているというように感じた。今回の『千人回峰』は、そんな思いがあふれる熱い対談であった。そうしたマイクラ愛を、活字でどれだけ伝えられただろうか…。
夢中になれるものと出会うことができたら、それはとても幸せなことだ。とはいえ、「特にやりたいことなんてないです…」という発言をしばしば聞くことがある。タツナミさんは、「やりたいことがないのではなく、まだ見つかっていないだけ!」と力強く語った。そして、「受け身ではなく、自らさまざまなことを知ろうとする努力が必要」とも。真剣にマイクラに向き合い続けてきた結果、YouTubeなどネットの世界から、テレビ、教育現場などと活躍の場所を広げてきた。それだけ可能性を秘めているし、いったんハマるととんでもなく深い「沼」であるのがマイクラなのかと。タツナミさんがそう思わせる。未踏の地を歩く、日本初のマインクラフター。歩む道がいかなるものであっても、きっと楽しんでその姿を見せ続けてくれることだろう。(奥田芳恵)
心にく人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。