バッドボーイズ佐田「ひとり芝居」で相方・清人が4年ぶり脚本担当! 「清人は“感動系脚本家”だけど、演出が照れくさくて…」

どうも、芸人ライターのてんぐ・横山ミルです。
皆さんは“役者・佐田”をご存じでしょうか? バッドボーイズの佐田正樹さんのことです! 最近はSNSでも大人気の佐田さんは2016年から毎年、ひとり芝居をやっていて、今年も10月30日(水)~11月3日(日)に東京・テアトルBONBONで「バッドボーイズ佐田正樹 ひとり芝居7」が開催されます。そしてなんと、今年はどうやら4年ぶりに相方の清人さんが脚本家として参加しているとのこと! 佐田さんの公演でおなじみの、ますもとたくやさんによる脚本・演出のものと合わせて2つのストーリーで構成されるそうです。ということで、今回はそんなバッドボーイズのおふたりにインタビューしてきました!


出典: FANY マガジン

芸人で売れてドラマに出るのが夢だった

――ひとり芝居を始めたきっかけを教えてください。

佐田 きっかけは、清人くんですよ。「やりぃ」って。

清人 そうやったっけ? 演技が好きなのは知っているけど。

佐田 忘れてるやん! M-1グランプリが(芸歴制限で)2006年に終わったんよ。THE MANZAIが2011年から2014年くらいまであって、ネタはそれに向けて作ってたんよ。でもそれがなくなると、目標がなくなって「なんのためにネタを作るの?」ってなるやん? いまはTHE SECONDとかあるけど、その当時はなかったんよ。

「この芸歴で、ネタで何かを目指すっていうのはないんだ……」って思った。そのときにコンビでお互いやりたいことやろうって話をして、オレは映画・ドラマをやりたいって言い出したんよね?

清人 うん。節目、節目でずっとそれ言ってる。

佐田 もともと役者志望やったしね(笑)。

――役者志望だったんですか?

佐田 そう。コンビ組むときに「ドラマに出るためにお前を利用する」ってコンビ組んだからね。だから、芸人で売れてドラマに出るのが、オレの夢やった。

――そうだったんですね。

佐田 だから清人に「いいネタ書いてオレを売れさせろよ」って。ダウンタウンならお前が松ちゃんで、オレが浜ちゃんだからなって。

――若かりしころはそんな感じだったんですね。

佐田 だから「何やりたいの?」って聞かれたら、第一は「ドラマ・映画に出たい」ってなるわね。でも、ドラマ・映画やる前に「まずは舞台をしたら? ひとり芝居してみたら?」って清人が言ってくれたんよ。「でも、どうやってやるんよ?」って言ったら、「オレが脚本書くよ」って。

――コンビ愛を感じます!

佐田 清人が「オレ以外にも4人くらい、脚本書いてくれる人を集めたら?」って。それで、第1回目に脚本を書いてくれた人たちが、(野性爆弾の)くっきー!さん、マンボウやしろ、(ピースの)又吉(直樹)、(森三中の)黒沢(かずこ)さんね。

――すごいメンバーです。

佐田 又吉も、ちょうど芥川賞を取ったときで、めちゃくちゃ忙しいやろうけど「書きますよ!」と言ってくれて。

――人望ですね。

佐田 黒沢さんに関しては、連絡したら「なんで私なんですか?」って言われて(笑)。清人が「黒沢さんがいいって言うから」って伝えたら「またですか?」って。

清人 オレは、なんかあったらすぐに黒沢さんにオファーするからね。

――そうなんですね(笑)。


出典: FANY マガジン

佐田 このなかで演劇をやったことあるのは、同期のマンボウやしろくらいで。打ち合わせしているときに「舞台監督は? 照明さんとかどうなっているの? 演出助手は? 衣装は?」とか言うんよ。でも、オレはなんもわからんのよ。

そしたらやしろが「絶対いるよ!」って言うから、その当時に単独ライブの作家で入ってもらっていた元ハリガネロックのユウキロックさんに舞台監督とか演出とか全部やってもらって。ふつうは小屋入りしてから演劇やるけど、そのときは下北沢にある北沢タウンホールに、当日入って、当日リハーサルして1日2回公演で終わりやったんやけど、「こんなやり方むちゃくちゃですよ!」みたいになって……。

――そんなスタートだったんですか。

佐田 それでも清人が「続けなあかんよ」と言ってくれて。

清人 でも、1回だけ休んだよな?

佐田 そうやったっけ?

清人 このひとり芝居を「ルーティンにする!」って言っていたのに「しんどかぁ~」言うて休んだんよ。

(一同爆笑)

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公演が終わっても“役者・佐田”!?

――公演チケットの売れ行きはいいそうですね。

佐田 やり続けたからこその結果やね。最初のうちは、ぜんぶ手売りでやっていたからしんどかったよ。

――ぜんぶ手売りですか?

佐田 そうやで。当時、お笑いの単独ライブは2000円くらいの時期に、4000円のチケット代でやで。それに、演劇もやったことのない芸人のひとり芝居なんか「誰が観に来る?」って話やから。別にセットもないし、お客さんからしたら、「さぁ、1人でどんな面白いことしてくれるの?」って感じのなかでやっていたから、しんどくもなるよ。

清人 そらしんどいね。でもルーティンになったからね。

――「お笑い」と「お芝居」は、ぜんぜん違いますか?

佐田 そうやね……。お笑いしかやったことなかったから、最初は怖かったのが、笑いがないままフリの芝居をすることね。

――どういうことですか?

佐田 最初の北沢タウンホールでマンボウやしろの作品をやったんやけど、それが5分間シリアスな芝居をして、そのあとにドンって笑いがくるっていう台本なんよ。その5分間がなんとも言えんくて……。

フリやから笑いを取りたくても取っちゃいけない。ふだんはコンビで清人がボケて、オレがツッコんでテンポよく笑いがくるっていうのとまったく違うから。5分間、観に来ていた350人のお客さんが“無”でオレを観るんよ? もう恥ずかしくって……。

口の中がカラカラになって、口が回らんようになってしまって……。それでも、なんとか唾を思いっきり出してやったりして。こんなに自分って無力なんやと感じたわ。

――そんなときがあったんですね。

佐田 でも、「これをやり続けんと力にはならんよね」って清人と話をして。


出典: FANY マガジン

清人 いまとなっては違うよ。千穐楽、悦に浸って幕が閉じるやん。そこから1週間くらい“役者・佐田”の時期がある。その時期はツッコミも役者でやりようわ。だから、ひとり芝居が終わってから1週間は漫才の仕事入れんといてって言うもん。

(一同爆笑)

清人 でも、そらそうなると思うわ。2カ月くらいみっちり稽古で“役者・佐田”になっとうもんね。