夏目雅子さん (C)週刊実話Web
当時、人気絶頂だった松坂慶子をライバル視していた女優のプライベートを追跡。彼女たちの貴重な肉声を再掲載する。
【昭和57年5月6日号掲載『松坂慶子より「いい味」わたし食べごろ宣言』年齢・肩書等は当時のまま(一部表現を訂正した箇所があります)】
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仙台、伊達藩の血統で、貸しビル業などを営み、神奈川県所得番付1位になることも珍しくなかった“富豪の娘”夏目雅子にアタックしたスターは多かった。
大原麗子と結婚する前の森進一、1億2000万円もの慰謝料を払って離婚した堺正章、さらに岸部シロー、松方弘樹、松平健、国広富之…。しかし、いずれも“不発”に終わっている。
夏目が男嫌いだったのではない。
家族が娘の将来のことを思い、近づけなかったからだ。
森進一は、スターのプライドもかなぐり捨てて、わざわざ横浜・元町公園近くの夏目の自宅を訪ねている。
アイスクリームを手土産に、夏の夜。夜を選んだのは、ファンの目を意識してに違いない。
だが、夏目は仕事で東京に出ていて不在だった。
普通ならばそれで帰るところ、森進一は近くのレストランで夏目が戻るのを待った。
しかも、レストランからわざわざこんな電話をかけたというのだ。
「何時まででも待っていますから、夏目さんがお帰りになったらお伝え下さい」
森からの連夜の電話も母がブロック
その結果、たしかに森進一は夏目に会えた。
ただし、母親の立ち会いのもとだったという。
1時間ぐらい、どれほど夏目ファンであるかを訴え、交際してほしいと“プロポーズ”したのである。
しかし、「お聞きしました」程度の冷たい態度をとられ、その日は帰宅。約1カ間、連夜のように電話をかけ続けたが、受話器をとるのはいつも母親だった。
そして、そのつど夏目には伝えず、握りつぶしていたというのだ。
森進一のかつてのマネジャーが証言する。
「テレビを見てまして、欲望をそそるカワイコちゃんがいたとしますよね。さっそく『つき合ってほしい』と交渉させられるんです。断われば、地方巡業の際の前座に使われないとわかっているし、テレビでの共演チャンスも絶望になるので、9割方はOKが得られましたね」
ところが、夏目はそれでも森進一をソデにし、こう言い放ったのである。
「母が…(断っていた)。だけど、わたしも森さんとお付き合いしようという気持ちは全くなかったんですし、それで、いいじゃないですか。お会いしたのは、あのとき1回だけで、その前にお会いしたこともありませんでした」
夏目は、昭和三十二年十二月の生まれだから、まだ24歳だ。
お嬢さん学校として知られる東京女学館で学び、在校時は慶応、麻布高生と親しく付き合っていた。
しかし、一線を越えることはなかった。
東大生のアイドルに選ばれ、 五月祭のゲストに招かれた際も、こうケムに巻いた。
「東大生っていうと、頭がよくて、しかも勉強ばっかりしている学生というイメージだったのね。そしたら、カメラ持ってるからこっち向いてとか、もっとびっくりしたのは、シャツにジーンズの学生が大きなバラの花束をくれたことね。とってもうれしかった。恋人いないの?なんてことも聞かれたわ。いませんと言ったら、『ぼくをおムコさんにして下さい』だって。でも東大生って、やっぱり恋人とか、おムコさんって感じじゃないわね。お友だちという感じですよ」
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お目当ての学者の卵がいる
夏目をキャデラックで送り迎えし、制作現場にもピタッとついていたほどのスタジオ・パパが急逝したが…。
「でも、母はいまだにうるさいんですよ。だから、よくケンカするんです。同じことを、何回言うのかってやり返しちゃう。ケンカの翌日は、一緒にコーヒーを飲みに行っても、母は自分のしか注文せず、お金もひとり分しか払いません。そのため、わたしも同じようにしますけどね。しかし、もう年だし、恋人も本気になって探さなければ売れ残ってしまうんじゃないかと思うようになりました」
だが、夏目の頭のなかには、スターの名前はないらしい。
夏目の代表作『孫悟空』を担当した日本テレビのスタッフが言う。
「すでにお目当ての学者の卵がいる、とのウワサも耳にしているけど、案外それと深い仲なのかも知れませんよ。でも、あんないい子が身近にいて、おめおめと部外者に奪われるなんて、くやしいですね」
誰が夏目を射止めるのか。